悲しくない、それでいい
梅雨のある日、一緒に暮らしていた人が突然帰って来なくなった。朝「行ってきます」と仕事に出てそれっきり。正確には、冷たくなって帰ってきた。事故だった。
なのに全然悲しくない。
しばらくすれば実感が湧くものなのかと思ったけど、悲しくない。
今も。ずっと。
どこかにいる気がするからだろうか。しばらくはいつもの時間にドアが開いて「ただいま」と声が聞こえるような気がしていた。
「(葬儀などが)全部終わった頃に『何かあったの?』ってひょっこり帰ってくるような気がしない?」と言ってみたら側にいた母は薄く笑った。
ただ単にわたしが薄情なのかもしれない。それとも自分を守るための何かが働いたのか。魔法にでもかけられたのか。
もういよいよ帰って来ないのだと気づき始めた夏の暮、雨天が続いて地元の花火大会が中止になった。あの人の涙が降っているなと思うとやっと少し泣けた。相手の心情を思うと苦しかったし、心底不憫でしょうがなかった。
年月が経った今でも、たまにふと帰ってくるような気がして振り返ってしまう。
どこかにいてまたいつか会える、だから悲しくない。それでいい。ひとつも泣き暮らさないわたしを見て、あの人は不満かもしれないけれど。
さよならまたね。