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右手にブーツ左手にグローブ【サイドスタンド4】

 つまずいて周りをも巻き込んで苦しむ人を見て、私は安全で何も面倒なことが起きないことを幸せと思った。黙っていても、目の前に準備された方向に進めば、何の苦労もしなくてよかった。大人にとっては、とても良い子だった。
 過去をどんなに遡っても、身近な人間がオートバイまたは、バイクなどの言葉を発したのを聞いたことがない。
 免疫のない家にオートバイで帰ったら、家族は何と言うだろうか。いわゆる敷いたレールでは無い所に踏み出した私に、周りはどんな反応を示すのだろうか。




 帰りは自車校のバスで戻った。アパートの近くのバス停が自車校の停車場でもあった。5人ほど乗っていたが、自分が一番最後だった。

 貯めてもらっていたお年玉をこっそりおろして、中型二輪免許取得のための、自車校の受付を済ませて戻ってきた。 
 少し涼しい風が吹いた。ヒグラシが鳴いている。すぐ部屋に戻らず、彼が座っていた駐車場の縁石に腰をかけて、欅の木を仰いだ。

 想像する。大きなマシンを操って、どこまでも続く道を、ひとりで走っていく。
 青空を仰ぐ。雨が降りそうな曇り空の下を急ぐ。夕日を浴びる。様々な風を身体に受ける私の前には、見た事のない景色が広がる。そんな日が来る可能性に踏み出す。
 バイク店の社長に上手く誘導された感は否めない。断ろうと思えば断れた。でも、手を伸ばしたのは私だ。



 ばかじゃないの?見たことの無い景色?車に乗ってでかけりゃあ良いじゃない。車の方が断然楽。荷物も沢山積めるし、雨にも濡れない。 
 冷ややかに遠くから罵倒する。
  確かに私の、この行動は、大したことじゃないかもしれない。踏み出した1歩がどこであれ、なんであれ、これからの私の人生で大事な出来事になるのだ。誰も止める権利はない。

 レールしか走れない何者にもなれない良い子の私が、キシキシモヤモヤに取り囲まれ窒息して、消えててゆく。




 ヘルメットの注文書に記した私の住所を見て、
「もしかして、大きな木のあるアパートの子?何で言ってくれなかったの?」
 赤ツナギのボクちゃんが、1オクターブ高い声を上げた。

「はい?」
「や、とぼけないでよ。え?あっ!ああ、そうか。そういうこと!」
「何を勝手に納得してるんですか」
 何度かこの店に通っている内に、ボクちゃんの「お前鈍臭い」や「アホか」等の毒舌にも慣れてきて、かなり会話(口応え)ができるようになった。

「あの時、壊れたオートバイ、迎えに行ったの、僕だよ。知ってた?」
「何となく、そうかなと」
「あの後だよね?オートバイ乗ろうと思ったのって、あれから?」
「まあ、そんな感じ?ですかね」
「彼に憧れてとか?」
「オートバイに憧れて!です」
「あ、そう!へぇ~」と言いながら、カウンターの奥の事務所へ行ってまで「へぇ〜」と独り言を繰り返している。

 事務処理を終えたボクちゃんが缶コーラを持ってきて、私の前に一本置き、カウンターに座る。この店で飲み物代を払ったことがない。常連に飲料メーカーの営業マンがいるらしく、飲み物には不自由しないらしい。

「社長に言ったら面白おかしく茶化されるから、言わないね」と、ニヤリとする。

  ついさっき「ちゃんと選んであげなさいよ」とボクちゃんに言い残し、社長は出掛けていった。

「ありがとうございます。ですけど、なんか、秘密握ったぜって、顔ですよね。そんなんじゃないですから」
「ツーリングの映像いつも見てたから、これ見て、免許取るって決めたのかなと思ってた」モニターを仰ぎ、「映ってるもんね~」とわざと言う。
「会いたくても、絶滅危惧種くらいに会えないから」
「そうなんですね」
「あ、ガッカリしたよね」
「いえいえ」

「ふ~ん?サトさんはね。転勤したから、滅多にここに来れないのよ。オートバイは、工場にあるから見ていいよ。あ、でも、ベタベタ触んないでね。指紋つけないでよ。一生懸命磨いてんだから。仕事が忙しいから、たまーに来て、乗って、ここに置いて帰ってく。いつ乗ってもいいように僕が時々、バイクに呼吸させてあげてるの」

 サトさん。サトさんと呼ばれているのか。
「なんの仕事されてる方ですか」
「エンジニアだよ。オートバイや車より、もっと複雑なものを設計してるみたい。コンピュータと機械がなんちゃら言ってたな。ヤンチャなところもあるけど、さりげなく気を使える凄く優しい人」
 ボクちゃんの表情だけで、彼の優しさが伝わってくる。

「アパートの駐車場で、怒られてましたよね」
「だって、まさか、あそこまで押して歩いてるなんて思ってなくて。アハハハ!でも、僕の整備がまずかったからで、ちゃんと謝ったよ」
「当たり前ですよ」
「サトさんはね。『走ったから悪いところが見つかったんだ』って。で、バラして、おかしなところ一緒に探して。そんなことでも『楽しいね』って言える人。実際、僕より詳しいよ」

 確かに、あんな暑い太陽の下、ニコニコとオートバイを押して歩いてたし....

 そうか、そうなんだ、私が持ち得なかった熱を彼は持っていて……。それが羨ましかったんだ。

「だからさ、サトさんと一緒に走ると、みんなが気持ちがいいの。あのメンバーもサトさんの声がけですぐ集まったんだよ」
「ボクちゃんも大好きなんですね」
「も?」
「いや、皆さんもボクちゃんも!です。でも、あの映像には、ボクちゃん居なかったですよね」
「あぁ、あのメンバーはあのメンバーだけで、毎年同じ日に走ってる。僕がここに来る1年前だから、4年前か」
「毎年ですか?」
「そう。年に1回だけ」
「ボクちゃんは入れて貰えないんですか?」
「僕は関係ないの」
「ボクちゃん、嫌われてるんですか?そんな性格だから」
「失礼なやつだな。他の日は走るよ、あのメンバーとは。サトさんがここに来た時に休みだったら僕も走るし」
「ホントですか?」
「今年はもう5月に走ってる。6人で走ったんだよ」
「7人じゃなく?」
「そう、6人」

 ボクちゃんが羨ましそうに映像に目をやる。

サイドスタンド3

サイドスタンド5




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