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華と罪の法華滅罪之寺


一人の人の主義主張や立ち位置がその時々で変化することはあり得るし、一人の人がひとつの考えを生涯貫くとはかぎりません。

表に出す旗と感情とが、同じ色のときもあるけれど、そうでないときも少なくありません。


奈良市法華町の法華寺法華滅罪之寺は、平城京跡のすぐそばにあります。

45代聖武天皇の皇后である光明皇后(光明子)の発願で、父藤原不比等の邸宅が皇后宮に、そして総国分尼寺に。季節ごとのお花も楽しめるようになっていて、いわゆる「女性向け」のお寺として位置づけられている様子。

お手入れ中。


光明皇后
という人の父は藤原不比等、母は縣犬養三千代(あがたいぬかいみちよ)。母の歴史上の立ち位置がちょっと不明。蘇我天武系陣営に属していた氏族に見えるのですが、美努王と離婚して反対陣営の不比等の後妻に。


古代史や日本史にあまり興味のない、ジョジョ好きな友人に、ものすごく雑に説明するときの私の台詞。「蘇我と藤原の対立は、ジョースターの血とディオの意思の対立みたいなものなんよ。世代と場所を変えてその確執は繰り返すんよ。」 ・・・なんかもっといい言い方ないですか・・・


蘇我氏というのはいわゆる大化の改新で衰退しましたが、滅亡したわけではありません。女帝たちを筆頭に、生き残ってゆく蘇我の血を引きし蘇我娘(そがのいらつめ)は、蘇我家を切り捨てて藤原と手を組んだのか、それとも蘇我の意地を生きたのか。歴史家によって見方はずいぶん違うようです。

古代日本史は母系というか、身分ある人は母親側で育つことが多いので、 母方の家筋の影響 > 父方 > 嫁ぎ先  だったりすることも多いようです。 夫よりも同母兄弟を信頼したりとか。(光明皇后は父親方で育ってる可能性も高いようですが・・・)

それも含めて私は、やはり蘇我の血は強く受け継がれ続けている気がしています。「我蘇る。ワレヨミガエル」一族。

そして蘇我と藤原は常に真向対立するのではなく、妥協したり協力したりして、その時々で対抗の度合いは一様ではありません。



光明皇后の筆跡は力が溢れみなぎっていますが、その夫である45代聖武天皇はとても繊細な人なのがわかる宸筆。

法華寺本尊の十一面観音像は普段は非公開ですが、ご分身像を拝むことができます。この十一面観音様は光明皇后をモデルにしたものだとか。やさしそうというよりは意志が強そう、という印象です。



父である不比等の強権と兄弟の専横。長屋王の変、安積王の怪死・・・と、政権抗争の中で出してしまってる死人の多さに、後ろめたさ、または恐怖が光明皇后を襲ったことは十分考えられます。光明皇后自身が誰かを直接に害したことはなくても、誰かが消えたことで明確に得をする立場です。その後に疫病が大流行して不比等の男子、光明皇后の兄弟まで全滅したりすれば、まあ、震えるかもしれません。


月ヶ瀬村から移築されてきた、茅葺屋根の家が休憩所に。


光明皇后は特に、自分の母が死去してから熱心に法隆寺に施入を行ったりして、太子信仰ぶりを見せています。もともとの信心からか、恐怖心からか、罪悪感からか、合理的で政治的なパフォーマンスからか。このひと権力掌握のために、虚偽も捏造も手段としてきた女性なのか。藤原一族の強権にはうんざりしているのに、しかしその力が自分の後ろ盾になっている事実に対する罪の意識が消えなかった女性なのか。

人の心は、単色ではないから、安易な言葉で型にはめて、型つける、ってわけにもいかないのでしょうが。

「からふろ」
このエピソードね・・・
キリストの説話にそっくりなのがあってな・・・


あ。長屋王屋敷跡の上っていま、ミ・ナーラ(←商業施設)やけど、大丈夫なんかって心配されてますね。ミ・ナーラ以前のヨーカドーも、その前のそうごうも、早々に撤退しましたからね。ただの立地の問題って言われてますけど、あかんといわれるところに建てたらあかんのかもしれません。かも🦆

(※近畿の人は、何百年とか前のことを昨日のことみたいに言いだします。首都圏の人が全くついていかれん感覚だと思います。)


?狐さん?なぜここにいるのか、ちょっと調べてみたいです。


しかし!実は私がぎょっとしたのは、ここの慈光殿という宝物倉庫で、戊申の官軍の菊紋の旗を見た時・・・藤原邸跡地にこれですか。

そもそも・・・「錦の御旗」って、戊申戦争勃発までに誰か見たことあるんですか・・・この花にどんなコンセンサスと御利益が? ・・・と、私は戊辰戦争は、どうしても死者の数と賊軍よばわりされた京都守護職、京都所司代の側に心がいってしまいます。 

藤原の「」と「」の御紋。この二つの華の勢力の親和性の高さを指摘する声がありますが、実際に見ることで心に響いてしまうものがありました・・・そういや法華寺は皇室ゆかりだから、寺紋は菊の御紋か。

この穏やかさこそ、
聖武天皇や光明皇后が望んだ景色かもしれない。

法華は白いのことですが、ここを訪れた5月は見られません。


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