彼の心情を惻隠する
彼の残した悔いが何だったのかを模索するにあたって
尼僧さんからいただいたヒントは、
「辻氏には理想があったはず
でも理想に近づいていくとき
自分自身に無意識についてしまう嘘があった」
というものでした。
彼がなぜ東南アジアに向かったのか
本書に書かれていることを簡単に要約すると、
ホー・チ・ミンと会談して
「ベトナム戦争を止めさせる」という目的があり、
まもなく訪米予定だった池田勇人総理に
それに関する情報をお土産として持たせる計画もあった。
ということらしいです。
何度も唱えていた生きる路のひらき方
彼はよく、
「死神に体当たりをして道をあけさせる」
という心構えを説いていました。
戦場に立つ前も、
戦場から離れても、
常に何かと戦っているようです。
十一面観音様の救済にご縁がありそうな生き様です。
信念を貫くために
彼の選択基準を想像すると、
「信念を貫くため」という言葉が湧いてきます。
辻さんの
時には演出と受け取られるほどの
並外れた行動力を知ると、
「信念を貫く」ことへの
強烈な気負いがあるように思えたんです。
「かくあらねば」を徹底的に実践することで、
自分が正しいことを自他に証明しようとしている
ようにも見えました。
…私自身に、
自分の尊厳を自分に証明するために、
「偉い」と思える人を師匠にしようとした
経験があるからかもしれません。⤵︎
陸幼時代に膨らませた復讐心
辻さんは幼年学校でも、自分を律することに妥協をしなかったそうです。
「鉄のような意志の持ち主で、堅物だ」という由来から
「鉄ちゃん」とあだ名されていたようで
生徒の誰もが学校職員をあだ名で呼ぶ中、辻さんだけは呼ぼうとせず
また生徒心得にあった「部屋にある暖炉に直接あたってはならない」という規定を、最後まで遵守したのは全校で辻さんだけだったというお話です。
このエピソードを知った時、
ソ連との戦いを前にした辻さんの信念と繋がった感覚がしました。
彼はそれまでずっと、
周囲に潜んでいる「敵」につけ入る隙を与えないよう
自分を厳しく律し、威厳を備えることで
「茶々入れ」や「嘲笑」を
黙らせてきたんじゃないかと思いました。
国同士の戦争においても、
彼個人がそれまでに実践してきた「敵を黙らせる」戦法を
確信を持って推し進めていた印象があります。
「これからの俺の行動は人生の付録である」
戦後に政界に足を踏み入れた際、
応援に来た人々に対して
「君たちの応援は誠に有り難いが
家業や勤務を休んでの支援は止めてほしい」
とお願いしたそうです。
そして、これからの自分のすることは人生の付録だと続けた。
私が「自分を甘やかす」と決めて色々とやっていた時期に、
たまに鎌首をもたげた葛藤が
この“今の自分は腑抜けている”という自責の念だったのですが
辻さんの「今日の私は沢庵石を取り去った漬物」と似ていると思います。
それまで、修行僧みたいな生活を維持することで
「研ぎ澄まされている」感覚があったのに、
便利さや情報の雑駁さに
踊らされていると感じることがあったり、
おなか周りの肉が気になり出したりするんです。
生涯をかけて「信念」のために自分を追い込み、
「正しさ」を自負にしていた辻さんにとって
この違和感がどれほどのものかを考えると
自身の足下が瓦解するような感覚があったんじゃないでしょうか。
…思い出しネガティブに入ります。
一つ、気になるエピソードがあります。
それが、最晩年の東南アジア潜行中の辻さんの選択です。
それまでの万事徹底ぶりから、
このエピソードだけが浮いていると思いました。
辻さん自身、これまでを振り返って
「一つの石にも、一本の木にも、弾丸が来たらそれをどのように利用するかに十二分の気を配りながら行動する。その研究と対策があってはじめて、大胆そうに弾丸の中を潜れるものだ。」ということを言っていたのに、
なぜここに来て変装に中途半端な妥協をしたのか。
眉を剃ることは、何か特別な意味があったのか。
少し気になっています。
話は飛びますが
辻さんの言動を読んでいると、
「あまり秘匿しようとしない人だな」
という印象を持ちます。
私自身これまでに、人から何かを聞かれて、迂闊に
個人的なことを喋ってしまったことを後悔したりしました。
警戒しているのに聞かれると答えてしまうのは、
「自分にやましいことがないことを証明しなくては」
という渡世の戒めみたいなところがあるのかもしれない
と思い当たったことを想起しました。
…自分ごととして投影しすぎですかね。
彼の話をしましょう。
「死んだ部下が私を呼ぶのです」
辻さん自身が率先して申し出た「東南アジア視察」ではありますが
単なる仕事のためだけではなく、
「死場所を求めて」という面もあるのではないか
と言われています。
辻さんのお墓は、日本を発つ前に本人が伝えていた希望を
家族が汲み、「四條畷の戦場が一望できる場所」にあるんだそうです。
負け戦だろうがなんだろうが、
やらざるを得ないからやる。
東南アジアを潜行する中でも、
そういう場面はあったのでしょうか。
辻さんの人物像を膨らませるのに、
本書には大変お世話になりました。
責務を果たすために帰るつもりではいても、
自らの死を予期しているようにも見えた辻さん。
「彼は何を悔いているのか」。
ここからは、自分なりに探っていくことになりそうです。
2024年2月8日 拝