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一番泣いた日 2008年4月30日

涙はね。一生懸命生きてると、出るよね。
一生懸命生きてても辛いことがあるのってなんなんかな。
そういう人は不幸なんではなくて人生が豊かなんだと思うから。
収穫の多い人生なのですわ。


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<最近読んだ本>

「ポトスライムの船」 津村記久子
「悼む人」 天童荒太
「放課後のウォー・クライ」 上原小夜
「ガール」 奥田英朗
「100回泣くこと」 中村航 
「エバー・グリーン」 豊島ミホ 
「ナラタージュ」 島本理生  
「少女七竈と七人の可愛そうな大人」 桜庭一樹

いいなあ、と思うことはほんの些細な部分にあって
ほんの些細な部分がいいなあ、と思えないと
全体としていいなあ、と思えない。
何かを読んだり聞いたり見たりすると
いいなあ、と思うこまごまとしたやりたいことリストや
大事にしまっておきたい言葉リストが
できるのです。

・お守りのコトバをブラジャーの中に入れておく(ここぞというとき)
・バイクの修理をしながら牛丼を食べる(土曜の夕方)
・コーヒー豆をゴリゴリやってカフェオレを入れて飲む(朝)
・風邪を引いたらモモ缶を買う(平日の昼間)
・縁側に座って二人でコーラを飲む(瓶のやつ)
・庭で取ったみょうがで「みょうがのお味噌汁」を作る(夏)

好きな本、といって思い出すのは
そういうこまごましたところからなのです。
あとは、ほんの何気ない一言、何気ない一節、何気ない雰囲気。

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「涙はね。一生懸命生きてると出るよね。」

一生懸命生きてると涙が出るのなら
人生で一番泣いたときが一番一生懸命だったのか
と単純に思い返して
ああそうか、と納得したのです。

一番泣いた日は、
一番強く、生きたい、と思った日だったかもしれない。
それはもう、一生懸命でした。
ただ、生きることに。

沢山のことを後悔して
だからもうちゃんと強くなろうと思って
それはただ生きているということだけでも充分な強さに思えて
生きてるだけで丸儲け、とひたすら。

 「何年先になるかわからないけど
  きっときちんとハナシを出来たらいいね
  あなたにとってとても大事だと思う
  絶対にそういう日が来るとわたし思うの」

可愛らしいその人はそういって
私はそうか、と思って
最後に一言付け加えてからノートを閉じたのでした。
それは、うねうねとした、むらさき色の思い出。
あれからもうすぐ3年もたちます。

20歳を過ぎてから、あっという間です。
20歳を過ぎてからの出来事が
あまりにいろいろありすぎたせいかもしれないのですが
21のとき、仲良しの女の子と小豆島に向かうフェリーの上で
「10年後も二人でここに来よう」
と約束してから、もう4年が過ぎたのだ、と思うと恐ろしい。
もうすぐ約束の10年までの、半分が過ぎてしまうのだ。

あのとき、若さにキラキラしていたわたしたちは
どこに行ってもちやほやされて
電車の中から花火を見上げて、ビキニで海を満喫して
文系人間だった私は必死で実験をこなし
大学の授業の後スタバで何時間でも話をした。
泣いたり、笑ったり。
それは私たちのためにあるのだ、という傲慢な気分でした。

彼女はピンクのガーベラやひまわりの花が好きで
わたしは彼女がくれる可愛らしい花をもらって
いつまでも花瓶にさしていました。


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「収穫の多い人生なのですわ。」

今まで、豊かな人生って
朝起きて入れる香ばしい香りのコーヒーや
毎日の食卓に上るお味噌汁の具や寝る前に入るあったかいお風呂や
キレイになった洗濯物や玄関にさす甘い香りのする花や
太陽の光を浴びながら読む文庫本や
コタツの中にもぐりこんでくる柔らかい毛をしたネコや
どこまでも悠然とした山や海や
家族や恋人の顔や表情や

そういうこまごましたもの
こまごました生活やそこにあふれるコトバや音楽や光
なんだと思っていたのです。
キラキラしていて
ピンク色だったり黄色だったりするもの。
泣いたり笑ったり、なもの。

そういうこまごました日常的な出来事の中で
ありふれたコトバや音楽や光に出会って
はらりと涙が流せたら
もちろんそれが一番だと思うのです。

ですが

ですが

年齢を重ねて
それだけじゃないんじゃないか、ふと思いました。
いいなあ、と思う日常が今近くになくても
うまくいかないことがたくさんあっても
いいなあ、と思う日常を思い描いて
コトバや音楽や光の中に、いいなあ、と思うことを探して
それで図らずも涙が出てしまっても
それは「一生懸命生きて」いることの証であり、
「人生が豊か」で、「収穫の多い人生」なのかも。

うねうねとしたむらさき色は
一生懸命の証なのかも。

いつかもっともっとうんと年を重ねて
手にしわが出来て
短い髪の毛にちりちりのパーマなんて当てて
白い前掛けをするころ
若い子がその日一番泣いていたら
笑いながら
おせんべなんて食べながら
おひとつどう?なんていいながら
冒頭のようなコトバをかけてあげられるおばさんになりたい。

そのころにはきっと私自身が
もうピンク色もキラキラも似合わないだろうから
ありふれたこまごました日常に落ち着いて
年齢でくすんだ自分とちょうどよくまざって
やわらかいお日様のような感じになっていたらいいと思う。
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※この記事は、2008年4月30日の日記を転載したものです。

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