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特別な244049 2009年3月4日

24時40分49秒をさしたまま、時計が止まっている。
12時40分49秒でもいいんだろうけど、たぶん、
ほとんどたぶん、それは24時40分49秒だろうと思う。
とまったまま、時計が忘れられている。

                   *

24時間の中のとある時間に、特別な感情をもつことがあります。
いや、特別な感情を持つ「時間」というものが
1日の中にいくつか、あるのです。


たとえば、6時50分。
小学校高学年のとき、その時間に家を出ないとバスに間に合わなかった。
だから小学校高学年の私は、3年間毎日、
6時50分を恨めしく思いながら朝食を食べました。
6時50分は、中学・高校のときの起床点呼の時間でもあって
どんなに眠くてもその時間には起きて
掃除をして朝食を食べなきゃいけなかった。
私は中学・高校の6年間、6時50分を恨めしく思いながら顔を洗ってました。
結局私は9年間、6時50分を恨み続けたのでした。


たとえば、7時50分。
高校のとき、8時までに寮を出ないと寮が閉められる規則でした。
小言を言われるのは嫌だったので、7時50分には出るようにしてました。
だから私は、高校の3年間、毎日7時50分を恨めしく思いながら
食後の新聞を読んでました。
おやじか。


50分てゆうのは、いろいろなところで、私の記憶にこびりついている。
ぴったり何時、というのになる10分前、というのに
いろいろな感情を抱いてしまうみたいです。
あ、あと10分で授業が終わる、とか、あ、あと10分で仕事終わる、とか。
あと10分で誕生日だ、とか、あと10分で1年が終わる、とか。


ね?


毎日がやってくるたびに、一瞬一瞬の時間に記憶を反応させながら、
そして記憶を新しく刻みつけながら、特別な感情をもつ「時間」とともに
私たちはゆらゆら、ゆらゆら、流れていく。

                     *

時計の針が、24時40分49秒をさしたまま、止まっているんです。
そう、この時計はぜんまい仕掛け。
ぎりぎりとそのネジを回す人がいないと、止まったままなんです。


でも私は回さない。
私は24時40分49秒をそのままにして、
きっとこの時間をまた特別な「時間」の一つにして、
そうしてじっと、待っているんです。




子供の頃、黙ってろっていわれたのに、嘘をつくのが嫌で、
どうしようもなくて泣いた。
でも嘘って、とんがったものもあれば、まあるいものもあるんだね。

やさしくて美しい嘘だけ、ついていたい。
真実は、そのままに。
24時40分49秒を、そのままに
今日もあと10分に襲われて。

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※この記事は、2009年3月4日の日記を転載したものです。


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