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思うこと353

 今年の夏から公開している、いまおかしんじ監督の『れいこいるか』を観た。最近はめっきりミニシアターに足を運ぶこともなくなっていたので、久々の映画館にしんみり。知り合いの上野伸弥くんが出演しているというとても安直な動機で観に行ったのだが、せっかくなので感想を書こうと思う。ツイッターを見ていると何だか結構話題になっているみたい。

 1995年の阪神大震災によって、3歳になったばかりの娘「れいこ」を亡くした夫婦の話。震災、と聞いて瞬時にズン、と心が重くなり観る前から身を固くしてしまいそうな予感がしたが、いざ始まってみると、早々から妻が娘を置いて愛人と不倫しまくっており、その妻の帰りを夫が茫然と待っている。そしてその最中に地震が来るのだが、「れいこ」はアパートの崩壊に
巻き込まれて命を落とす一方、妻は愛人のアレが抜けなくなって「もう終わりやなぁ」とうんざり顔。
 えーーっ震災の描写これでいいの?!と思う一方、むしろこれが人間生活のリアルなのかもな、と思ったりした。夫婦はやがて離婚して、妻は様々な男と関係を持つが長続きせず、夫は夫でふらふらしながらも、根っからの人の良さでうっかり人を殺めてしまったりムショ帰りになったり…。そして町には様々な人がいて、ちょっと変わってたりしても、震災後の日々をみんな楽しそうに過ごしている。
 取っ掛かりこそ「阪神大震災」ではあるが、その根本は男女生活、そして人間生活のごく自然な観察と描写だ。何も特別でないからこそ、人生は特別になりうるというかなんというか。

 それから観ている間にふと思ったのは、生きているということは「死」と隣合わせであり、どんなバカらしい日常もやはり「死」によって一旦は区切られてしまうという恐怖。全体がほのぼのとして、気軽に観ることができる映像ながらも、「こんな日々にもいつか『死』がやってくる」と思わされるのは、やはり冒頭でアパートの柱に頭を潰されて亡くなった「れいこ」のせいなのかもしれない。しかしどんなに恐れても悲しんでも、もしくは笑ってたって、それは平等に訪れるもの、それが生き物の運命…。

 で、終わり方には人によって解釈があるようだけども、私はあまり深く考察しておらず、そもそも話全体の中で、キャラクターたちの動きや行動…あるいはその人の人生に深い意味があるのか?と考えた時、実はたいして何の意味も暗示もないのではないかと思ったからだ。もちろんそれは個々の人生をないがしろにする、ということではなく、全てに正解を出そうとするものではない、という感じ。
 なので、「どうしてその人といるの?」とか「何であの人はああいう風なの?」みたいな作中人物に対する問いは、結局はほとんど理屈の外にある「現象」の積み重なりでしかない気がした。むろん私の洞察力が足りないということも大いにあるかもしれないが、こと現実世界においても、全ての人間の言動や関係性に対して、それが第三者であったとしても、あらゆる説明をすることは不可能ではないだろうか。
 だからと言って荒唐無稽な人間関係が見るに耐えるはずもなく、それでもそのギリギリを攻めていたという点では、黒澤明の『どですかでん』みたいな感じだなあ、と思ったりもした。

 夫婦の物語は23年にも渡って描かれるため、時間の流れの速さに驚きつつも、丁寧に撮られた映画なのだなと感じた。一方、神戸の町並みを知っていたらもっと楽しめたのかもしれない、と思う。

 ちなみに知っている人がスクリーン上に出ているというのは、何とも面白い体験だった。観る前や観ている間こそ「観て良いのかなぁ…」という謎の羞恥心を感じたものだが、観終わってみると、これからもどんどん出演して欲しいな!!とやたら応援心が芽生えた。人って単純である。終わり。


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