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ニートは優秀さから偉大さへアップグレードする貴重な期間だ

どの小中学校の運動会でも「徒競走」「バトンリレー」は目玉競技です。
人気の理由の一つは、「走るスピードで競う」という分かりやすい競技性と、勝負の結果の分かりやすさでしょう。(それに比べて「玉入れ」は、競技終了後に玉を出してみるまでどのチームが勝っているか分かりづらい。)

僕たちは分かりやすい結果に惹かれる生きものです。それは社会でも変わりません。
学校のテストでは100点を追いかけて、大学受験ではいまだに「センター試験」という分かりやすいマーク式加点テストから脱却できてはいません。
会社ではあらゆる結果がKPIによって管理され、営業会社では社内での順位や先月の自分との比較を毎日のようにチェックしています。

こうした「競争文化」は、一見不変のものでありそうで、実は日本で深く浸透したのは高度経済成長期以降だったりします。
日本が他国に負けない経済成長を遂げるために、教育期や会社、特に工業において一本軸となる比類なきエンジンとして社会一般に浸透しました。
50~60代の多くの経営コンサルタントがKPIを中心に経営状態を判断しようとするのは、当時の時代を引き継いだ名残とも言えます。

一方、近年、単一の指標で測る「競争文化」は少しずつ変化の兆しに立たされています。
多様性を認める文化による後押しか、日本の経済成長力が他国に比べて劣ってきたことに意識を向けないようにするためかは分かりません。

どちらにせよニートにとってはこの上ないチャンスだと言えます。
僕たちは、これまでの学校・社会で「競争文化」を体に叩き込み、そしてそこから解放されることで、どちらも知りながら新しい価値観を自分に落とし込むことができます。

「優秀」であることと「偉大」であることは大きく異なっています。
優秀さとは他者との比較であり、他の人より速く走ることが要求されます。
一方、偉大さとは、高く飛ぶことです。世界を俯瞰して観察し、物事の本質を見抜きます。
チーターがいくら速く走ろうと、もし目の前に崖があったら落ちてしまいます。一方、タカであれば空から全体を見渡して、周囲がどうなっているのかを理解することができます。

かのソクラテスは「偉大」ではあったりましたが、「優秀」ではありませんでした。
偉大さとは世界を大きく見る力に他なりません。それは競争をしている時にはなかなか見ることができないものです。
ニートになったら、多くの哲学書や何十年何百年読み継がれているベストセラーを大量に読むことをお勧めします。
ニートである時間は、僕らを「チーター(優秀さ)」から「タカ(偉大さ)」へと自分をアップグレードしてくれる貴重な期間です。