小田原北条🐄をみる
はじめての小田原城です。
この日は珍しく、同行者がいます。
尾張藩出身神奈川県在住の女性Tさん。
駅構内の観光案内所に周辺マップがあったりして、ビギナーにやさしい。小田原駅から案内があるので、案内通りに素直に進んで15分ほどでお城に到着。
私は長らく、「お城」というと天守閣まで現存または再興された、この小田原城のようなものを指すと思っていましたが、いわゆる城址公園みたいなのも「お城」カウントするのですね。竹田城とか。
北条5代目氏直のときに小田原支配終焉。これが1Fと2Fのシアターで、北条氏降伏場面がドラマ仕立てで上映されていました。
この5代目氏直は九度山に流されて生きているし、その従妹の嫡子が遺領の一部相続などをしているので、小田原支配の終焉イコール滅亡ではない。
天正十八年の小田原合戦は、豊臣徳川15~21万 対 北条3~7万 。
豊臣徳川勢は北条領土の完全包囲。長曾我部や九鬼の水軍も利用して海も含めての包囲。北条と同盟結んでた伊達政宗にも、遅参して豊臣の参陣要請に応じさせて北条支援をゼロに。そのうえ小田原城から直線距離3キロ、小田原城を見下ろせる位置の石垣山に一夜城建てて北条氏を完封。
石垣山の城、ほんとは(滋賀の)穴太衆動員で80日くらいかけて作ってます。そりゃそう。
天守内部も再現。
わたしは摩利支天がかなり気になる。
武将に人気があったらしい、威光と護身の天部。
いや、それよりも、豚が。豚が気になるよ。
豚がおるよ!!豚や!!
と言っていたけど、猪と書いてあった。
ま、猪を家畜化したら豚やから。
飛べない豚はただの豚
飛べたところで豚は豚
昔聞いた名言を思い出しました。
小田原城周辺は三代目氏康がいっぱいいました。
私はこの人の「酒は朝に飲め」が ようわかりません。朝なら多くは飲まないからという理由らしいですが、理解しづらい。息子四代目氏政がご飯に汁を二回かけているのを見て「一回で適度な汁を図れないほど愚かか」と泣いたのも、何が哀しいんだかわからない。汁のかけ方くらいなんでもええわ。私は氏政愚者説には疑問があります。
氏康と氏政の詳細、おいしいご飯のつくりかたは、どかたさまの記事を見てくださいね。
そろそろお昼に行こうとなり、Tさん希望でミナカ小田原【小田原新城下町】という商業施設へ。
レストランフロアは金次郎広場という名称。
小田原の英雄のひとり、二宮尊徳のことですね、最近は小学校から姿を消しつつある・・・私の小学校にいた尊徳も、今はどうなったのか。児童労働がだめなのか、歩きスマホのハシリみたいな姿勢がだめなのか知らんが、リアルな歩きスマホ者をまずは早急に取り締まってもらいたい。
Tさんがすし屋を選びました。私は、あまり寿司の良し悪しはわかりませんが、おいしくいただきました。Tさんもご納得のようです。その後も広場で、Tさんが選んだシューアイスみたいなのを食べました。
ミナカ小田原は、商業施設+ホテルです。
屋上庭園に自由に入れます。
小田原城を見下ろすようなロケーション。大丈夫か。
電車が好きな人にも楽しい位置取りですね。
足湯もありましたが、そこは無視。というか、妙なとこで潔癖なTさんは温泉が嫌い。
このあと、海まで歩いてみました。
この近くに公営プールもあるようです。海を見ながらプールで泳ぐのですね。
駅西口の早雲が見たい私。
「火牛の計」の像。立派でかっこいい。
牛の角に松明つけて、小田原城に突入させて国盗り成功という武勇伝🐄
しかし、これは作話要素が強くて、土石流か津波に乗じての奪取成功が実情では というのが今どきの説。そっちのほうが理解が追いつく。
同行者がいると、一人の時とは見方が変わって面白い。そのうち横浜にも一緒に行く予定。
そういえばお城には北条ゆかりの「祿壽應穩(ろくじゅおうおん)」の虎柄レプリカハンコがあったらしいが、気づかなかった。次回、押そう。そして一人で来るときには、西口から総構を攻めてみようと思います🦌🐄🐅