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2024年3月20日 初心不可忘「悔いなき人生」を更新する

本日(2024年3月20日)、春分を迎えます。

西洋占星術では
十二星座の巡りはじめ(循環のスタート地点)になるため
「宇宙元旦」とも呼ばれています。

エネルギーが切り替わる、
仕切り直しの日…ということですかね。

旧い殻を脱いで
これからの1年間を溌剌と生きるためにも、

自分の変わったところと変わらないところを
見直していきたいと思います。

節目の宣言

二年前、「今が人生の節目」と思い立ち、
前半生の総まとめをしようと、
表現を試みていました。

noteでも、その流れに乗って
当時の意気込みを語った記事を書きました。

自身の迷いよりも
「こうあるべき」が大事だと強く信じていて、
自身の言行一致にも少なからず自負を持っていた
当時の勇ましさが滲んでいます。

いろいろと書いてきた中でも
群を抜いて「スキ」をいただいた記事の一つです。

当時いただいて嬉しかったコメント

メールで届いていたコメントのお知らせ。
(当時参加していたコミュニティでいただいた感想です)
二年越しに読み返して、懐かしさと嬉しさを感じました。

人生を計する

だいたい二年前の私が
「悔いなく生き切るには、を考え」たところ、

・いかに人生を完結させるか(どう生きたいか)
・そのために今どうするか

を当時の率直さで表現することになりました。

「どう生きたいか」という自問には、
「周りの人にとっての“益友”でありたい」
と答えました。

そのために
「今、どういう習慣を選ぶか」
については、

「合わないと感じる人に対しては、
 無理をして深入りしようとはせず」

日々、

「周囲の環境をよく観察し、

 朝の貴重な時間は
 思考整理や本を読むことに使い、

 身に堪えるような良書を選んで読み、

 変化の中に身を置いて、視野を広げる」

よう心がける…

といった主旨の方針を宣言しました。

あれから二年を振り返って、

等身大の自分を直視してみると

「変化の中に身を置いて視野を広げようと試みる」
ことは実践していたと思いますが、

「朝の時間を有効に使う」ことについては、
それまでやっていた早朝4時起きを続けること
に無理を感じ、諦めた節があります。

ここに至るまでの途中で
クロノタイプ診断というのをやってみたところ
自分が夜型(オオカミタイプ)だった事がわかりました。

早起きして三文得しようとしても
身体がついてこないらしいので、
おとなしく身体に合わせようと決めました。

起床後に
思いついたことを書き留める習慣
は残っているので
これが思考整理の一端だと言い張ってみます。

「本を読む」ということに関していうと

古典の読み解きをしたり、
興味のある分野の本を読んだりして
良書との交流もしていましたが、

無料のWEBコミックを
これといった感動もなく流し読んで
「わたし何やってんだろ…」
と思う時間は、
(俯瞰すればほんの一部であっても)
「できていない」判定をする材料として
印象に残っています。

あとは…
SNSに気を取られた時間も
誤魔化せないくらいには、あります…。

SNSをみているうちに不安が膨らんで
「周囲を観察する」よりも、
自分のペースや心理的安全圏みたいなものを
守るために
むしろ情報をシャットアウトしようとしていました。

…やったことのないことをやってみて
受け取った結果なので、後悔はありません。
同じ過ちは避けたいところですが。

今の私が「どう生きたいか」を考えると、

二年前から変わらず
大事にしたいと思っている指針はあります。

変わらない方針

それは、
「素直に良いことを吸収して、成長をやめない人」
であること。

具体的には、

一、自分の感覚に耳をすませて
  気持ちが明るい方を選択する。
  適度な好奇心と探究心を持ち続ける。

二、間違いに気づいた場合は素直に認めて、
  改めるべきところは改める

三、他者との線引きを弁えて、
  万一正常な判断ができないような
  感情の揺らぎがあれば、
  よくよく自己対話して原因を特定する

これを心がけていれば
自分を取り巻く仲間にとっても、
「益友」で居られるんじゃないかと思っています。

命名の実践

益友えきゆう」であること、という宣言は
私の一生のテーマだと思っています。

ただ、これまでの指針が、
だれかにとっての﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅
 益“友”として存在したい」という、
「他者ありき」なものに
とどまっていたことにも気づきました。

他者に依存して、
他者のためになることは
まず無いだろうと思います。

人からの反応を気にして
自分を押さえつけることは
便辟べんぺき」(いい加減な調子合わせで
その場をしのぐこと)や、
便侫べんねい」(人に気に入られるために
心にもなく調子を合わせること)にあたるので
それこそ不誠実になります。

自分の立脚地をはっきりさせるためにも、
自分のことは、
自分で大切にしないといけない。

他者のことを優先して
自分のことを疎かにしているうちは
まだまだ未熟なんだと反省しています。

「今に集中する」ことを大切にする

よって、
「いま、自分がどう感じているか」に
ちゃんと耳を傾けようと決めました。

自分の中にある、
都合の悪い一面を拒絶せず
それも事実と受け止める度量さえあれば、

過去続けていた矯正の努力を
無為にしたくないからと
身体に合わないとわかってしまった型に
自分を押さえつけようとし続ける必要も無いんです。
(人間関係でさわりが出てくるような一面は、
 線引きして人前で出さなければそれまでなんですから)

古い自分をリセットし、
つねに新しい自分に出会っていく

論語にいうところの「不惑」は、
こういうことでもあるのかなと思います。

どれだけ思い入れのある大事な理想だったとしても
箇条書きにされた「ねばならぬ」に執着していると、
それは次第に固着し、柔軟性を欠き
「偏り」や「行き過ぎ」になっていく。
不安や焦燥感で他を容れなくなり、
本来望んでいた状態とはかけ離れていく。

「これがいいに違いない」という価値観の
出発点がどこにあったかを掘り返してみて、
ほんとうにそれが動かし難いものか精査してみると、
もう古くなった殻は剥がれ落ちていきました。

私の場合の、長くこびりついていた価値観は
「人の役に立つように、自分を変えねばならない」
という先入観。

突き詰めれば、それは
「そうしなければ生きられないから」
という不安によるものでした。

この二年、
自分が「役に立った」と思うために動いても、
満足することはありませんでした。

でも生きてます。

もっと以前を振り返れば、
「役に立とう」と走り続けていた時が一番、
死にかけていたと思います。

今の私が大事にしたい「指針」

先月、故郷を飛び出して
山寺に暮らしはじめたものの
健康上の問題から三週間で実家に送り返されて
ただいま実家暮らし一週間目を迎えております。

自分が生まれ育った場所ですから、
今まで忘れていた過去の記憶が思い出されることも
しばしばあります。

年季の入った私物を断捨離している中で、
高校生だった時の文集を手に取ることがありました。

私は自分の書いた文章を読んで、
苦々しさを思い出しました。

それは
幼い頃から付き合いがある「私が大嫌いなわたし」
との対面でした。

思い出話をします。

私が高校2年生の時にあった、
海外修学旅行でのお話です。

先に断っておくと、
当時の私は、どうしてもその国に行きたくなかったんです。

「わがまま」だとか
「集団社会で生きていくには」とか云々言われても、
絶対引かない不退転の決意を持っていました。

担任の先生から一緒に行こうと「説得」を受けた時、
私は「そうやって連れて行って、
私が死んでも責任は取れるのか」と
怒り心頭になりました。
その時は先生が不倶戴天の敵に見えました。

どうあっても行かなくてはならないなら、と
家族に向けて「先立つ不幸をお許しください」
という手紙を書いたことで、
家族からかなり思い詰めていると受け取られ、
それを聞いた学校側からも深刻に受け止められて
少数の居残り組と図書館学習することになりました。

旅行の欠席理由は体調不良。
医師の診断は「慢性裂肛」。
あまりにも行きたくない私の意向を汲んで、
私の身体が用意してくれた口実だと受け止め
ありがたく申請させてもらいました。

以降、半年くらいは後遺症に苦しんでいた気がします。

その国に行くことへの拒絶に関しては、
(なぜか)どうしても譲れなかったので、
むしろよく自分を守り抜いたぐらいの感覚でいたのですが

後々になって「これは見ていられない」と感じたものが
その「海外修学旅行報告書」に加えられた
私の「感想文」でした。

要は、終始一貫してお茶を濁した文章だったんです。
なんの意見もない、あえて言えば、
「当たり障りのないことを言って誤魔化しておこう」
という意図が見え透いた文章でした。

現地に行ってもいないのですから、
その国に対して得た
新しい知見なんてものはありません。
強いていうなら、
お尻の穴を切ってでも守り抜いた
「私は断じてあの国には関与せんぞ」
という思いが、
ずっと頭に残っていました。

情けないのは、ここまで拒絶しておいて
波風は立てたくないという弱腰ぶりを表出したこと。

「私はあくまで体調不良で欠席している。
 あの国への悪意はない」
という体を取ろうとして、

図書館で読んだ蔵書から引っ張ってきた
確実に最新ではない情報をもとにして
無難そうな理屈を捏ね回して文字数を稼ぎ、
誰からも指摘を受けないような
当たり障りのない結論を取ってつけた
紙のシミを作り出してしまったことです。

十余年経った今、読み返して思ったのは
「実際を見ずして机上の空論を捏ね回すような
 こういう文は見るに堪えない」
という感想です。
いやなもんを見ました。

長々と要領を得ないことを書いてしまった
かもしれませんが

要するに

「語るなら実感がともなった言葉でしゃべる」
「それができないなら、語るには及ばない」

というのが、自戒も含めた上で
私が大事にしたい価値観なんだということです。

「観測者A」という役割

少し突拍子もない話になりますが、
昔話の延長で、
一つ重要そうなエピソードを思い出しました。

私は小学校に上がったばかりの頃に、
言語化できない疑問にぶち当たったことがあります。

表現する言葉を知らないのに、
気になってしょうがなくて

脱衣場で洗濯物を干している母に
言葉にならない質問をして
二人で「?」を飛ばしていた場面が
今でも記憶に残っています。

結局、気まずいばかりなので
「まあいいや」と流していたのですが

それが、つい先日
ようやく言語化できたんです。

言葉にすると、

「なぜ私は、この身体の視点から
 世界を観測することになっているのだろう」

です。
…答えは大人になってもわかりませんが、
もう二十数年越しの言語化だったので
それだけでスッキリしました。

こういうことを疑問に思い、
取ってつけた理屈の捏ね回しを嫌悪する
のが私の感性なら、

私がこの人生に納得して死ぬためには、

「自分が観ている世界を率直に表現する」


ことを大事にしていくのが
必要な心がけなのかもしれない…と思います。

これからの私は、そういう私です。



2024年3月20日 拝


知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。