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ほんの少しの、水で 2009年02月24日

黄色いガーベラを買った。
ガーベラはピンクのイメージだったけど
今日はどうしても黄色いガーベラがよかった。
白い花瓶に刺すと、部屋は春の匂いになった。


            *


春は、むこうがわから優しく包むようにやってくる
冬は、迫るようにやってくる
春は、雨が多くて、一雨ごとに暖かくなる
冬は、きんきんに晴れて澄んだ空気が突き刺すよう
でもきっと、春も冬も、女の子だと思う。
季節はみんな、女の子だと思う。

私は9月生まれだけど、9月の通り雨のようだと、言われたことがある。
言うこと、考えること、気持ち、いろんなものがころころ変わるから
だから通り雨のようだ、て。
喜んでいいのやら悲しんでいいのやらよくわからないけど

わたしはそう、いつも感情の波に揺られてゆらゆら

夜中に本を読んでいて怖くなったら布団を抜け出して
坂道を駆け上がったりする。
どうしてもどうしても急に海が見たくなって
テストをぶっちして海を見に行ったりする。
浴衣で海に飛び込んでみたくなって
きれいにめかし込んだ浴衣姿のまま東京湾にドボンする。
さみしくてさみしくて
パジャマ姿のまま泣きながら夜の公園をさまよったり

そう、それはもっともっと、うんと小さいときからそう。
小学校に上がる前、飼っていたお蚕さんが
あんまり白くてすべすべでキレイだったから
どうしてもつぶしてみたくなって、ぷつん、て指でつまんで
お蚕さんの緑色の内臓を出してしまったことがある。
小学校1年生のとき、大雨の中、下水道にとびこんだらどうなるだろう
と思って飛び込んでパンツまでびしょぬれになって帰ったこともある。
高校1年のとき、テスト前にどうしても学校が嫌になって
寮を抜け出して大洗の海辺でウニ丼を食べたこともある。

でも。

今日、仲良しのあの子がうちに来て久しぶりにいろんな話をした。
人はみんな死ぬんだから医療ってなんだか不自然で
大学ってなんだか特殊で閉鎖的で
価値観を押し付けられるのは胸糞悪くて
でも宇宙規模で考えたらなんだってへーきで
理由を考えたらきりがないけど
とりあえずあたしたちに必要なのは、人生の次のステップだ、
てゆうような話。

そういう話をしてたら
ああわたし、今、通り雨みたいじゃないな、と思った。
今でも私は衝動的で、だからいろんな人にとても迷惑をかけるけど
それでも
きっと今は海に飛び込むほどの勇気がない、
先のことを心配してばかり。
今考えると、9月の通り雨というのは
結構なほめ言葉だったんじゃないかと思う。
結構な買い被りでもあるけど。苦笑

仲良しの彼女は自信を持って(?)、次に必要な人生のステップは
結婚だ、という。
2年働いて、結婚する、て言う。
彼氏は「幸せな家庭が理想」な人で
それはもう、運命の人だと思う、て2年前から言ってたから
本当にそうなるんだろうな、と思う。

はて、と思う。
あたしに必要な次のステップは何?
わたしは、実は、あんまり前ほど結婚したいと思わない。
前、てゆうのはそう、
ほんの2,3ヶ月前までは早く結婚したいと思ってたし
自信を持って次は結婚だ、て言える彼女は本当にうらやましいと思うし
やっぱり一緒に住む人がいたら幸せだろうと思うし
だけどなんだろう、、、
今は、限りなく一人の世界に入り込んでみたい気分。
まずは一人で仕事をして、一人で自分の目標に向かってみたい。
衝動的でもいいから、もっともっと
なんじゃそりゃー、ていうことがしたい。

でももう、通り過ぎる雨のままじゃいやだ。

雨もそう、
季節や天気はみんな、女の子なんだよ。
だから、ちゃんとまた巡ってくるのです。
雨だって、一雨一雨、意味があるのです。
今日降った雨のおかげで、明日はまた少し、春に近づくのです。

一人で生きて行ける二人が、一緒に生きていく。
あれ、あのことばの意味が
私の中で少しだけ、化学変化。。。

結局、私の全部のテーマは、愛なんです。


             *
 

ガーベラは、花瓶の水をすこ~ぅしだけにした方が
持ちがいいそうです。
私は、きれいな水をほしがって
枯れてしまうのが怖くていつも誰かに
きれいな水を与えてもらっていたかったけれど
少しの水のほうが美しく咲くことも出来る
と、今日、お花屋さんのお兄さんに教えてもらいました。


           *


ああそうだ、手紙を書こう。
もうすぐ春だから、
飛鳥山公園には桃の花が咲いていたから、
だからそうだ、届かなくてもいいや、
紙とペンが大事だから。

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※この日記は、2009年2月24日の日記を転載したものです。

※ヘッダーの写真はみんなのフォトギャラリーから濱門慶太郎@カラクリワークスのものをお借りしました。

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