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自分のご機嫌を自分でとるコトはトイレで尻を拭くと同じ·͜·ᰔᩚ🌈

ワタシは何もしたくない
ただ寝てただ楽して生きたい

そんなワタシも
トイレではちゃんと拭いている

どこもトイレットペーパーが当たり前にあり
ありがたいを忘れそうになるほどだが

トイレットペーパーがないと
気づいた時の緊張感は

ちょっとした天災が起きたくらいの
衝撃もあるかもしれない

日々の生活が
当たり前にあると思っている

それは

トイレットペーパーが
当たり前にあると思っている

も同意である

何を言ってるんだと
ワタシこそ思っているが

小さな出来事は
モノゴトの縮図のようにある

1人のヒトが
どんな想いで日常や生活を送るかは

日本の
地球の
宇宙の
あらゆる全ての

エネルギーに関連している

また何を言ってるんだと思うだろうが

ワタシだってそうも思うが

でもこれまた
事実だったりもする

目の前にあるモノが全てと思うと
感じられない

でも目に見えないモノが多くあると思うと
感じられるセカイがある

目の前に見えてるモノなど
ほんのごく一部でしかなく

それが全てと思い込み生きると

視野が狭く
苦しく

誰かや何かを恨んだり
妬んだり呪ったりするのかもしれない

感じるはココロ

ココロをなくすは
忙しくするコト

ココロをなくしたヒトは
木偶の坊とされ忌み嫌われていた

でも今は
忙しいが当たり前だったり

いいコトみたいになっていて
ココロをなくしやすい

余裕が無いと
入り込む余地がない

必要な情報や
誰かからのあたたかい想い

想いもまたエネルギーだからね


ワタシの母は
小さい頃は空想が好きだったらしく

ジブリやファンタジー映画が好きだったが

いつからか
満たされない想いが膨らみ

サスペンスばかり観るようになった

母には
目に見えないトコロで
誰かがよかれと動いてくれている

それがまるで感じられていないようだ

自分に見えるモノが全て

でも被害妄想ばかりとなり
何かや誰かのせいにしてる母の視野は狭く

母の目に見えるセカイなんて
昔懐かしのテレカの穴レベルに思える

もちろん自分を俯瞰して見ることなどなく

どれだけ自分が恵まれているか
わからない

自分は不幸でしかなく
失敗ばかりでついてないと思い

周りは楽して金もあって
不公平だと思う

人生を嘆きわめき散らし

悪いやつはうまいことやって
金もあってシアワセなのよ‼️💢💢

と全力でワタシに怒鳴り散らす

何かにつけて
ワタシに怒鳴り散らす

ワタシは母から離れたことがないから
離れないもんだと甘えるのか

全くワタシに関係の無い出来事も
ワタシがその悪の張本人のように

睨みつけ
怒鳴り散らし
何日も何日も無視したりする

悪いことはあんたのせい

それをちゃんと
貫き通す

そんなワタシの母がいる


母は今まで住んだ土地を
まんべんなくちゃんと恨んでいる‪𐤔𐤔‬

なんかもう
笑ってしまうのだが

エネルギーレベルで見ると
結構やばくて

一時期は
母が献身的に(笑)恨んでた土地が

台風やらなにやら
あらゆる被害が起きるようになった

ワタシは昔は
エネルギーなんて知らず

ヒトの想念がどのようなモノかも
知らなかったから

母の理不尽なその土地への怒りは
ただ受け流していたが

エネルギーを知り
その土地に不思議なくらいに問題が起き

ちらりとそばに居た母を見た時に

その土地への母の怒りが

その土地に何かしらの
影響を及ぼしている気がして

ワタシは青ざめて母に言った

「お母さんはエネルギーが強いから、もうあの土地を恨むのやめた方がいい」

そう言うと
「失礼ね❗️ワタシのせいじゃないわよ❗️💢」

なんて
またちゃんと怒っていたが
それから母はあからさまに言わなくなった

それからすぐ
その土地の被害のニュースは見なくなった

ある意味
逆にこわくもあった

どんだけやねん

ワタシの母のエネルギーの大きさもだが
ヒトが及ぼす影響の強さにだった

エネルギーは意識した方に向かう

エネルギーは使い方をあやまると
身を滅ぼす

エネルギーの強いモノほど
その使い方を間違えないようにしたい

呪うのではなく

感謝のエネルギーで
この土地や地球の浄化をしたい

この地球だって
まるで当たり前にあるが

文明は何度も滅びている

どうしてそれがまた起こらないと思うのか

ヒトは良くも悪くも
同じコトを繰り返す

良い方にフォーカスすれば
より良い時代があったのだからそうもなる

文明が発展した先に
その文明は滅びていく

文明が発展するのは素晴らしいコトである

でもそれと同時に
ココロをなくしてはいけない

あたりまえばかりになってはならない

どんなに便利になっても
どんなに発達しても

ココロをなくしてはならない

目の前にあるモノばかりを追えば
全てはすでに当たり前にある

でもそれは
誰かが誰かを想い

必死につくりあげていったモノでもある

その想いを感じる
そのようなココロを育てる

歴史を知る必要があるのはそのためで

そのような時代を生き抜いたモノがいて
今がある

それには
感謝しかおこらないだろう

あって当たり前どころか
もっと便利ならいいのにと不平不満では

そのモノも浮かばれない

便利になると
あるが溢れて

ありがたいコトを忘れがちである

不便な時の方が
ないが溢れて

あるがありがたいと感じる

そうすると
不便な方がいいのか

文明は発達しない方がいいのか

知恵をつけず
裸でいるコトを恥ずかしく思わない方がいいか

知恵をつけて
羞恥心をもった方がいいか

アダムとイブが食べたリンゴは
ヒトに感情を与えたのかもしれない

愛そのもののセカイ
それは素晴らしいが刺激もない

感情は魅力的だ

知らない想いを知るコトができる

悲しみの涙も
もう終わりのような苦しみも

胸を引き裂くような想い
胸を焦がすような想い

あらゆる感情は魅力的だ

それを経験したくて生まれてくる

リンゴを食べて
裸でいるのが恥ずかしくなり葉っぱで隠す

羞恥心

恥じらい

かわいらしいじゃないか

いつも裸で大の字でいてもいいが
恥じらいを持ってるのもかわいらしい

感情があるのは
かわいい

怒ってるのもかわいい

悔しくて泣いてるのもかわいい

誰かのせいにしちゃうのだってかわいい

はずなのだけど

かわいいと思えないような
度が過ぎた感情も溢れている

全てはおたがいさまで
おかげさまなのに

あいつのせいで
あいつがいなければ

時代が社会が悪い

いいも悪いもないセカイで
よくもまあこれだけ善悪ができたモノで

ヒトの生み出す想念が
自然でも循環しきれずに溢れ出して

目に見えるモノは
目に見えるモノに影響し

目に見えないモノは
目に見えないモノに影響し

目に見えるモノと
目に見えないモノは相互作用があり

全てはつながり
今をつくりだす

つくりだされた今は
どんな今だろうか


怒りを爆裂に撒き散らすモノがあれば
それを忌み嫌うモノがでて

感情に蓋をしたり
その感情を悪として

その感情を持つ自分を責めたり
めんどうなコトになる

親などあらゆるオトナたちが
コドモに影響を及ぼし

コドモはそれを受け継ぐ

いいも悪いも受け継がれていく

お母さんがイライラしながら忙しくしてたら
そのコドモもその価値観となる

母になるモノは
同じように生きたりする

父になるモノは
母をそのようなモノと思ったりする

時代が変わっているのに
違和感を持たず昔のままにやれば

そこに不協和音が生まれ
美しい旋律は生まれない

時代の変化とともに
その時代にあったやり方をしたい

嫌だと思うコトを他のヒトにしない

そんなヒトとして
当たり前なコトを大切にしていれば

悪習慣を引き継ぐコトは
防げたりする

親が自分にキレ散らかしていても
自分がそうされて嫌だったからと

自分がやらなければそうはならない

親に縛られて嫌だったならば
親と離れて自由に生きれば

子も自由に生きるを選択出来る

親子でなくとも
学校や職場でもなんでも

関わるオトナはコドモに影響を及ぼす

オトナが自分は正しいとすれば
自分の想いを押し付けるコトとなる

優しさは押し付けない

押し付けるは優しさでは無い

でも
人に親切にしろとか
自分より人を大切にとか

そのような教えが

自分をないがしろにして
自分に余裕が無いのに

他人に手をかけ足をかけ

自分のご機嫌をとることなく
他人にやってあげることが正しいことだと

優しさだと

それは押し付けているだけだから
相手は気持ちよく受け取れず

ひたすら押し付けるモノは

自分がやってやってるんだから
相手もやって当然となるから

相手から満たされるコトはなく

自分が人にやって当たり前と思うように
相手も自分にやって当たり前となるのか

全ては当たり前だから

感謝なんてモノはなく

やってはじめて
最低ライン

それでは皆が疲弊してしまう

日本古来からある

おたがいさま
おかげさま

どちらかがやってやった
一方的にやられた

なんてモノは
エネルギー的には実は存在しない

全ては相互に関連する

いいも悪いもなくね

いいと思えばいいし
悪いと思えば悪い

それだけのコト

刺激の強いデキゴトの方が
気づきの多いデキゴトにもなる

クソだなという相手こそ
神のような存在でもある

そのような視点をもちたい

誰だって神や女神でありたいだろう中で
あえての悪役をしてるモノがいれば

それはまた尊い存在でもある

自分がやりたくないコトを
やってくれるモノと思えば

感謝もあらわれる

ぶつかるのは
近すぎるからかもしれない

摩擦が起きるのは
擦り合うほどそばにいるからかもしれない

影響を及ぼさないほどに
離れてみると

見えてくるモノもある

そばにいると気づかないのは
そばにいると役目を意識するのかもしれない

お互いに

親であるからとか
子であるからとか

その前に1人のヒトであるのに

そうであれば
上も下もなく

等しくお互いを尊重しあえる存在なのに

そばにいるから
役目が生まれて苦しいのかもしれない

時が来たら
離れていい

離れたいと思ったその時に
離れていい

ココロは生きるの道標だから

そう思ったことを否定せず
悪いことなんて思わず

ココロのままに進めばいい

そうすれば
ココロは軽やかに

今までの重たさなど忘れて
今を楽しむコトもできる

離れてもなお
そばにいるかのように

誰かのせい何かのせいにするコトなく

そのときばかりと
目に見えないモノに集中するでなく

新たな1歩を踏み出したら
目に見えるモノを味わおう

環境もヒトも
あらゆる変化を楽しもう

行動を起こした自分を褒め讃えよう

自分は自由だったんだ

そう思って
自由を手にした喜びを噛み締めよう

今までお疲れ様
よく頑張ったね

これからは
自分の人生を生きなさい

もう誰かのために生きなくていい

もう十分に
役目を果たしてくれているよ

だから楽しんで
自分の人生を

思いっきり生きたと
いつ来るかわからない最期を

そのように迎えられるように·͜·ᰔᩚ🌈


いつも途中から
ワタシの創造主みたいのが入ってくる‪𐤔𐤔‬

だからこれは
ワタシへのメッセージであり

ワタシは全てだから
全てのモノへのメッセージでもある(と思う)

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