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死ぬかと思った


コロナの影響で、受診のスケジュールが例年より大幅に狂ってしまっていた今年の健康診断結果のお知らせがようやく届いたので、何の気なしに開けてみたら、判定が

「E」

要精密検査。

内容は

マンモグラフィで「陰影」の文字。

「お近くの乳腺外科を受診してご相談ください。」

とありました。

我が家は癌家系。祖父母も叔父叔母、いとこも若くして癌で亡くなっています。

ううむ。乳がんだ。

どうしよう。こんな状況で入院するのか?

いろいろな問題が一斉にアタマの中を駆け巡ります。

動揺しているので、入院用のパジャマ買わなくちゃ、もし死んだら今の

部屋が汚くて見せられない、掃除しなくちゃ、などと本筋よりかなり離れたところを思考がグルグル。

乳がんで亡くなった芸能人のニュースが頭の中を駆け巡ったり。

死なない人間はいないはずですが、いざ自分のこととして急に現実味を帯びてくると思った以上に動揺するものなのですね。

今までに、死ぬかと思ったことはありますか?

私は生まれる時に母が重病で入院していたこともあり、体が弱く、子供の頃はほとんどを病院で過ごしていました。

あとで、母に聞いたところ、母自身が死にかけた時に、母の祖父(私には曽祖父)が橋のところで母を押し戻して、

「こっちに来てはいけない」と言ったとか。

それがなかったら私はいなかったようです。

このタイプの話はわりとよく聞くような気がします。

「死ぬ瞬間」

という本があります。


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医師のエリザベス・キューブラー・ロス博士が200人の末期患者との面談を文章とした内容です。

学生時代にこの本と出会ってこういうアプローチの仕方もあるのかと思ったのを記憶しています。

そして、立花隆氏の

「臨死体験」

https://amzn.to/3gXuRum

臨死体験をした人や医師から

聞き取りをした本です。

こちらも、ともすればスピリチュアルとかオカルトに分類されがちなテーマに、こういうアプローチの仕方があるのかと思いました。

その中で、私の母のようなエピソードは割と共通して現れるようです。

しかし、子供の頃の私はしばしば救急車で運ばれるような弱さだったにも関わらず、「死ぬ」ということを思い煩うようなことはありませんでした。

具合が悪すぎて、生きていること自体で精一杯でそれどころではなかった、ということもあるのでしょうが、

「環世界」という概念を知って、それかなと思いました。


環世界(=Umwelt:ウンベルト)とは、ドイツの生物学者であり哲学者であるユクスキュル(1864〜1944)が唱えた考え方で、すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界である、というもの


例えば、犬は色盲だとよく言われますが、人間とは異なる「色」の世界を生きている。そして人間とは異なる「嗅覚」の世界を生きている。

我々人間は多くの情報を視覚から得ていますが、

深海の生物にはそもそも視覚がないものもいる。

それを不便と思うわけではない。自分の知覚を通じて世界を捉えている。

寿命の長さだって、我々人間からしたら、数日で死んでしまう微生物や蚊のような生物は寿命が短く感じるけれど、千年を超えて生きている縄文杉からみたら人間は一瞬の生き物に見えるかもしれない。

幼かった私にとって、「死」は割と身近にある割には深刻に意識されていないものだったのに対して、今の私のこの動揺ぶりはなんということでしょう。知恵がついたぶん、余計な思い煩いが増えました。考えたって結果は変わらず、何も解決しないのに、思考がそこに囚われてグルグルしてしまう。

実は数年前にも大腸癌の疑いで精密検査を受けたことがあります。

精密検査の結果、悪性ではないという結論でした。その時もどんより

した気分になっていたのですが、喉元過ぎれば…というヤツで、すっかり忘れて能天気に暮らしていたところ、今回また足元をすくわれたような感じです。

そして、今回も再検査の結果、影は水分の袋?のようなもので癌ではないということでした。

それでも、生きている限り、日一日と死へ向かって進んでいることには変わりありません。

私のことですから、また喉元すぎて能天気モードに戻ると思うので、この感覚があるうちに、当たり前のことが当たり前のようにあることのありがたみや、大切な人へ後悔しないように日頃の感謝や、伝えたいことを伝えておくこと、そして「自分のやりたいことを先延ばしにしないで実行すること」を肝に銘じておきたいと思います。

最後に漫画「阿.吽」より。


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