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noteで文章を書き続ける理由

最近色んな人からちょっとだけ私の書く文章を褒めてもらえることが多くなった。
もう何年もやってるんだからそれなりにできるようになってるはずではあるけど、未だに出来ていると自分では思えていない。 

私は高校生のころ国語ができなさすぎて開き直ったことがある。


コンプレックス

母親はめちゃくちゃ勉強ができる人で読書感想文が上手くできなくてもミリも共感して貰えなかったし、勝手にできるはずだと思われていた。それもあって勝手に期待値が上がって、勉強というもの全般に対して私はとても苦手意識を持っていた(今でも持ってる)。

地元で勉強してる人は周りに多くはいなかった。小学校4年生のとき、学級崩壊してからは勉強するのはダサいことみたいな価値観になっていた。小学校の友達は県内で中受する子もいたし、塾の友達には都内の中受をする子もいた。でもみんな普段は何もしてないように振舞っていた。周りが全然勉強しないとしなくても生きていけるように思えたのが小中時代だった気がする。

勉強しないと!とちゃんと思ったのは高校受験を意識した頃でこのままだと商業高校にも受からないと言われたときだった。その頃から自然科学(特に宇宙)に関する職業について仕事をしたいと考えていた私はさすがにまずいと思って勉強した。小学生のころから苦手だった漢字を覚えることや小説の感想など最後まで足を引っ張った。結局なんだかんだ志望校に受かっていくが高校時代も大学受験も国語から逃げた。

この自分が今まで逃げてきたということと、周りの人に比べてうまくできないということが、ずっと頭の端っこにあり続けた。簡単に言えばコンプレックスとなっていた。

noteを書く

大学生になってからしばらくは怠惰な生活を極めていた。

自分に価値を見出したくなった生き急ぎがちな私は色んな大人と関わっていた。そんなときに、社会人になってからも何かチャレンジする人たちと話すことが増えた。 たまたま周りにいた人たちがnoteを毎日、私からすると意味のわからない頻度で更新していた。

ある意味流行っていたのかもしれない。

適当にはてなブログを書くことを高校生のころからやっていたのを思い出し、noteで書くことにした。
その当時のブログのUIがあまり好きじゃなかったのと、noteのSNSっぽい感じが良くてなんだかんだ続けられた。

どこに向かって書くのか

正直結構自己満なスタートだったと思う。

めっちゃできた人間ではないなら他の人にとって役立つ情報はそんなに持ってない。でも、とりあえず書かないとと思った。 今までの経験上とりあえず何回かやればちょっとはマシになっていたから。文章を書く練習をする。

最初はとりあえず毎日書こうとしたり、いい文書をとか思ってたかもしれない。
コンテンツは自分の考え方でいい。
特段凄くはないけれども、あんまり多くないタイプな気がしていたのでコンテンツは自分の考え方や、身の回りで起きたことにした。

ある意味生々しく自分のことを書くことにした。

最近は、自分で読んで変じゃなくてある程度まとまっているものを目指している。内容は薄くても濃くてもいいから2000字までと決めた。(長すぎると自分が読まないから。)

これから

誰が読むんだとかなんのためにやってるんだと思うことも多いけれども、多分これからも書き続ける。
目標は月イチくらい。

まだまだ文章を書くのは個人的には得意なことじゃない。でも、数年前よりだいぶ好きになった。
(もしかしたらめっちゃできる母親からちゃんと遺伝してないだろうか。)
もしかしたら、コンプレックスが解消するのはもうすぐなのかもしれない。

最近は本も読むようになった。
少しづつ少しづつ自分を変えたい。

とりあえず、考えてることを外に出す。
続けたら、類は友を呼ぶはずだから。


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