詩にはどのようなものがあるか――詩の種類と多様性


1 はじめに

詩を読んだり書いたりするとき、そもそも詩とはどのようなものなのかという素朴な問いが、持ち上がることがある。この純粋な問いは、詩を書く人にとって重要かつ深遠な問いである一方、答えることの難しい問いでもある。そしてまた、「詩とはどのようなものなのか」という問いの持つ曖昧さが、答えることをさらに難しくしている。そこで、もう少し整理した形で問い直すことにする。

アプローチは二つ考えられる。一つ目は、単純に「詩とは何か」という問いを考える、すなわち詩の定義について考えるということである。しかしながら、この問いもまた答えることが難しい。これまでに多くの詩人や文学者が詩の定義について語っている。それらを総合すると、詩は言葉を素材として作られること、詩は言葉の持つ単なる意味以上の印象を読者にもたらすこと、といった点についてはおおむね賛同が得られそうである。一方で、それ以上のこととなると、見解には多かれ少なかれ差異があり、共通した見解が確立しているとは思われない。また定義にあたってトートロジーに陥りやすいという難しさもあり、例えば詩人の入沢康夫は次のように述べている。

詩とは何か。それはポエジーで裏づけられた一連の言語の配置から成る作品のことだ。ではそのポエジーとは何か。詩を内側から支えて、それを詩として成り立たせるものだ……。これでは問題はぐるぐるまわりで、いつまでたっても終ることがないだろう。[p.15]

「詩とは何か」という問いに答えるのが難しいのであれば、より具体的で小さな問いに分割するというのは一つの手である。しかしながら、「詩と散文の違いは何か」という問いを例にとっても、歴史上しばしば論争が起こってきたように、答えることは容易ではない。

そこで二つ目のアプローチとして、「詩にはどのようなものがあるか」という問いを考えてみたい。現在までの歴史の中で、詩と考えられてきたものを収集し、その暫定的なリストを作成し、それによって改めて詩を考えるということである。「詩とは何か」という問いは詩の共通性に注目したアプローチだが、「詩にはどのようなものがあるか」という問いはむしろ詩の多様性に注目したアプローチだと言える。

とはいえ、詩のリストを作成するということには二つの問題がある。一つ目に、暫定的なリストを作成することが可能だとしても、完全なリストを作成することは現実的に不可能である。二つ目に、仮にリストを作成できたとしても、そのリストには膨大な数の詩が含まれるはずであり、見通しの悪さから言って、「詩にはどのようなものがあるか」という問いを考えるには適さないだろう。

そこで本稿では、詩をおおまかなカテゴリに分類することを試みた。明治以降の日本語の自由詩を対象として、種々の文献にあたり、さまざまな詩を取り上げ、これを11のカテゴリに整理した。現時点では、日本の詩はおおむね本稿の11カテゴリのいずれかに分類できるのではないかと考えている。筆者の知識の限界から言って、本稿で提示する詩のリストは不完全であろうし、暫定的なリストにすぎないと思われる。それでもなお、詩にはさまざまな種類が存在すること、そしてその種類は時代とともに増えてきたことは、十分に確認できるのではないかと思う。本稿の最後では、このような詩の多様性を踏まえた上で、詩の定義や種類についてどう考えるべきか、筆者の見解を簡単に示したい。

最後に、いくつかの注意点を述べる。本稿では、対象を明治以降の日本語の自由詩に限定することとし、海外詩や翻訳詩、定型詩(短歌や俳句など)や歌謡(都々逸や琉歌など)、古代叙事詩などは扱わなかった。本稿で提示する分類が完全であると主張するつもりはなく、いずれのカテゴリにも属さないと思われる詩が存在する可能性はあり、またそれらの作品が詩でないと主張する意図もない。それぞれのカテゴリは、必ずしも相互排他的ではなく、複数のカテゴリに属すると思われるような詩も存在する。とはいえ、もっとも顕著と思われる特徴に基づいて分類を行っており、各カテゴリでは代表的な事例を紹介している。

2 詩の種類

2-1 抒情の詩

『新体詩抄』(1882年)によって西洋風の新しい詩が提案され、これは新体詩と呼ばれるようになる。はじめはさまざまな長編叙事詩が試みられたが、島崎藤村『若菜集』(1897年)などをきっかけとして、次第に抒情詩が多く書かれるようになる。大正期には、高村光太郎『道程』(1914年)や萩原朔太郎『月に吠える』(1917年)が発表され、口語自由詩が確立する。1934年には堀辰雄らが月刊『四季』を創刊する。同人のほかにも多数の寄稿者が関わっていた『四季』は、特定の主義主張を掲げた運動というわけではなかったものの、当時の叙情詩人を網羅していたこともあり、「四季派」と呼ばれる一大潮流となった。戦後では、1950年に秋谷豊が創刊した『地球』は、ネオ・ロマンティシズムを標榜し、「思考をとおして抒情を客観化すること」を目指した。のちに新川和江や安西均、白石かずこらが参加した。1953年に川崎洋と茨木のり子が創刊した『櫂』には、谷川俊太郎や吉野弘、大岡信らが参加したほか、朗読会や詩劇制作などの活動も行った。

  • 島崎藤村『若菜集』(1897年)、国木田独歩ほか『抒情詩』(1897年)

  • 詩誌『感情』(1916~1919年):萩原朔太郎、室生犀星、山村暮鳥など

  • 詩誌『四季』(第二次 1934~1944年):堀辰雄、丸山薫、立原道造、三好達治など

  • 詩誌『地球』(第三次1950~2009年):秋谷豊、新川和江、安西均、白石かずこなど

  • 詩誌『櫂』(1953~1999):川崎洋、茨木のり子、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信など

2-2 前衛の詩

20世紀初頭に西欧で未来派やダダイスム、シュルレアリスムといった文学運動(モダニズム)が勃興すると、日本でもこれらの影響を受けた詩が試みられるようになる。とくにシュルレアリスムの影響は広範であり、『亜』『薔薇・魔術・学説』『馥郁タル火夫ヨ』などが出版された。1928年には、これら複数の詩誌が合流する形で『詩と詩論』が誕生し、積極的な新詩運動を展開する。この活動は『詩法』や『新領土』へと引き継がれていった。戦後1947年に創刊した『荒地』は、翌年には休刊するものの、年刊アンソロジー『荒地詩集』(1951~1958年)を刊行する形で活動を継続した。彼らはT・S・エリオットら作品から影響を受けながら、孤独や死のイメージの伴う作品を発表した。詩人の野村喜和夫は、戦後詩はモダニズム系の詩に端を発し、特に荒地派を継承した詩のことであると述べており、また思潮社を創業した小田久郎は「現代詩をほかと分かつバロメーターは、モダニズムと戦後詩をくぐり抜けているかどうかです」と述べている。このように、戦後詩や現代詩においてモダニズムは重要な役割を果たしていると考えられている。

  • 平戸廉吉(1921)「日本未来派宣言運動」、高橋新吉(1923)『ダダイスト新吉の詩』

  • 詩誌『亜』(1924~1927):安西冬衛、北川冬彦など

  • 詩誌『薔薇・魔術・学説』(1927~1928):北園克衛、冨士原清一、上田敏雄など

  • 合同詩集『馥郁ふくいくタル火夫ヨ』(1927):西脇順三郎、瀧口修造など

  • 詩誌『詩と詩論』(1928~1931):春山行夫、安西冬衛、北川冬彦、瀧口修造など

  • 詩誌『新領土』(第一次1937~1941):上田保、春山行夫、近藤東、村野四郎など

  • 詩誌『荒地』(第二次1947~1948):鮎川信夫、田村隆一、北村太郎、黒田三郎など

2-3 社会の詩

ある思想や主張を背景としながら社会の問題を題材として詩が書かれることがある。初期の例としては、児玉花外『社会主義詩集』(1903年)や石川啄木「はてしなき議論の後」(1911年)などが挙げられる。大正期の詩誌『民衆』では、人道主義や民主主義思想を背景とした口語自由詩が発表され、広く影響を与えると共に、技法や思想の面で批判されることもあった。1920年代初頭から1930年代前半にかけては、社会主義思想を背景に労働者の視点を題材として多くの詩が発表され、これらはプロレタリア詩と呼ばれた。先駆的な例としては詩誌『種蒔く人』(1921~1923年)や詩集『どん底で歌ふ』(1920年)がある。詩誌『赤と黒』はアナキズムの影響を受けた詩人が集い、『民衆』の詩人に対して批判的な立場をとった。マルクス主義派の人々は、「労農芸術家連盟」の機関誌『文芸戦線』(1927~1931年)や「全日本無産者芸術連盟(ナップ)」の機関誌『戦旗』などで活動した。激しい弾圧によって、ナップの文学団体「プロレタリア作家同盟(ナルプ)」が1934年に解散し、プロレタリア詩は下火となる。その後、終戦まででは小熊秀雄や文芸誌『文化組織』の活動がある。戦後では、詩誌『コスモス』が早くから活動を始め、詩人の戦争責任について問題提起した。詩誌『列島』では、社会的題材を扱った詩にモダニズムの技法を取り入れることが試みられた。サークル詩を取り上げたほか、関根弘の抵抗詩批判に端を発する「狼論争」が繰り広げられた。

  • 詩誌『民衆』(1918~1921):白鳥省吾、福田正夫、百田宗治、富田砕花など

  • 詩誌『赤と黒』(1923~1924):萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、小野十三郎など

  • 文芸誌・機関誌『文芸戦線』(1924~1931):青野季吉や小牧近江など、1927年から機関誌

  • 機関誌『戦旗』(1927~1931):中野重治、田木繁、伊藤信吉、森山啓など

  • 文芸誌『文化組織』(1940~1943):小野十三郎、岡本潤、金子光晴、関根弘、北川冬彦、壺井繁治

  • 詩誌『コスモス』(第一次1946~1948):秋山清、金子光晴、岡本潤、小野十三郎など

  • 詩誌『列島』(1952~1955):関根弘、黒田喜夫など

2-4 童謡の詩

1918年に児童文芸誌『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉は、当時の児童文芸や学校唱歌を批判し、子どものための芸術的で純真な文芸を創作することを目指した。雑誌には、童話と呼ばれる読み物や、童謡と呼ばれる歌などが掲載された。この童謡は、詩人らによって在来のわらべうたを参照しながら新しく制作されたものである。童謡の一部にはあとから曲が付けられることもあったが、初期の童謡は基本的には文芸であり、誌面にはテキスト(とイラスト)が掲載された。この頃『金の船』や『童話』なども創刊して児童文芸詩は隆盛を迎える。しかし、1920年代末になると児童文芸詩の休刊や廃刊が相次ぎ、詩としての童謡は衰退する。一方で、1920年に初の童謡レコードが発売され、1930年代にレコードやラジオが普及すると、童謡は徐々に歌謡として制作および認知されるようになっていく。戦後の話題をいくつか取り上げたい。矢崎節夫によって再発見された金子みすゞの詩は、『金子みすゞ全集』の出版などを通して再評価され、1993年には国語の教科書に採録された。雑誌『詩とメルヘン』は1973年にサンリオからやなせたかしによって創刊された雑誌で、読者から投稿された詩などにイラストを添えて掲載した。サンリオ創業者の辻信太郎が西條八十を愛読していたことや、やなせたかしが絵本作家であったことから、ここでは『詩とメルヘン』を童謡の系譜に位置づけている。

  • 雑誌『赤い鳥』(1918~1929, 1931~1936):北原白秋など

  • 雑誌『金の船』(1919~1928):野口雨情など

  • 雑誌『童話』(1920~1926):西條八十、金子みすゞ(投稿)など

  • 雑誌『コドモノクニ』(1922~1944):北原白秋、野口雨情、まど・みちお(投稿)など

  • 与田凖一編(1957)『日本童謡集』岩波書店

  • まど・みちお(1968)『てんぷらぴりぴり』大日本図書

  • 金子みすゞ(1984)『金子みすゞ全集』JULA出版局

  • 雑誌『詩とメルヘン』(1973~2003):責任編集やなせたかし

2-5 ポエトリーリーディング

ポエトリーリーディングは、詩の朗読を軸としたパフォーマンスである。広瀬大志によれば、アメリカから日本にポエトリーリーディングが導入されたのは1960年代であり、この頃から活動している詩人として谷川俊太郎や白石かずこ、吉増剛造が挙げられる。1990年代には、ヒップホップ文化によるラップ音楽が流行し、ラップスタイルを導入したポエトリーリーディングが行われるようになる。関東の喫茶店やバーではオープンマイクが定期的に開催され、「ポエケット」では毎年多数の応募者によるリーディングが行われた。1997年から始まった「詩のボクシング」は、二人の詩人が持ち時間のなかで交互にポエトリーリーディングを行い、最後に審査員によって勝者が決定されるというイベントである。1998年の第二回大会ではねじめ正一と谷川俊太郎が対戦し、その模様はNHKで全国に放映された。2010年代からは、スラムというトーナメント形式の大会が流行し、「ポエトリー・スラム・ジャパン」や「KOTOBA Slam JAPAN」などが開催された。

  • 「詩のボクシング」(1997~):楠かつのり主宰

  • 「ポエケット」(1999~):ヤリタミサコら主宰

  • オープンマイク朗読会(2000頃?~):ベンズカフェ(高田馬場)など

  • 「ポエトリー・スラム・ジャパン」(2015~2019)

  • 「KOTOBA Slam JAPAN」(2020~)

2-6 ヴィジュアルポエトリー

詩句や文字を紙面に配置する方法を工夫することで、読むための詩というよりも見るための詩が制作されることがある。初期の作品として、海外ではマラルメ『骰子一擲』(1897年)やアポリネール「カリグラム」(1918年)、日本では萩原恭次郎『死刑宣告』(1925年)や平戸廉吉『平戸廉吉詩集』(1931年)などがあるが、見るための詩が運動として始まったのは1950年代である。スイスのオイゲン・ゴムリンガーとブラジルのデシオ・ピニらは、1956年にコンクリート・ポエトリーを提唱し、文字の配置やデザインに趣向を凝らした実験的な詩などを発表した。コンクリート・ポエトリーには、見るための詩と聴くための詩という二つの方向性があり、とくに前者からヴィジュアルポエトリー(視覚詩)が発展する。日本では、VOUクラブの北園克衛や、ASAの新国誠一や藤富保男が活動した。

  • 萩原恭次郎(1925)『死刑宣告』、平戸廉吉(1931)『平戸廉吉詩集』

  • VOUクラブ(1935~1978):北園克衛など

  • ASA(1964-1977):新国誠一、藤富保男など

2-7 歌詞集や作詞家の詩

歌謡曲の歌詞が読む詩として出版されたり、作詞家によって詩集が出版されたりすることがある。1980年代になると、さだまさしや井上陽水らシンガーソングライターの歌詞集が新潮文庫から相次いで出版された。これら初期の歌詞集は詩集とは題されていなかったが、その後に出版された歌詞集では、『尾崎豊全詩集』や『志村正彦全詩集』のように詩集と題されることが増えてきた。他方、歌詞集とは別の潮流として、作詞家やシンガーソングライターによって詩集が出版されることもある。銀色夏生は作詞家として活動を始めた後、1985年に詩集『黄昏国』を発表し、主に若い女性から支持を集めた。このほか、尾崎豊の写真詩集『白紙の散乱』や佐野元春の詩文集『ハートランドからの手紙』などが出版された。

  • さだまさし(1980)『時のほとりで』新潮社

  • 井上陽水(1982)『ラインダンス』新潮社

  • 中島みゆき(1983)『愛が好きです』新潮社

  • 銀色夏生(1985)『黄昏国』河出書房新社

  • 尾崎豊(1992)『白紙の散乱』角川書店

  • 佐野元春(1993)『ハートランドからの手紙』角川書店

  • 尾崎豊(1998)『尾崎豊全詩集』シンコーミュージック

  • 志村正彦(2011)『志村正彦全詩集』パルコ

  • 中島みゆき(2022)『中島みゆき詩集』(にほんの詩集)角川春樹事務所

  • 秋元康(2022)『こんなに美しい月の夜を君は知らない』幻冬舎

2-8 箴言や仏教の詩

箴言や処世訓といった内容を含む詩が書かれることがある。これらの詩では、仏教的思想の影響が強いことや、作者や読者によって書が制作されることが多いのも特徴である。相田みつをは書家として活動を始めたのち、平易な言葉と独特の書体を合わせた作品を制作する。1984年に出版した『にんげんだもの』は二百万部を超える売り上げとなり、幅広い世代にブームを起こした。曹洞宗の禅僧に師事した経歴もあり、詩の内容には仏教的思想の影響が見られる。坂村真民は短歌の作歌活動を始めたのち、41歳で活動の場を詩へと変え、1962年から個人詩誌『詩国』を発行する。1967年に『自選坂村真民詩集』を出版したのち、NHKなどから取り上げられるようになり、1983年には詩「二度とない人生だから」が道徳の教科書に採録された。時宗の開祖である一遍に影響を受けて『一遍上人語録 捨て果てて』(1981年)を出版し、仏教詩人とも呼ばれた。

  • 相田みつを(1984)『にんげんだもの』文化出版局

  • 坂村真民(1967)『自選坂村真民詩集』大東出版社

2-9 ポエム

ポエムとは詩を意味する言葉であるが、特に比較的平易な言葉で綴られる叙情的な詩を指して使われる言葉であり、揶揄的に使用されることのある言葉でもある。大塚英志は、同人誌『MY詩集』の創刊や少女向け漫画雑誌『りぼん』の作品を挙げた上で、ポエムが成立したのは1970年代半ばであると推測している。『りぼん』の他、『少女フレンド』『ぶ~け』『Mimi』といった少女向け漫画雑誌にもこの頃漫画家によるポエムが掲載されている。このようにポエムは少女向け漫画と関連しているが、一方でアイドル文化とも関係が深い。『近代映画』『平凡』『歌劇』といった雑誌には、当時のアイドルらによるポエムが掲載されている。これらのポエムには、イラストや写真が添えられることが多いのも特徴である。ポエムを揶揄する表現は80年代の漫画でも見られるが、一般化したのは2010年代ではないかと思われる。小田嶋隆(2013)『ポエムに万歳』では、スポーツ選手の引退メッセージや東京五輪招致のキャッチコピーなどが「ポエム化」していると批判し、また金子みすゞや相田みつをの詩句も「ポエム」の例としてあげている。古市憲寿(2014)『だから日本はズレている』では、小中学校での道徳教材「心のノート」や自民党の憲法改正草案を「ポエム」であると批判し、その内容がJ-POPの歌詞に類似していると主張する。政治家の発言を「ポエム」と批判することもあり、「現代用語の基礎知識選 2019ユーキャン新語・流行語大賞」には「ポエム/セクシー発言」がノミネートされた。現時点でポエムに関する研究は少なく、本節の内容の多くが筆者の見解によることを断っておきたい。

2-10 共作詩

複数人によって共同で詩が制作されることがある。大岡信が連句を元に発案した連詩は、通常四行程度の詩を複数人で順番に書き継いでいくことで一編の詩を制作する方法である。1979年には同人「櫂」のメンバーで制作した連詩が、『櫂・連詩』として出版された。また、1999年から開催されている「しずおか連詩の会」というイベントでは、五人ほどの詩人が集まって連詩をリアルタイムに制作する。連詩以外では、TOLTAが実験的な手法で共作を行っている。

  • 櫂同人(1979)『櫂・連詩』思潮社

  • しずおか連詩の会(1999年~):野村喜和夫など

  • 暁方ミセイ・管啓次郎・大崎清夏・石田瑞穂(2016)『連詩 地形と気象』左右社

  • TOLTA(2020)『閑散として、きょうの街はひときわあかるい』(2020年)私家版

  • TOLTA(2023)『亜亜工業』私家版

2-11 オブジェやインスタレーションの詩

展覧会などで詩がオブジェの形を取って展示されることがある。2020年から2023年にかけて全国6都市で開催された展覧会『最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』では、最果タヒの詩を使用した様々なインスタレーションが展示された。白い円環の上に詩の書かれたオブジェ「ループする詩」や、詩句が書かれた多数のプレートが天井から吊り下げられたインスタレーション「詩になる直前の、渋谷パルコは。」などが公開された。東京都現代美術館の企画展「あそびのじかん」では、TOLTAの作品が展示された。「ポジティブな呪いのつみき」では、短いフレーズの印字された多数の積み木が用意されており、鑑賞者はこの積み木を使って自由に言葉を作ることができる。

  • 『氷になる直前の、氷点下の水は、蝶になる直前の、さなぎの中は、詩になる直前の、横浜美術館は。――最果タヒ 詩の展示』(2019年 横浜美術館)

  • 『最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』(2020年 三菱地所アルティアム(福岡); 2020年 渋谷パルコ; 2021年 名古屋パルコ; 2021年 心斎橋パルコ(大阪); 2022年 仙台パルコ; 2023年 HEP FIVE(大阪))

  • TOLTA「ポジティブな呪いのつみき」ほか『あそびのじかん』2019年 東京都現代美術館

3 おわりに

本稿では「詩にはどのようなものがあるか」という問いのもとで、さまざまな詩を11のカテゴリに整理して取り上げた。その結果、主に二つのことが分かった。一つ目は、一口に詩と言ってもさまざまな種類があり、非常に多様であるということである。それにともなって、扱う題材や使う技法にも広がりがあることが認識できる。二つ目は、時代が下るとともに詩の種類は徐々に増えているということである。海外の文化の輸入や、既存の詩への反発、他ジャンルからの刺激などきっかけはさまざまだが、新しい詩が生まれ、確立することで新しい詩のジャンルが追加されていく。このように詩の範囲が広がりつつある現在においては、これらすべてを包含する詩の定義を提示することはますます困難になっている。

このような状況で、詩とどのような姿勢で向き合ったら良いのだろうか。本稿ではさまざまな詩を取り上げたが、11のカテゴリすべてが詩であるとは考えないという人もいるだろうと思う。その場合、11のカテゴリのなかから「詩」の特徴が顕著であると思われる一部のカテゴリを選び、それらだけが「詩」であるという限定的な詩の定義を主張することになるだろう。ここからは筆者の見解であるが、そのような限定的な詩の定義を主張することにはどちらかと言えば反対である。というのも、そのような定義が広く支持を集められるとは限らないし、より良い詩を書くという詩作者の目標に照らして有用であるとも思えないからである。むしろ詩の定義や範囲に対して寛容な姿勢を持つ方が、異なるカテゴリや他ジャンルからの刺激をきっかけとして、新しく興味深い作品を生み出すことにつながるのではないか。またそのような斬新かつ大胆な試みが詩の読者を増やすことに期待したい。

参考文献・参考資料

1 はじめに
入沢康夫(2004)『詩の逆説』書肆山田
エリス俊子(2018)「詩の分析(1)」丹治愛・山田広昭編著『文学批評への招待』放送大学教育振興会 p.34-49
小林真大(2021)「詩のトリセツ」五月書房
2-1 抒情の詩
鈴木亨(1969)「明治詩史」伊藤信吉ほか編『現代詩鑑賞講座』12巻 角川書店 p.5-130
高橋渡(2000)「昭和二十年代の動向――戦後の混迷を越えて」日本詩人クラブ編『日本の詩一〇〇年』土曜美術社出版販売
大岡信(2005)『昭和詩史 運命共同体を読む』思潮社
ドナルド・キーン(2020)『日本文学史 近代・現代篇八』(新井潤美訳)中央公論新社
2-2 前衛の詩
粟津則雄(1969)「昭和詩史二」伊藤信吉ほか編『現代詩鑑賞講座』12巻 角川書店 p.343-438
中野嘉一(1971)「前衛詩運動史試論(一)モダニズム詩の系譜とその推移」『詩学』26巻1号 p.68~71
浪川知子(2002)「いまどきの現代詩(1)高揚と衰退 叙情から批評性へ 主題が変化」読売新聞 大阪夕刊8面
野村喜和夫(2005)『現代詩作マニュアル』思潮社
ドナルド・キーン(2020)『日本文学史 近代・現代篇八』(新井潤美訳)中央公論新社
2-3 社会の詩
壺井繁治(1955)「昭和編(社会派)」『現代詩はどう歩んできたか』(ポエム・ライブラリィ6)東京創元社 p.195-283
遠地輝武(1963)『現代日本詩史』(第二版)昭森社
信時哲郎(1998)「民衆詩派とその周縁」和田博文編『近現代詩を学ぶ人のために』世界思想社 p.127-144
宮崎真素美(1998)「戦後詩の出発」和田博文編『近現代詩を学ぶ人のために』世界思想社 p.213-228
三浦健治(2018)「明治・大正・昭和詩史(6)プロレタリア詩とは何か(1)」『詩人会議』56巻3号 p.74-79
三浦健治(2018)「明治・大正・昭和詩史(7)プロレタリア詩とは何か(2)」『詩人会議』56巻4号 p.80-85
三浦健治(2018)「明治・大正・昭和詩史(8)プロレタリア詩とは何か(3)」『詩人会議』56巻5号 p.70-75
三浦健治(2018)「明治・大正・昭和詩史(9)プロレタリア詩とは何か(4)」『詩人会議』56巻8号 p.80-85
ドナルド・キーン(2020)『日本文学史 近代・現代篇八』(新井潤美訳)中央公論新社
2-4 童謡の詩
畑中圭一(1990)『童謡論の系譜』東京書籍
やなせたかし(2013)『アンパンマンの遺書』岩波書店
周東美材(2015)『童謡の近代』岩波書店
井手口彰典(2018)『童謡の百年』筑摩書房
井原あや(2022)『「詩とメルヘン」の基礎的研究――一九七〇年代後半から一九八〇年代初頭の詩の傾向』大妻国文 53号 p.223-240
松本侑子(2023)『金子みすゞと詩の王国』文藝春秋
2-5 ポエトリーリーディング
八木忠栄(1999)「詩のボクシング」『詩学』54巻12号 p.33
ヤリタミサコ(2000)「ACTION REPORT 第1回TOKYOポエケット騒動記」『詩学』55巻2号 p.14-16
和合亮一(2000)「大地系、大海系、大空系。――現在という事後を超えて」『現代詩手帖』43巻12号 p.118-125
楠かつのり(2002)『「詩のボクシング」って何だ!?』新書館
広瀬大志ほか(2022)「リーディングという誘惑」『現代詩手帖』65巻5号 p.22-47
2-6 ヴィジュアルポエトリー
上村弘雄(2000)「ベンゼ、ゴムリンガーからデンカーへ」『現代詩手帖』43巻4号 p.25-31
藤富保男(2000)「詩の形をかえた二人――北園克衛と新国誠一」『現代詩手帖』43巻4号 p.52-58
現代詩手帖編集部(2000)「視覚詩関連年表」『現代詩手帖』43巻4号 p.100-101
ヤリタミサコ(2002)「具体詩(コンクリートポエトリー)とヴィジュアル詩をめぐって」詩学7月号 p.28-38
2-7 歌詞集や作詞家の詩
毎日新聞(1993)「謎の詩人、銀色夏生 若い女性に大うけ 『ソフト・ポエム』人気上昇中」1993年4月30日 東京夕刊 p.12
北川透(2000)『評論集 詩的90年代の彼方へ――戦争詩の方法』思潮社
2-8 箴言や仏教の詩
安川正雄(1999)「詩人・坂村真民の詩作とその社会的特質について(1)念ずれば花ひらく」『尚絅短期大学研究紀要』31巻 p.79-86
著者不明(2002)「いまどきの現代詩(3)時代の方向性 平明さに「慰め」求める」毎日新聞 大阪夕刊7面
片山克(2012)「真民さん――その人物と作品」坂村真民『詩集 念ずれば花ひらく』サンマーク出版
相田みつを(2013)「いちずに一本道 いちずに一ッ事」角川書店
神渡良平(2017)『自分の花を咲かせよう 祈りの詩人 坂村真民の風光』PHP研究所
2-9 ポエム
大塚英志(1997)『少女民俗学』光文社
田中卓也(2019)「『近代映画』における読者意識の形成と若者文化」『環境と経営:静岡産業大学論集』25巻1号 p.181-189
古市憲寿(2014)『だから日本はズレている』新潮社
小田嶋隆(2017)『ポエムに万歳』新潮社
2-10 共作詩
大岡信(1991年)『連詩の愉しみ』岩波書店
2-11 オブジェやインスタレーションの詩
横浜美術館「プレスリリース」 横浜美術館 2019年1月7日 https://yokohama.art.museum/pressroom/ 2023年11月26日参照
美術手帖編集部「最果タヒが渋谷PARCOで展覧会を開催。五感で言葉と出会い体感する空間が出現」美術手帖 2020年12月4日 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/23189 2023年11月26日参照
「会場・アクセス」最果タヒ展 https://iesot6.com/ 2023年11月26日参照
佐藤恵美「東京都現代美術館 遊びの時間」Tokyo Art Navigation 2019年9月11日 https://tokyoartnavi.jp/column/4633/ 2023年11月26日参照
TOLTA「東京都現代美術館「あそびのじかん」展(2019/7/20~10/20)」TOLTA 2019年6月6日 https://toltaweb.jp/?p=1719 2023年11月26日参照
その他
このほか詩誌の刊行年については以下を参照した。
永野昌三ほか編(2000)「明治から現代までの日本代表詩誌選」日本詩人クラブ編『日本の詩一〇〇年』土曜美術社出版販売 p.283-353