面白さと不謹慎の境目の話

どうも皆様ごきげんよう。
難しいところではあります。
嵩音ルイです。

なんかこういう話、度々している気がしますけれども。
やっぱり人生が長くなればなるほど「あれこういうの昔も見たな?」ってのが結構増えてくる。

具体的にいうと、バイト先での悪ふざけを写真や動画に収めてSNSに放流するやつですとか。

なんか……繰り返してない?
おそらくそういうことをやる年齢(高校生や大学生)はずっと同じで、単に年数が経って定期的に世代がシフトしてるだけなんでしょうけども。

それはそれとしてみんな同じことやってますね。すんごいや。

それと同時に、最近はテレビの内容について炎上することもやや増えてきた気がします。

やれ不謹慎だのやれ無配慮だの不愉快だの。

人を叩くという行為が問題視されてきている昨今、漫才のツッコミとしての頭叩きが無くなる日ももしかしたら近いのかもしれませんね。

感性や倫理観は時を重ねてアップデートされていくもの。

そして何より難しいのが、笑いって不謹慎なものなんですよ。

あっ石は投げないでください。置いてね。ちょっと話だけでも聞いてください。

皆さんが思わず笑っちゃう時ってどんなシチュエーションか一度振り返って見てください。

例えば、友達が道端でとんでもない転び方をしたとか。
例えば、クラスメイトが「法隆寺を建立したのは?」と聞かれて自信満々に「織田信長です!!」って答えたとか。
そんな感じだったりしません?

くすぐられたとき?それはそうですがそれはちょっと置いといて。

こういった笑いは「ズレ」から起こるものだと僕は思ってます。
何の不自由も不具合もない調和の取れた「今」があって、そこから何かしらの形で逸脱した時に出てくるものなんじゃないかと。

でもそれと同時に、ズレを笑うってめちゃくちゃリスキーなことでもあります。

上記に例に挙げた2つの事柄についても、転んだ友達や誤答したクラスメイトはもしかしたら笑われたことで傷ついているかもしれない。
むしろ「何笑ってんだテメェ!!」と逆上してくる可能性すらあります。こわいね。

そんなの人によるじゃん、って?

そうだよ?

笑いとは人それぞれです。
たまたま多数が笑ってくれる方法を見つけた人たちが、テレビやらSNSやらyoutubeやらで覇権を握っている。
覇権を握れるような人たちは、そういう「多数の人が不快にならない笑い」を突き詰めるのがかなり上手い。
それだけの話です。

さて、ここでちょっと話を戻しますが。

いわゆるバイトテロとか。
過激な発言で炎上する著名人とか。
迷惑系youtuberとか。

多分彼らね、面白いと思ってる。

別にこれは馬鹿にしたいわけではなくて、彼らの基準から見た世界って「そう」なんですよ。

笑いとは不謹慎なことである。
なので逆説的に言えば、不謹慎なことをやれば何でも面白いと思っている。

ただ、それが致命的に世間一般と噛み合ってないだけ。
だから炎上するんだろうなと。
別に僕たちはONE PIECEにちょくちょく挟まるギャグを見て「不謹慎」と憤ることはないし、サンドウィッチマンの漫才を見て「仕事を冒涜している」とは思わないじゃないですか。

いやいるかもしれないけどそういう人も。
でも「面白い」と思う人たちが大多数だと、それは「面白い」ことになってしまう。

ここでいう世間基準みたいなものもわりと雑に決められてる感じはありますがね。
最近は声が大きい人が勝ちますから。

なので大事なのは2つですね。
1.世間の目を気にすること。
2.世間の目を気にしないこと。

矛盾してるじゃんって?

そうだよ。

全く見る人のことを考えないエンタメが良いものだとは思えません。現代の感性に合わせて、省くべきものは省いたほうがいい。
一方で、あらゆる声を忖度配慮考慮尊重しまくったエンタメに、果たして未来はあるのかということ。

少なくとも僕らが何かをする時に、全く人を傷つけないことはあり得ません。
それが例え僕らの所為ではないとしても。

なのでとりあえず出来るのは、なるべく無辜の人を殴りつけないというちょっとした配慮くらいですかね。

正解はない話ではありますが、それでも。

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