「自己」とは何で保証される?とぼんやり考えてみる

どうも皆様ごきげんよう。
れっつら思考実験。
嵩音ルイです。

突然ですが「自分」とは何なのでしょうね。

なんか怪しい宗教の勧誘みたいになりましたが、僕は神ではないのでそのまま聞いてください。

僕、思考実験の記事を読むのが結構好きで。
有名でわかりやすいものとして『テセウスの船』なんかが挙げられるでしょうか。

船が壊れた。直した。また壊れた。直した。
そうやって直して換えて埋めて取り繕って。
全てのパーツが交換されてしまい元のパーツが一切残っていない船になったとして。

この船、昔の船と「同じ」だと思いますか?違う船だと思いますか?
みたいなやつです。

そのものをそのものだと定義する根拠ってかなり曖昧でその場勘定なことが殆どだなと思うのです。
身体を是とするのか魂・有り様を是とするのか。
その辺の尺度で、テセウスの船の解釈は変わるのかなと。

まずこれが前提の話。

僕が時折見かけては動画を見ている配信者さんが居るのですが、その方の発言。
「いずれは自分を完全に電脳化してネットの世界に住みたい」
みたいなことを仰ってまして。

さてここで当方によぎる疑問。

電脳化した「自分」って、本当に「自分」なのかなぁ、って。

SFなんかでも、肉体がダメになった時にバックアップの身体に記憶を移してなんとかする、みたいなのあるじゃないですか。

要はコピー元とコピー先があるわけで。

例えばパソコンAの中のデータをコピーして、別のパソコンBに移し替えたとします。
この時、Aの中にあるデータとBの中にあるデータは全く同じものですよね。
そりゃそうだコピーしたんだもの。

じゃあ、全く「同じ存在」だと思いますか?
「Aの中にあるデータ」と「Bの中にあるデータ」は、同じ存在じゃないのでは?という疑念。

これを人間に置き換えたとして。
さっきの例でいきますか。

死にかけのボディAから記憶を抜き取る。
若くて新しいボディBに記憶を移し替える。
Bが無事に目覚めて記憶も欠落がないのがわかったので、ボディAは廃棄しました。

……これって「死」なんじゃね?

たしかに自分自身は新たなボディBで生き続けてはいますが、ボディAとボディBって「同一」かって言われると違うんじゃないかなと。
「魂」とか言うとやや陳腐かもですが、記憶だけに囚われない「何か」が在って、そこを別の身体に引き継ぐことはどうしたって無理なんじゃないかなと思うんですよ。

話を戻しますが、人間の電脳化について。
一応ね、可能だとは思います。
技術力云々はこれからの課題としても、脳をめっちゃデカいHDDと見做せるのであればその中のデータを抜き出すことくらいは出来るだろうなと。
ただ、データに載らない「何か」を確実に取り溢す。故に同一の存在にはなれないと思っております。

「実存する自分」と「電脳化された自分」が生まれるだけ。

パソコンAのデータは、どうあがいてもパソコンBのデータにはなれないのでしょうねと。

あくまでこれは僕の結論です。
明確な根拠もソースもなく、僕自身の考察をなんとなく書いたものに過ぎませんし。
それでも、是非を問わず思うところがあるのであれば聞いてみたいですね。

みなさんはボディBになれると思いますか?

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