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残していくべきもの

 大学2年生になり、久しぶりに両親の元へ帰省した。まず驚いたのは自分が知らず知らずのうちに東京に染まってしまっていたこと。そして私が話す言葉が訛りの一切ない標準語になってしまっていたことだった。
 そして私の高校3年間はコロナウイルスにより祖父母がいる佐渡に帰ることはなかった。久しぶりに今年両親と共に久しぶりに祖父母の元に訪れることになった。久しぶりにあった祖父母の姿はだいぶ老けて活力がなくなってきた老人の姿にないってた。
 私はとてもショックを受けたと同時に祖父母ももう棺桶に片足を入れ始めた歳なんだと実感させられた。
 佐渡は老人だらけの街であり、若者はほとんどいない。長休暇になると島外にでたものが家族を連れて帰ってくる。私もそうだがルーツは100%佐渡にあるが島外の中央区で育った私には佐渡弁も佐渡の風習もそこまで精通しているわけでは無い。また大学に佐渡出身の友人が言うには、私たちの世代はもうそんなに強い佐渡弁を喋らないのだそうだ。
 ならば佐渡の生きた歴史である佐渡弁はどうなるのだろうか。
 このままでは佐渡歴史が消えていく。そう思うとなんだか悲しい気持ちになった。
 言葉とは案外すぐに忘れ去られる。だからこそ私は祖父母と残された時間なるべく顔をませて、何気なく喋っていることも映像に残そうと思った。

 また方言はある程度なら誇るべきものであり、恥ずべきものではないと思う。私たちが話す方言は文化遺産であり、胸を張るべきだ。少子化によって佐渡だけでなく様々な地域で貴重な日本の文化遺産が無くなっていくことは悲しい。
 こんな素晴らしい文化遺産である方言は保存していくべきだ。

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