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向上心がセルフケアを邪魔する話ー自分に寛容で在れた1日を振り返ってー


この文章は当時(7/5)の日記感覚で、
目次等はなく、
つらつらと当時の想いを書いてあります。
リアルな想いと実況は感じてもらえるかなと思います。
ついでに、今の日本への問題定義と、私がなぜオーストラリアに来たのかも書いてあります。

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先週からPMSの期間に入った。
明らかに身体はむくみ、重たく、腰痛を感じるようになった。

さらに厄介なのが、ひとつひとつのミスに対して、
かなり落ち込みやすく、
前向きにとらえられなくなってしまった。

海外での就労環境下でこのマインドで働くのはかなりキツかった。

頭が働かないお陰で、店長からミスした理由を聞かれても、とっさに説明することは出来ず、
ましてや脳の半分入れ替わったんかと疑うくらい、
自分でも驚くようなミスをするのだから、
説明のしようがない。


私はこの4日間、とかくセルフケアと思い行動した。
身体がむくまないようにと朝晩の入念なストレッチ、
頭が働くようにと、いつもより多めの睡眠を確保するようにした。
けれど、最後まで持つことは出来なかった。


4日目の最終日はよく眠れず、
変な二度寝をしたせいで、絶不調。
仕事でミスを連発し、店長からの叱責がただただ恐怖に感じる状態にまでなった。


そんな中で私がもう一つできることがあったとしたら、

それは

通勤時にバスに乗ることだった。

徒歩35分の距離を、重たい身体でこの4日間歩いて職場に行っていた。


私はバス1本乗るのも、自分に許してあげられなかったのだ。


自分にできることならと、お金がかからないセルフケアばかりを選んでいた。

自分に優しく、セルフケアと言いながら。


バスの片道はたった250円程度なのに。。。


こういう無意識に自分を追い込んでいくクセを、
私は変えたかったのだとこの日新たに気づかされた。

そもそも、
私がオーストラリアに来た理由のひとつに、

これから日本が移民を受け入れるにあたって、
何が必要なのかを知ることという目的があった。

ニュースで在留外国人への関心度が先進国の中で一番低い日本。

もし今の経済状態を変えずに回していきたいと考えるなら、
移民の力を借りなければ、すでに日本の経済は回らない状態であるにも関わらず、
その現状に気づいていない多くの日本人。

これにも物を申したいことはあるが、、、おっと、本題から外れそうだ。


ちまたでよく
「寛容な社会を作ろう」と言われているが、
多くの日本人は寛容な社会が何かを知らない。

そりゃそうだ、多くの日本人は、日本から出たことがないからだ。

パスポート保有率も20%前後。
世界一安心度が高いパスポートなのにも関わらず、、、、、残念。


そんな人たちの集団が、何をどうやって寛容な社会をつくっていけるというのだろうか。

バブル以降の30年以上の経済停滞に加え、
コロナ禍でのより不寛容になった社会に、そのエネルギーはあるのか、はなはだ疑問である。(正直私のメンタルもかなり削られた。)


しかし、社会のせいにしたところで、
何も変わらない。

それならまず、自分が日本の外に出てみなければならないだろうと思い、
今回の渡航を決意した。


話は最初に戻るが、

日本人はセルフケアがとかく苦手だと思う。
というか、そういう慣習がない。

昔は3世代に及ぶコミュニティの中に誰もが所属し(ある種クローズドではあったが)、
お互いにケアをし合う文化であった。

しかし、核家族化が進み、一人暮らしや、共働きで育児をしなくてはならなくなり、誰もがケアを必要としているのに、社会になってしまった。

しかも、資本主義の元では、
とかく成長が求められる。

裏を返せば、現状維持が許されない状態である。

現状維持をし続けるのも実は難しいことだと私は思うのだが、

このような状況下では、
”向上心を持っている”ことは
必要な絶対スキルとして求められてしまう。

となると、向上心はセルフケアをする時間を切り捨て、
会社での成果や自己のキャリアのための行動を駆り立てる/責め立てるものとなってしまう。


私が持っていた向上心という概念は以下のものだ。

「仕事がしんどくても、浪費せず、
自分の仕事に目の前の仕事に実直に取り組むこと、それが出来て1人前である」


すごく聖人君主みたいな考えだが、
今振り返り、言葉にするまで、この向上心を疑ったことはなかった。


私が過去に体調を崩した原因の一つに、この向上心が大きく関係している。

成長しなければならない、
という外部からの圧力に対し
期待に応えなければならないと、
自身を追い込み、バーンアウトをしてしまった。


この向上心を持っていることは、
私の取り得でもあると思っていたから、
自分にとってなかなか変容しがたい部分であった。


しかし、この最悪な先週を通して、
私は改めてこの姿勢を変容する必要性に迫られた。

そして私は、自分に寛容であることにした。

1日目からまずバスを使うことを決意した。
非常に身体の疲労は少なく、もっと早っく使ってあげればよかったと
こころの底から思った。

すると、この日はオーストラリアに来てから初めて1日雨の日であった。

お陰で客は少なく、
仕事もそこまで忙しくなかった。

自らを助くる者は、救われるという言葉を噛みしめた1日であった。

2日目は、まさかのそのバスが交通事故で遅延。

ここでもまた向上心が姿を見せた。

「遅刻をせずに仕事場に居ることが社会人として当たりまえだろう」と責め立てる自分がでてきた。

が、

それによって得られる承認欲を私は手放すことにした。

ただただ、一言。

『そういうこともあるよね。』と。

バスが遅れることは私にはどうしようもできないし、
先週からの今週で、
精神的にまいっている私的には、
むしろ働く時間が少なくなって好都合だなと。(笑)

ある種、厳しい自分への自己評価を広げることに成功した。

なんとも言えず
心がとても楽になった。

3日目の朝は引き続きバスに乗った。

帰りもバスに乗ろうとしたが、
ここで事件発生。
時間通りにバスが来ない。
少しエネルギーが出てきたところだったので、
歩いて帰り始めたら、横をバスがサー――っと通り過ぎて行った(笑)

まぁ、こんな日もあるかと思い、そのまま歩いていたら、

気持ちも清々しくなっていた。

オーストラリアの大地を
自分で歩いているという感覚は
実は私に自信と幸福感をもたらしていたらしい。

久々に歩くことが楽しいということも思い出せて、
これはこれでラッキーであった。


4日目の出勤は外には見せないものの、内心ド緊張をしていた。
金曜日が一番混むので、先週の大失敗を繰り返さないかとても心配していた。

しかし、この日は先週担当していた、
商品のパッキングエリアではなく、
オーダーを取るエリアの担当になった。


そのエリアも迅速なリスニング力が問われるため、
非常に大変ではあったが、
先週のようなポンコツミスを繰り返すことはなく、
無事に終わらせることが出来た。


行きはバスに乗り、
帰りはカフェに立ち寄った。
ずっと開店を待っていたところだった。

少々高かったが、
700円のドでかいチョコレートケーキと
500円のカフェモカを買った。

その後無事帰宅。

チョコレートケーキを食べながら、

自分に一言。

『よく頑張った』と伝えてあげた。

すると、涙がじわじわと出てきた。

涙があふれ出るほどのエネルギーすらも
もう体には残っていなかった。

が、はじめて自分の先が見えない向上心より、
今見える、自分の限界と向き合い、乗り越えた瞬間だったと思う。


しばらく静かに泣いた後、

脱力した身体をベッドに移した。

脱力しすぎて、上手く呼吸もできなくなったので、

あらゆる姿勢で、身体をほぐし、時が身体を癒してくれるのを待った。


そしてそのまま2,3時間ほどの眠りについた。


目が覚め、ここでやっと1週間が終わった安心感を感じることが出来た。


今回の経験により、

向上心より、大切なものがあることに心底気づかされた。

疲れないように行動することは決して楽をしてサボるということではなく、
自分を大事にしながら、必要なことにエネルギーを割けるようにするための
立派な手段であることを学んだ。

エネルギーをセーブした生き方を。それもセルフケアの一つであると。


今日は自分に寛容であれた第一歩。

とてもとても誇らしいことだ。

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この出来事から今2週間(7/17)が経った。

セルフケアの大事さに気づいてくれてありがとうと、
今自分に言いたい。


このことに気が付いてから、とかく生きやすくなった。

要らぬ向上心がまだまだ自分の中には蔓延っているが、
それを見つけるたびに、肯定し、その欲を捨てる方向で行動している。


実は昨日、職場から人手は足りているとのことで、
無職になったばかりだ。(笑)


けれど、私は今何も心配をしていない。


成長というものは、しようとしてするものではなく、
当たり前の生活の中で、自然としているものだとわかったから。


成長しようとしてするための向上心を持つことはもうやめた

私がすればいいことは、
来るべき時に備えて、自分をマネジメントすること。


私は今、そんな風に想い過ごしている。


さて、次のステップはどんなものかな。
楽しみだ。

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