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アメノウズメからの気づき🌈

うずらの卵のハナシで

ワタシは
ウズメを思い出した

ワタシが感じるメッセージって
こんなもんで

ふと
あの人がうずらの卵の話してたな

なんて思い出すと

あ、ウズメ…?
となり

ウズメにエネルギーを繋げるように
意識すると繋がるみたいな感じ


今朝はアメノウズメ

ワタシはアメノウズメには
思い出があり

前にふと気になった神社に立ち寄ったら

そこには
アメノウズメの像があり

その像の胸の所に
ペンで落書きがされていた

あ…

ワタシはこんな風にされて
ウズメも悲しいよねと共感した

ごめんね
ヒトがやったコト

ワタシもヒトだから
これはワタシゴトでもある

悲しませてごめんなさい

そのように謝り

ワタシが一番気になったのは
その落書きをしたモノに対して

このような落書きをしたモノ
バチが当たるぞ‼️

みたいな張り紙があった

その張り紙が
ワタシには一番恐ろしかった

バチは当たらない
神は罰なんて与えない

ただ悲しかった
自分がそうされたら悲しいように

ウズメも悲しかった

そして
落書きをしたモノ

裸の女のヒトの像を見て
ついふざけてしまったのだろう

誰かが大切にしてるモノを
大切にしないのは

その誰かも傷つけることになるから

ヒトはみんな繋がっているから

自分を大切にして
そうしたら気づけることもたくさんあり

他の人も大切に出来るかもしれない

小さな子どもなのか
大きなヒトなのかわからないけど

そのヒトはただふざけて
目に見える自分の友達を笑わせたかったのか

笑ってくれて
嬉しかったのか

少なくとも
誰か大切なヒトを笑顔にできたのか

たとえば

高天原でうんこしたといわれる
スサノオは神だってのにどうなのか‪𐤔𐤔‬

神話の事実がどうとかはおいといて

ヒトが知る限りの神話が
想像したら創造されると思うからね

でもこのウズメの落書きは
スサノオがいる氷川神社であったもので

それもなんだかおもしろい

他の誰が許さなくても
スサノオは許すよ

なのかもしれない

スサノオだったら

だって
オレよりひでぇやついねぇだろ

なんて言って
笑ってそうだからね

上も下もない世界で
あえて下に下にと行くモノは

みんなにいいよいいよとしたいから
かもしれない

大丈夫だよ
みんなサイコーなんだから

オレなんてこんなよ?!

なんて言って笑って
みんなを笑わせたいのかもしれない

だから見えない世界のモノは
ワタシを最たるバカといい

でも尊いバカだといい

みんなワタシの成長を
涙を浮かべて喜んでくれるのか

こんな魂もいつかは役に立つ

なんていって
創造主は可愛がってくれてたと聞いたが

こーいうことなのだろうか


そうそう
それはさておき

アメノウズメ

繋がった時に

ありがとう

と言われて

想いに共感しているワタシが
思い返されて

あ、ワタシが想いに共感した事を
喜んでくれてるんだなと思った

そうだよね
カラダに落書きなんてされたら
悲しいに決まってる

うちは2歳の娘と
手のひらにアンパンマン書いて遊ぶが

それとはちょっと違うよね

そして

ワタシが落書きをしたヒトを
怒るでなく

日本神話を知らなきゃ
このハダカのお姉さんが何かわからず

ふざけてしまうかもしれないよねぇ

だから神話が伝えられてないコトが
実は問題で

落書きしたモノだけのせいにするのは
違うんじゃないかと思った

それを喜んでくれていた


それは
ワタシはずっと母の想いを感じて

深い悲しみから出て来れない母に
自分を許せない母に

本当は愛の人なんだよと
信じて寄り添い続けて

ホントはワタシこそ
傷だらけだったのに

母の愚痴も言わずにいた

でも理不尽なことが多く
ワタシの中もいっぱいだった

そして今の夫のおかげで

ワタシは
母の愚痴が言えるようになった

夫もだんだん
母への怒りが溢れてきて

ワタシが愚痴ると
みんなで悪口大会みたいになっちゃうから

そうなるとワタシは
母も悪い人ではないんだよねとなって

ワタシはワタシを癒したくても
それができなくなるから

またなるべく言わなくなるのだけど

それに似てるなと思った

ワタシはただ
こんなことがあってそれが悲しかった

そう言って
誰かに共感してもらえたら癒される

ひどい❣️
信じられない❣️るみちゃんかわいそう❣️

と、ワタシばかりになると
母だって母なりに頑張ったんだよなと思う

一方的にワタシが善みたいなのは
居心地が悪い

でも
親に向かって何言ってるの❣️
みたいなのもしんどい

そんなのは本人が一番思っている

ワタシが夫に
初めてのように母のことを愚痴れたのは

夫がただその想いに共感してくれて
母を一身に悪いとしたりしなかったこと

夫も父親との関係で
似たようなモノがあったから

共感というあたたかい気持ちが
そこにはあったのだろう

それだけで癒され
それだけが最良だった

今となれば
溢れるばかりの想いは昇華され

笑いながら
なんだアイツー

なんて言えたりして
そこに重たい念はなかったりする

むしろ母の動向を
面白がって笑えたりする

それでいいんだろう
嫌なら離れればいいだけなのだから


そんなのを思い出して
ウズメもそれが良かったんだなと思った

だからちゃんと悲しめた

大丈夫じゃないのに
大丈夫ですといたけど

ただ共感してくれるモノがいたから
ちゃんと悲しんで想いを軽くできたよ

そんなコトなのだろう


誰かを悪人にするでなく

そこにある
変化を起こした方がいいモノに対して

考えるのが大切かもしれない

ワタシの次女もやんちゃで
ダメだってモノはきれいに手を出す

そして夫に怒られてるが

やはり
何がいいか悪いかの分別がないモノに対して

手の届くところに置いておいて
触ったらダメってのは難しい

本当に大切なモノは
隠しておいていいかもしれない

いつか見せたいと思うようなヒトが
現れた時に

実はね
なんて見せられるように

大切なモノ

それはそのヒトの想いのある
大切なモノでただのモノじゃないから

そこをまるごと大切にしたいとかね

ワタシは
みんな悪くないという思いがあるから

ある意味甘やかしてしまうのかもしれない

そういう意味では
子育てに向いてないのだろう

ワタシの母が
甘えと依存であったのも

ワタシのせいでもあるのだろう

夫は
バチコーンと頭を叩いたりして怒る

ワタシはその後に次女を引き寄せて
もう大丈夫だよとする

夫を悪者にするでなく

夫の怒りの奥にある悲しみを感じ

ヒトは思い通りにならないと
怒るらしいから

引き離して

次女には2歳だからわからないではなく
どうしてダメだったかを話す

正直
わからないよね

なんても思っている

カラフルな粘土と
グミの違いは

ある程度大きくなればわかるけど

いいも悪いもない
ほぼ神同等の思考である小さな子からしたら

わからねぇだろうなぁと思う

でも経験すると
わかったりもする

想いを知れば
共感のココロが湧いたりする

目に見えるモノばかりに目がいき
それが全てと判断すると

あまりに狭い

目に見えないモノのほうが
ずっと多いのに

シアワセを感じられるモノ
あたたかいモノは

そこにこそあるから

感じるココロを育てたいと思う

悲しみは
いつか愛になるという

慈悲ってやつは

悲しみを知るからこそ
誰かを思いやれるってことなのかな

だから
悲しい辛い苦しい痛いって経験を

させないようにするのでなく

その想いに共感したあとに

どんな経験も宝だから
良かったねと言ってやれたら

いいのかもしれない


ワタシが1人で母とこの面倒を
見ていた時は

1人でお父さんとお母さんの役というか
優しくありたいのそうできないとか

なんかいつも葛藤していた

でも今は
夫が時に不動明王になってくれるから

ワタシは大日如来でいられるみたいな
そんなのも感じている

不動明王からは
悲しみを感じたことがある

本当はそんな風にしたくない

ヒトが自ら立ち上がり
生きてくれればそれでいい

だからまさに
ココロを鬼にして

正義の剣を振りかざして

悪役となって

忘れてるだけで
ホントはみんなの願いの道に戻るように

導いてるのかもしれない

今はワタシを憎むだろう
でもいつかわかるよ

そうしたら
この時のことを

一緒に笑い合おう

なんて約束してるのかもしれない


ウズメからすぐに脱線するけど

ヒトの想いに
ただ共感するその姿勢が

善悪に分けずに
争いを生み出すことなく

重たい想いを手放させる
関わりとなるのかもしれない

した方も
された方も

それぞれの想いや
覚えてない約束があり

そうしてるのかもしれないもんね

今となると
その出来事は

ワタシにこそ

大切なことをわかりやすく
教えてくれるための出来事だったのかもしれない

こうして

むつむつとnoteに書いて

誰か大切なヒトに届くようにと

仕組まれてたモノ
なのかもしれないね🌈

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