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クソどうでもいい仕事
クソどうでもいい仕事…
なんとも、過激な表現ですね。
この言葉は、文化人類学者のデヴィッド・グレーバーが唱えた英語の「ブルシット・ジョブ」を訳したものです。
あえて煽るような言い方です。
今、仕事は充実していますか?
仕事で日報を書いていますか?
それとも、週報?月報?
忙しい毎日の中で、日々の業務に流されていると気づかないものがあります。
少し立ち止まって自分の仕事を振り返る時間は必要ではないでしょうか。
2/3の日経新聞朝刊の「春秋」欄に
「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」とその対極にあるエッセンシャルワークについて述べられていました。
社会にとって無意味な仕事。
文化人類学者のデヴィッド・グレーバーがそんな現代の仕事群を「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)と名付けました。
彼によると、この「クソどうでもいい仕事」は、技術が進むほど増殖するらしいです。
折しも、プレジデントにも「ブルシット・ジョブ」とエッセンシャルワークについて書かれているのを見つけました。
先述の春秋では、エッセンシャルワークは「見守り、声をかけ、世話し、寄り添う、他者を思いやる仕事群である、」と言っています。
グレーバーは、労働とは本来「生産」ではなく「ケア」だと語ったのだとか。
私の会社でもスピーチで、「働く」とは「はた(=周囲)を楽にすること」だと語った人がいたのを思い出しました。
誰かの役に立つこと。
誰かに喜ばれるから、結果として報酬が、もたらされるのだということ。
利益至上主義に走って、効率、効率と追い求めているうちに忘れていること、見落としているものはないか。
原点に立ち返って考えてみる時なのかもしれません。
さて、私の今日の「仕事」は、「ケア」だったでしょうか。
「ブルシット・ジョブ」だったのでしょうか。
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