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リベラルについて

政治ではよく保守主義と自由主義という分類をするが、僕はどうにもこの分け方に違和感を抱える。

前提として、僕は政治の本質とは濃淡をつけることだと思っているので、 ニ項対立で分類し一方の立場に身を置くことはしないのだが、

それよりもこの「保守」 と 「自由」 という言葉が本質的ではないように感じ、

同時にこの言葉に対する誤解から、作今の様々な対立が起きているのではないかとも感じる。


そもそもこれらの主義の源流は王政や貴族政による大衆への制限に対する人々の不満から端を発する。

その時、理性的な大衆が望んだのは、貴族の弾圧ではなく、自分達にも選択する権利を与えることだった。

この点で、 「自由主義」とは、個々人が自身の権利に基づき多様な選択ができることを重視する「選択主義」であると言える。

一方、理性的な貴族が大衆の自由な選択を危うんだのは、自らの利益のためではなく、衆愚政治の構造に陥ることへの危機感だった。

この点で、 「保主主義」とは、人々の利益が最大化されるように政治や社会構造を整えることを重視する「構造主義」であると言える。


選択の権利を広げ個々人の可能性を重視するか、社会構造を整え全体最適を重視するかは、「個人主義」「全体主義」とも言い換えられる。

だが「保守」という言葉を使う時、そこに「構造」も「全体最適」も書かれていないから、単に「今のやり方を守りたい人」だと思われる。

結果、自由主義が「改革的」「先進的」などと勘違いされ、新しい人と古い人の戦いというような体裁を帯びる。

建設的に議論するなら、 「これは個人の選択を重視すべきか、それとも社会構造による全体最適を重視すべきか?」という質問に変える方がよい。

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