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意味を知らない言葉を旅する

「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。」

古今和歌集の仮名序が好きだ。

2年ほど前から和歌に興味を持ち始め万葉集や古今和歌集を読み始めた。

学生の頃古文は得意ではなかったので正直原文を読んだだけではあまり意味はわかっていない。

ただ、和歌を読み上げたときの、言葉の響きの美しさに惹かれている。

わずかな知っている言葉から、古の世界の景色や人々の想いに心を馳せてみる。その瞬間がとても楽しい。

思えばこれは、小学生の頃図書館で、少し背伸びをして活字ばかりの分厚い本を読んだ時の体験と似ている。

子供の小さな手にはずっしりとしていた村岡花子訳の赤毛のアン。

「更紗、天鵞絨、モスリン、シフォン」
どんな手触りなのだろう、どんな色なのだろう。

スマホなどなかった時代、言葉の意味を辞書で引いても写真は載っていない。
私の頭の中には色とりどりで奇妙で不思議な形をした、けれど夢のようなドレスが描かれていた。

素敵な男の子の鳶色の瞳は、なぜか私の中ではグレーで思い描かれていた。

シャーロックホームズで描かれる荒涼としたダートムーアの大地。
ヨーロッパの景色が思い浮かばなかった私の頭の中では、頁の隅っこに描かれたモノクロの挿絵の絵柄のまま、真っ黒な馬車が闇の中へ走っていく情景として描かれていた。

大学生になり、初めてイギリスに行った時。「これがあの物語の景色か!」と感動したと同時に、幼き日に思い描いた夢の世界が消えてしまったようなほんの少しの寂しさを覚えた。

手のひらに収まるスマートフォンで、世の中の大抵のことは知ることができてしまう今、あの頃のような体験はもうできないかと思っていた。

でも、和歌を読んでいると、そんな幼き日の読書体験を追随しているような気持ちになる。

知らない言葉を旅するということ。

それは今の情報社会においてとても貴重な体験かもしれない。

和歌の楽しみ方としては少し邪道かもしれないけれど、もう少しこの知らない世界を旅してみたいと思う。


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