「頼りになる」ということは、果たして人の役に立つことなのか? (2021年2月更新)
責任感が人一倍強く、真面目な性格は、生まれつき。
これまで、置かれた状況下で、自分なりに精いっぱい誠意を持って周りの人に接してきたつもりです。「好かれる」よりも「信頼される」ことを優先し、とにかく正直に生きてきた人間だと思います。
やると公言したことは、最後までやり通すのが流儀でした。
そんな私が、長年精魂込めて築き上げてきたある活動に休止符を打つ決断をしました。今公言してしまうと迷惑をかける人がいるかもしれないので詳細は伏せておきます。(またいつか詳しくお話しする時が来ると思います)
その決断をした時は、今からお話しすることには氣づいていなかったと思います。でも決断させてくれた状況の流れの中には、既に存在していた氣づきだと思います。時間差で現れてくれたので、今の氣持ちを素直に書き留めておきたくなりました。
その氣づきとは・・・
健全な境界線を保つには、「頼りになる(Being dependable)ことが、人の依存性(dependency)を助長する可能性をはらんでいる」事を自覚する必要があります。自分にはその自覚が足りませんでした。
ということです。
「頼りになることは人の役に立つ」と今まで信じて疑わなかった自分の価値観が、根本から揺らいでいます。
リーダーとして、専門職者として、教育者として、人に頼られる立場に長く身を置いてきた者として、自分の存在自体が、今自分が一番問題視している「押しつけの依存性」の問題の根本になる可能性を秘めていたということです。
「問題だ!」と他人や社会に向かって指差していた問題の根本は、自分にもあったということです。
かなり打撃の大きい氣づきに、たちなおるまでは結構時間がかかりそうです。でも諦めてはいません。
生きていると失敗だらけです。今までも違う場面で同じような失敗を繰り返してきたことにも、改めて氣づきました。それが子育てのことであったり、人間関係のことであったり、いろいろですが、これからの私の残された人生の大きな課題として受けとめています。
素直に、自分らしく、自分を大切に、周りの人を大切に、そして謙虚な氣持ちを忘れずに、これからも元氣ウェイをあるいていきたいと思っています。
これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
東野たまさんの詩を読んで、この記事とつながった氣づきを投稿しました。よかったらご覧ください。
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