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「赤ちゃん」の解像度の話|10m12d

子を産んですぐの頃、おむつのCMや赤ちゃん番組に登場するプリプリの「赤ちゃん」と、目の前のフニャフニャの新生児があまりにもかけ離れていて驚いた。どちらも同じ「赤ちゃん」なのに、まるで違う。赤ちゃんをみて「大きい…!」と感じるなんて不思議だった。

子を産むまで、私の中の「赤ちゃん」の解像度は、かなりぼんやりとしたものだった。「赤ちゃん」と「子ども」の境界線すら曖昧だったように思う。

街で見かける小さな人達を、なんとなく「小さい子」と認知はするものの、何歳くらいかなんて全然分からなかったし、そもそもあまり気にしていなかった。

友人の子ども達と触れ合う機会も多々あったのに、そのとき何ヶ月だったとか、どのくらいの期間でどのくらい大きくなったかとかは、正直あまり覚えていない。

それがどうだろう。自分で子を産んでみると、見える世界は一変するものである。

自分の子の成長はもちろん、子育てひろばに通う他の子達の変化や、同じ年頃の子を持つ友人のSNS投稿を、点ではなく線で追っているうちに、「赤ちゃん」の解像度はどんどん上がっていった。

「△△ちゃん、もうハイハイしてる!てことは来月にはうちの子も?」
「〇〇ちゃん、ついに離乳食スタートかあ。がんばれ〜」

一言で「赤ちゃん」といっても、そこには刻一刻と変化する「赤ちゃん」の、それはそれは細かいグラデーションが存在するのだ。

そして自分の解像度が上がると、他人が「赤ちゃん」をどのくらいの解像度で見ているか、ということにもついつい敏感になってしまう。駅のエレベーターで「あら、6ヶ月くらい?」とドンピシャで月齢をあててくるマダムには、同じくらいのお孫さんがいるのかな?と勝手に想像するし、恐る恐る「今何歳くらいですか?」と聞いてくれる後輩の赤ちゃん慣れしていない姿には、「わかる〜私もそんな感じだった〜」とこれまた勝手に思う。

我が子もついに10ヶ月。「赤ちゃん」の期間は確実に終わりに向かっている。

ついこの前まで、道行く「赤ちゃん」はみんな大きくみえて、「おもちゃ自分で持ててる!かわいい!」「わあ、あの子しっかりお座りできてる。すごい。」なんて思っていたのに。最近は「ちいさい…!おとなしく寝てる〜〜尊い〜〜」と、月齢の低い赤ちゃんを愛でることが増えた気がする。

さて、次は「幼児」の解像度を上げにいくとするか。先はまだまだ長い。

引っ越しのドタバタの最中、陽を浴びて発光する子が美しかったので。

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