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オランダで自分が好きなものを取り戻した話

「オランダの音楽院に留学して一番よかったことはなんですか?」

こう質問されていつも困ってしまう。何を挙げればいいか迷うほど、たくさんの答えがあるからだ。

その中でも、自分がかわいいものが好きであることを思い出し、それを自分に許すことができた経験は、いまでも私の生きる糧になっている。

最初のきっかけはカササギだ。ハトほどの大きさで、真っ黒な頭に、黒とブルーと白の三色の翼、エメラルドグリーンの長い尾をもち、脚も黒い。そして白いおなかがなんともぽってりとしているのだ。飛べるかどうか心配になるくらいちょっと重そうな体つきをしている。

そして、はじめてこの不思議な鳥を見た時、その姿と形が日本に残してきた飼い猫を連想させた。彼女も同じようなバランスの白黒の柄をもち、フワフワで真っ白な毛で覆われたおなかがポテポテして愛くるしかった。

以来、カササギが近くに来るたびに愛猫を恋しく思い出すようになった。次第に「かわいいね」とカササギに向かって話しかけるようになっていた。そしていつも少し泣いた。

オランダでは市街地でさえも水鳥が多いことに気付いた。彼らは人々が行き交うすぐそばで、少しも遠慮することなく堂々と暮らしていた。

国中に張り巡らされた運河は道路とほぼ同じ高さに作られ、柵などの隔たりがないからだ。少し手を伸ばせば撫でられそうなほど近くに、白鳥やオオバン、エジプトガン、あひる、鴨などがのんびり泳ぎ、ついばみ、昼寝をしている。民家の庭にも我がもの顔でやってきては羽繕いをしていた。

鳥たちは子育ても丸見せで、ピヨピヨ鳴きながら親鳥についていくヒナをまぢかで観察することができた。私は運河沿いを歩く足を止めて「かわいい、かわいい」と言いながらいつまでもその様子を眺めていられた。

そのうちに気がついたのだ。

「かわいい」と口に出すと心がほぐれることを。かわいいものを見ると苦しさや辛さが楽しさにすり替えられることを。

あぁ、そういえば、私はかわいいものが好きだった。いつの間にか、そんな大切なことをすっかり忘れていたのは何故なのか、運河沿いの公園で鳥を見ながらゆっくり振り返ってみた。

私は35歳の時にオランダに留学した。クラシック音楽を勉強するためだった。それまでは社会人だった。高校を卒業すると同時に秋田の実家を出て都会で就職した。

本当は大学に進学したかったが、父親が家業に失敗したことであきらめざるを得なかった。それは私の人生で最も過酷な我慢だったが、妹と弟が高校へ通えるため、さらには父が借金を順調に返済するために実家にお金の迷惑をかけずに生活することが長子の私には課せられた。

就職のために大都会にポツンとひとり生活することになった19歳の私が最も不安に思っていたのは、身の安全だ。東京はおっかない場所で、すぐに騙されてお金をとられたりすると常に聞かされていたからだ。

悪徳セールスや勧誘にひっかからないためには、とにかくナメられてはいけないと考え、まずは秋田訛りが出ないよう細心の注意を払うことから始めた。私が地方から出てきたばかりの人間であることがバレないようにするためだ。

そのうちに、マスコットをカバンにつけることや、キャラクターがプリントされたハンカチを持ち歩くことも止めた。ファンシーなものを身につけることは、女の子らしく弱い存在であることの象徴だと考えたからだ。

弱くてはいけない。ナメられるもんか。この2大ポリシーを守ったおかげでその後25年間は何かに騙されることなく生き抜いた。でもその結果、私は自分がかわいいものが好きだということを忘れてしまった。

そして、思いもよらず海外に留学をすることになった。

私は結婚して10年目の夫を日本に残して、言葉も文化も異なるオランダ王国に引っ越した。秋田から東京に出てきたことなど比べものにならないほど大きな環境の変化だった。

それにも関わらず、私は19歳の時のように心のバリアを張る必要はなかった。なぜなら、年齢や出身地、学歴、性別、長子か否かによってあるべき姿を押しつける色眼鏡がオランダになかったからだ。

相手が誰であっても率直で正直に話をするオランダでは、異邦人の私も心の扉を開けっぱなしにしておく必要があった。ひと回り以上も年下の学生たちとモーツァルトについて議論する授業でも、クラシック音楽の最前線で活躍する教授とのレッスンでも誰もが対等に話せ、わからないことをわからないと堂々と言える環境だった。

もはや本心を閉じ込めたり、自分を強く大きく見せる必要がなかった。むしろ、正直であればあるほど生きやすい国だったのだ。私の中の素直な気持ちがだんだんとよみがえってきた。

そして、鳥たちがきっかけで私は本当はかわいいものが大好きな人間だったことを思い出した。そんな私を弱いものだと見下す人はいないことにも気づいた。かわいいものを見てキャーキャー騒ぐことを我慢する必要はもうないのだ。

すると、道端のチューリップや野生のウサギ、放牧されている羊や牛、古い教会のレリーフ、19世紀の建物の小さな階段、流行っていたフラミンゴ柄のシャツ、アイスクリーム屋の看板、アンティークのピアノの譜面おき、ビールのパッケージ、デルフト焼きのタイルの柄、国立美術館の床の模様、スーパーマーケットのCM、シンタクラースを祝うお菓子、新年に食べる揚げドーナツたちが、いっせいに私の目に飛び込んできた。もちろん、そのすべてがかわいかった。

学校を卒業して日本に帰ってきてからはゆるキャラ目当てに旅行し、ぬいぐるみやマスコットを人目をはばかることなく買えるようになった。自宅にそれらを並べて、勉強やクラリネットの練習するとき眺めると心が落ち着く。楽器ケースやカバンにはお気に入りのキャラクターのステッカーを貼り、猫やウサギのイラストが大きくプリントがされているTシャツを着て堂々と都会のまん中を歩いている。

そうしていると、私は心を自由に使えるのだ。多少のことは気にせずに、私が進みたい道を歩くことができる。迷ってしまう時もあるけれど、心の羅針盤がスルっと方向を指し示してくれる。自分に嘘をつかなくてすむことが、コンパスの動きをスムーズにしてくれるんだろう。

無事に生き抜くために強い決意でかわいいもの好きな自分の心を封印した私だったが、本当に好きなものをごまかさずに好きだと言えることが、これほどまでに生きる上で大切なことだとは思いもよらなかった。

かわいいもの好きだということを思い出すことができ、本当によかった。

これがきっかけで私は嬉しいことや悲しいことに素直に反応しながら、自分の心を丁寧に扱えるようになった。そのおかげで、自分にも周りのひとにも穏やかに接することができるようになり、とても心地よく生活できるようになった。

かわいいものは、かわいい。そして私はかわいいものが大好きだ。











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