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母、揺れる 〜重症心身障害児のリハビリと教育のあり方 in インド〜

前回の記事で、ハルのリハビリを巡っての方向性で今通っている学校と目標が共有できない悩みを書いた。

そこで、リハビリの強引なやり方や歩くことを最善とする目標設定の仕方が本当にインド特有のものなのか、他のインドの小児リハビリを見てみたい、と思って母は行動に出た。

レインボー・チルドレンズ・ホスピタルのリハビリ

まず頭に浮かんだのは、かかりつけの病院のリハビリである。この病院の整形外科医は私達と近い考え方をしているから、ここでリハビリを受ければ私達の考えに近いリハビリができるのかもしれない、と思って整形外科医のパッドマン先生に話を聞いてみた。

そもそもインドではどのような仕組みでドクターとセラピストは連携をとっていくのか、どのようにリハビリを開始するのか、どこに行けばより良いリハビリを受けられのか。

ところがパッドマン先生はこういった。

「システム?ここでは、システムはないんだよ。ここの地下にもリハビリはあるけれど、施設は十分ではないし、良いリハビリができるかどうかはちょっとわからない。良い訪問セラピストを一人知っているけれど、少し遠いかな。確か以前はタマンナにも週に一回行っていたんじゃないかなあ。聞いてみることはできるよ。家の周りで訪問セラピストを探してみるのがいいのかもしれないね。」

システムがない!

予想通りといえば予想通りだけれど、ショッキングな言葉である。支援者がゴールを共有できないのは、一つはそれが問題なのだろう。まあ日本でだって、本来は医師の処方が必要なリハビリを2年間医師の診察なく、親の署名だけとって続けていた事実(はるるん、1歳前後のことである)があるのだから、大差はないのかもしれないけれど、いずれにせよ、ドクターとセラピスト、支援者が連携を取るシステムがないのは問題だ。とにかく本人や家族が舵をとっていくしかないということなのだろう。

アシャ・ハイ訪問

次に母が取った行動は、他のスペシャルスクールの見学だ。インドに来たばかりの4ヶ月前と違って、多少障害児にまつわる言葉もわかるようになっているし、土地勘も少しはマシになったこともあり、ネットで検索していくつかピックアップすることができた。タマンナのようないわゆる障害児向けの学校はいくつかあるようだったが、サイトだけではあまり違いがあるようには思えなかった。実際にセラピーを見に行ってみるしかないのだろう。

母の目に止まったのは、インクルーシブ教育をうたったASHA HAIという小さなプレスクールだった。設立者はダンスを取り入れたセラピーを勉強した女性で、サイトを見る限り先生たちの表情も子どもたちの表情もとてもにこやか。

さっそく見学のアポを取ってハルと共に足を運んだ。

着いたのは、住宅街のような路地にひっそりと佇む小さなプレスクールだった。とても静かで、見た目はまるで住宅用のマンションのようだったので、これ本当に学校なの?間違ってない?と近くの人に聞いてしまったくらいだ。

それは確かに学校で、きちんと車椅子の子ども向けに小さなエレベーターも設置されていた。1階はいわゆる普通のプレスクールになっていて、2階がセラピールームと事務局になっているようだった。エレベーターで2階に上がると、ハルと同じような脳性麻痺と思われる子、自閉症と思われる子などが、セラピーを順番に待っていたり、セラピーを終えて帰り支度をしたりしているところだった。

話をしてくれたのはラシという設立者の校長先生で、校長先生とはいっても若い女性(美人)だった。ざっとハルのタマンナでのアセスメントに目を通してから、これまでのハルの経緯と、今私が問題を感じていることを頷きながら聞いてくれた。

ここでのセラピーのやり方を聞くと、セラピールームを案内してくれた。

「ここでは、小さい子は特に、遊びから始めるセラピーをしています。その子が好きな遊びをまずは見つけて、その好きなことを取り入れて理学療法をしたり、ミュニケーションを取って行くのがいいのか探していきます。もちろん時には嫌がることでもやったほうがいいことはあって、そういう時には子供は泣いたりすることもあるけれど、そんなに激しく泣いたりはしないわ。それからダンスムーブメントサイコロジーというセラピーをうちでは特色としていて、理学療法と言語聴覚療法のほかに、ダンスを通じたセラピーを取り入れて発達を見て行くことを柱にしています。」

へえ!みんな泣かないんだね。覗かせてもらったセラピールームではみんな笑顔だった。なんならセラピストもにこやかだった!

「インドではどこもスパルタ手法なのかと思っていたけど、違うところもあるんですね!」

「そうね、そうでないといいなと私は少なくとも願っているわ。強引にやることでその子の力を引き出せるとはあまり思えないものね。そしてここでは、目標は短期的に、少しずつ設定していきます。いきなり大きな目標をするのは本人にとっても家族にとっても大変ですから、少しずつ、その子に合った目標を毎月設定して評価していきます。そのためにペアレントティーチャーミーティングを毎月行います。」

なるほど、素晴らしい。素晴らしいじゃないか。こんなセラピーをしてくれる学校もあるのか!

それでは学費は?

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どーん!

高い。タマンナは一毎月7500ルピーで、全てのセラピーと教育が受けられる。ところがこちらは入学金15000ルピーの後、基本料金が毎月7500ルピー、さらにそれぞれのセッションごとに別料金がかかる。たとえば月に12回のSTとPT,そして一月分のスペシャルエデュケーション、月に8回のダンス療法をいれたら、一月およそ35000ルピーに!!!

うーむ。

高い。高いでしょ!

いくら良いセラピーが受けられるからといっても、この狭い住宅のような学校では、今タマンナがやっているスポーツとか陶芸とか遠足とかプールとか、そういう楽しい活動はできない。セラピーのためだけにこの高い学費を払ってここに通うのがハルにとって最適とはあまり思えない。

そんなことを頭でぐるぐる考えながら、すがるようにラシさんに最後に聞いてみた。

「もしここのセラピストのような良い訪問セラピストを探すとしたらどこに聞けばいいですか?だれかいい人を知っていますか?それから、ここはプレスクールですよね?ここを出た子どもたちはどんな学校に進学するんですか?」

「そうね、訪問セラピストはたくさんいるわ。ジャストダイアルで探せばいいのよ!」

そんなばかな。笑 そんなもんなの?

「それから、インドではインクルーシブ教育をやっている学校がたくさんあるのよ。中でもオススメのところをリストアップしておくわね。それから、ここからすぐ近くにAADI(Action for Ability Development and Inclusive)というセンターがあって、そこにいけばすごく親切にリハビリや学校について相談に乗ってくれるわ。ぜひ一度行ってみるといいわよ。」

私はラシさんが書いてくれたオススメの学校リストとセンターのメモを握りしめて、アシャ・ハイを後にした。


リゾートでの出会い

アシャハイの見学後も、ハルのリハビリや教育について、決定的な新しい方向性を見つけることができず、そうこうしているうちに春休みになって、家族みんなでタイのラチャ島に旅行にいった。インドに引っ越して4ヶ月、はじめての長い休息、束の間のバケーションである。

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海の見える朝食会場で家族みんなで朝ごはんを食べていると、おもむろに金髪マダムが近づいてきた。

「あなたたち、英語喋れる?私ね、この子(ハル)と同じような子供がいるのよ。」

ハルはバギーで朝寝をしていて、舌根沈下ぎみに呼吸をしていた。

「うちの息子は呼吸器と胃瘻をしてからすごくいろんなことが改善したの。体重もすごく増えたし。だから絶対この子も呼吸器と胃瘻をつけるべきよ。」

息子さんは生まれてすぐ、そう長くは生きられないだろうと言われたけれど、今は20歳で55キロ体重があるのだそうだ。ヘルパーさんが家で面倒を見てくれているらしい。日本ではこんな形で見ず知らずの障害児に具体的なアドバイス(というか忠告に近い)をする人はまずいなかったけれど、彼女は真剣で、私達も別に嫌な気持ちはしなかった。彼女の息子の場合はそうだった、そして私達のことをほっておけない気持ちになったのだろう。

「もっと聞きたいことがあれば、携帯電話の番号を教えてあげるわよ」といって彼女は去っていった。

はるは今の所胃ろうも気管切開もしていない。胃ろうについては何度か話にあがっているが、今の所口から食べられているし、胃ろうをつけることで、きっと口からの摂取は減ってしまい(だって胃ろうから注入する方が介助者は絶対ラクだ)、ハルにとって貴重な「味覚」の楽しみを奪ってしまうことに繋がりかねないという危惧もある。たんも割合咳で出せるのだけれど、最近は薬の影響か眠るときにベロが喉に垂れ込んで確かに呼吸がしにくそうだ。

この先ハルがどんなふうに育っていくかはわからない。パッドマン先生が言うように、車椅子のままなのかもしれないし、そして金髪マダムが言うようにゆくゆくは胃ろうをつけたほうがいいのかもしれない、はたまたタマンナの先生が言うように、歩けるようになる?可能性もないことはない。なんというか、ものすごくオープンで未知な子育てである。

だからこそ、いろんなケースをこうして旅先でもどこでも心を開いて話してくれる人の存在はむしろありがたい。


翻ってタマンナ

ラチャ島での夢のようなあっという間のバケーションも終わり、もんもんとしながらも、ハルはタマンナに通い続けていた。タマンナでの先生とのふれあいや特別教育、お友達と過ごす時間はハルにとってとても大事なそして大好きな時間であることは間違いないのだ。

そんなある日、まもなく早期支援教室を卒業して別の学校に行くお友達のためのお別れ会が開かれ、ふだんなかなか会えない同じ脳性麻痺のエンジェルのお母さんと話す機会があった。

エンジェルは6歳で、ベビーカーを車椅子がわりにしているけれど、首を起こすことができて、ものを掴んだりするために手を動かすこともできる。先生たちによると椅子にも座っていられるようになったのだとか。そしてこの日はお別れ会ということで可愛らしいドレスを着て、可愛らしい靴も履いていた。足もまっすぐだ。ハルは足首を曲げるのが苦手で靴を嫌がるので驚いた。それから、驚いたことにエンジェルは美味しそうにチップスをかじっていた!

「エンジェル、固形物が食べられるのね。STで練習したの?」

私が聞くと、エンジェルママ、「前はペーストや液体のものを食べてたけれど、4歳からこういうのも食べられるようになったのよ。STじゃなくて、家で試してみたの」

「すごいね!それで十分なごはん食べられてるの?」

「あんまり十分には食べられてはないわ。よく吐いちゃうし。」

ハルと同じだなあ。

「じゃあごはんはどうしてるの?胃瘻してるの?」

「胃瘻はしてないわ。したくないし…」

エンジェルはとても細い体をしていた。でもくるくると周りを見渡して、可愛らしいお洋服をきて、ニコニコしたり泣いたり、幸せそうに見えたし、お母さんもいろいろできるようになったエンジェルのことを話すのが誇らしそうだった。

そういえばインドで出会う脳性麻痺の子で、胃ろうや気管切開をしている子を見たことがない。もしかしたらそういう子は家から出てこないのかもしれないけれど、インドに根を張る考え方も影響しているのかもしれない。

けれど、エンジェルの可愛らしい様子を見ると、とてもワクワクした。ハルもいつか、彼女のように可愛らしい靴をはいてパーティに参加できたら素敵だな。美味しいお菓子をそのままかじることができたら、きっと嬉しいだろうな。タマンナでの教育がエンジェルにとってのそれを可能にしているのだとしたら、ハルも頑張ってみる価値はあるのかもしれないな、とふと思う。今のままでハルが笑ってさえいればいい、と思う気持ちと、もっと出来るのかもしれない、という気持ちと、ハルは一体何を望んでいるのだろう、と推測することしかできないもどかしさの狭間で揺れ動く母。


愛されるハルを信じて進む

インドにきて4ヶ月、タマンナに通い始めて3ヶ月経つけれど、何が良くて何が正しいのか、まったくわからないままだ。

いろんなことを言う人がいる。

いろんな学校がある。

いろんなリハビリがある。

いろんな子がいる。

そしてそれを見ると、母は何をしたらハルが幸せに生きていけるのか、毎回揺れ動く。正しいと確信できるのは、ハルが笑顔をみせてくれることだけだ。そしてすべてのハルに関わる人に言えることは、皆、ハルを愛してくれている、ということだ。

お友達の声、遠足に水遊び、音楽の授業に陶芸、大好きな先生とのふれあい、全部ハルの大好きな、そして貴重な時間だ。リハビリの時間を除いて、ハルはタマンナでの学校生活を楽しんでいるように見える。

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ベースとなる価値観が異なるだけで、同じようにハルを想ってくれているハルミットとも、もう一度話し合いをしてみよう。揺れ動きながらも、模索しながらも、歩みを進めていくしかない。異国の地でも、たくさんの人にハルが愛されている、ということに何度も救われて、母は進む。




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