光のシゴトは愛のシゴト·͜·ᰔᩚ🌈
何年か前に
ヒトの魂の成長過程が
木🌳で見える時があった
確か光と闇の争いみたいなのを
ビジョンで見た頃と思う
自分に自信をなくして
諦めてしまったヒトなどは
蓋がかかったようになり
木の幹も変色してしまっている
人によっては
自分を過小評価しすぎて
切り株みたいになっていたり
もちろん
どこまでも伸びる大きな木として
そこにあるヒトたちも多くいた
ワタシは夫と共に
三本柱のように立っていて
ワタシは夫の斜め後ろに
夫ともう1つの柱に守られるように立ち
高い位置に大きな節の穴があって
そこから真っ白な光が漏れ出ていた
白い光
それは
愛の光なんだ
その時に感じた
光は愛そのもの
ワタシは
それから引きこもるように自分と向き合い
多くの感情と向き合った
それまでたくさんの経験を積み
味わってこなかった感情を
まとめて味わうような
そんな期間だった
キリストとか
ブッダとかなんかも感じた
日本の神々や
レムリアの水の女神なんかもあらわれた
悪魔だか魔物だかもあらわれて
イザナギイザナミと思わせて
イザベルという
悪魔の子が生まれるって感覚とも対峙した
あの時はこわかったなぁ
どうなっちゃうんだろうと思った
ワタシのせいで
この世にサタンの子生んじゃうのかなとか
さすがにビビったけど
それだけ当時のワタシは
正義と悪に分けていたのだろう
それを手放すため
悪魔や魔物を恐れるのは
ワタシの中にそのような世界があるから
だったのではないかと思う
ヒトは創造主
争いの世界を創造すれば
その世界に生きて争いはなくならない
ワタシはワタシのナカに
愛と調和の世界を創り出そうとしていた
ワタシという1人のヒトは
まるでちっぽけな存在にも思えるが
このカラダも
このココロも
ワタシが1つの宇宙のように存在して
ワタシやワタシの周りの現象は
世界の縮図だったりする
庭のゴミを拾って
家の中の不要なモノを片付けて
そうすることで
浄化され整うエネルギーがある
排水溝を掃除して
水回りを綺麗にして
そうすることで
流れが良くなる水のエネルギーがある
ヒトと争わず
平らで等しく尊重して大切にすると
争いのない
愛と調和の世界が創造されたりする
そんな意味のわからないような
ホントのハナシが
昔のワタシなら
こいつビョーキでイッちゃってるな
と思うようなコトが
たぶんそうなんだろなーみたいに思える
それほどに
一人一人の影響力は強い
自分が何をしたところでと
卑下してふさぎこんでも
どこかでそれを補うエネルギーが働くから
大丈夫だったりする
あ。
と、目覚めた時に
意識して
世界を創造していけばいい
そうやって見えないトコロで
支え合い助け合いが行われている
だから
おかげさま
おたがいさま
その精神は忘れたくない
ワタシは父親とはほぼ縁がなく
父の人柄もよく知らないままに
両親が離婚して
だから父を恨むほどの情報もないのに
父親って存在が苦手だった
父親的なエネルギーを感じるヒトも
なんか嫌だった
ミニオンとかマイクとか
目玉のキャラは好きだけど
鬼太郎の目玉の親父は無理だった
オレは親だぞみたいな
偉そうに指図する感じも無理だった
体育会系の上下関係も意味がわからない
でもそんなのはいつしか
キリストと天の父だかも
鬼太郎と目玉の親父的な関係
だったんだろうなとか
そりゃ嫌になるよなとか
なんかわからないけど
理解を示したりした𐤔𐤔
いつからかワンネスという考えに
自ら入り込んでる感じがあり
ワタシはあなた
あなたはワタシ
ふたつはひとつ
愛のかたまり
みたいなコトを
ワタシの感覚世界で言うようになった
あらわれる神的なモノたちと
そうやって統合したりした
数年前のいつからか
ワタシがやるコトをやったら出逢えるご褒美のようなヒトがいる
そんな感覚が湧き出てきて
それは夫かと思った
それも間違いでもないけど
それは目に見える世界での話で
結局は
ワタシの内なるモノというか
愛の源
根源の愛
そんなのと繋がるって意味なんだなと
今は思う
実際に
たぶん昔のワタシは嫌っていたであろう
天の父宇宙のお父さん的なモノと
繋がってる感覚がある
みんな繋がってるんだけどね
でも近しく感じるというのかな
愛を知る
愛を学ぶ
そうするコトで
目に見えるこの世界でも繋がる感覚
そりゃ相手は
愛の源ですからねみたいな
ワタシは信仰心もないし
無宗教だから
ワタシこそ
何言ってんだって感じだけど
その立場であるのに
感じるモノがあるから
否定しようがないでもある
よくスピリチュアル的なモノを
シゴトにしてるヒトがいて
女神覚醒とか
おぉー
何言ってんだ
って感じで
やや引いてたけど𐤔𐤔
ワタシはワタシで
光のシゴトを表立ってするのかな
なんて思ったりした
というか
みんなそれぞれやってるコトはそれに繋がる
だから誰が偉いも
上も下もない
どっぷり悪役みたいなヒトも
その役割をしっかり果たしている
どうであってもいい
そのエネルギーバランスの調整は
宇宙の管理下で行われるみたいな
ホントは滅びるはずだった
でも長らえた
そうであるならば
一人一人がどう生きるか
何かを嘆き悲しみ
何かや誰かのせいにして
ただただこの人生を終えるか
まだ見ぬ地上の楽園を
この地に創りあげるか
目に見えないモノたちは
総出ですべきコトをはじめている
それぞれが
それぞれの想いをもって
個々の想いを叶えるように
1人はみんなのために
みんなは1人のために
たった1人の力が
大きな力となることを知っているから
集中して
今に取り組んでいる
ヒトには
創造のチカラがある
愛と感謝のエネルギーは
素晴らしいモノである
ある程度の経験を終えたモノは
愛を学ぶコトとなる
愛と思ってたそれは
愛と思い込んでいたそれは
真実の愛であったのか
自分自身を確立するは
自分の愛を確立するも同じ
どうであってもいい
どれも愛なのだから
その中で
自分はどのような愛を思い描くのか
制限のある
縛りのある愛を楽しむもよし
自由そのものの愛もまたいい
どうであってもいい
愛は笑顔だからね
あなたが笑顔でいられるならば
誰がなんと言おうと
それは真実の愛である
もし笑顔でいられなくなったならば
またやり方を変えてみたらいい
どうであってもいい
自由なんだ
愛は縛らず
自由にさせる
ワタシの愛はそのような愛だ
だから自由に楽しんでおいで
あなたたちが楽しんでいるならば
それはワタシの喜びでもある
あなたたちが苦しんでいるならば
それはワタシの悲しみでもある
ワタシも共にある
いつも
あなたたちと共にある
どんなあなたたちも
ワタシのかわいいコドモたちだ
誰が否定しようと
ワタシは否定しない
みんなワタシの
かわいいコドモたちなのだから
これは宇宙のお父さん的なモノの
メッセージなんだろうな
ワタシであってワタシでない感覚
何かキーワードみたいなのを書くと
急に現れる
シンクロ
同調
そのエネルギーを使って
表立ってくるんだろうな
別にワタシはどうであってもいいし
良くも悪くも
あらゆるモノがどうでもいい𐤔𐤔
だからいいんだろう
空っぽの方がいい
そんなこんなで
光のシゴトみたいなのを
するのかなと思ったりした
いや元々やってるとも思うけど
意識してやる
意図してやる
みたいな感じなのかな𐤔𐤔
そういや
愛に生きて
とかメッセージを感じたりもしたけど
愛は光だから
光に生きてでもあるのかな
別に闇も悪じゃないけど
光と闇はバランスでしかないし
ヒトのナカにあるバランスと思う
鬼もヒトの中にいるしね
光のシゴトを意識してやる
なんか変わるのだろうか𐤔𐤔
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