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見えないドラマチック 2009年3月20日

ドラマチックには、見えるものと見えないものがあると思う。
見えないドラマチックは、こころのどこかにふたをしてあって
だけどどうしても時々、あふれ出す。
ドラマチックだから、あふれ出さずにはいられないときがある。
それは時々病的で、不健全で、もろくて危うい。

見えるドラマチックは、実にヘルシー。
好きなときに好きといえる、好きなものを好きといえる、
感動したときに叫べる、泣きたいときに泣ける。
健康的。


                *


天気がよくてあったかい日が続くと春だなあと思う。
それで、ああ、新しい生活がやってくるんだ、と思う。
いらないものを捨てる。
いらないものは、全部捨てる。
送別会で送別される。
新しい生活に必要なものを買う。
住民票を移して、免許の住所を変更して、それで銀行にもいく。
新しい生活に必要な知識を頭に入れる。
人との関係が変化する。

それで、私の体にいろいろにまとわりついた古い灰色のほこりや
つもりに積もって汚く溜まってしまったくずや
そういうものをパンパンと払うようにして
私はつるんとしたそのまんまの「私」にいったんリセットする。

そうして春の陽気の中を歩いていると、
つるつるの無防備な私の中には、見えなかったドラマチックが現れる。
強烈に現れる。
濃いピンク色の、あるいはまっかなバラ色の、あるいは血のように赤黒い、
生ぬるい風みたいなぬるっとしたものが
春の風みたくふっと舞い降りる。

それは生あったかくて、
一見居心地がよくて、でも
麻薬のように危険なもの。

私はそのふたが開いてしまったドラマチックに、一瞬おぼれそうになる。
それをとどめてくれるのは、現実のヘルシーなドラマチック。
私はそれに救われる。

ああ、こんなに楽しい、と思う。
今がこんなに楽しい。
笑える。
泣ける。
感動できる。

見えない、見えなくていいドラマチックに
私はもう一度そっとふたをして、
うん、これでいいんだ、て思う。
ヘルシーな感情を持って日常に戻る。

              *

ドラマチックには見えないものと、見えないものがある。
それで、それは時々交差して、入れ替わって、
そういうもので
ヒトのこころは出来上がっている

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※この記事は、2009年3月20日の日記を転載したものです

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