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古朝鮮の人々はどんな生活だったか?

独創的な青銅器文化の発達

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琵琶型銅剣

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中国の銅剣(魚腸剣:ぎょちょうけん)

古朝鮮の土地で使用された青銅器は中国の青銅器と明らかに区別される特徴があります。これが最も良く表れているのは青銅剣です。
古朝鮮の代表的な青銅剣は琵琶という楽器に似ている事から琵琶型銅剣と言われています。琵琶型銅剣は中国の銅剣とは違い、刀身と柄を別に作り組み立てて使用しました。一方中国式青銅剣は刀身と柄が最初から一つのものとして作られました。
琵琶型銅剣は中国の遼寧地方と朝鮮半島西北部地域にかけて出土しています、これを通してこの地域が古朝鮮の文化圏であったことが知ることができる。琵琶型銅剣は以後刀身が長く細い新しい形に変わり、より顕著になった。これを新型銅剣と言います。この新型銅剣は、鉄器時代に登場した遺物として、主に朝鮮半島全域で均等に発見されています。

古朝鮮の8条法

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古朝鮮には社会秩序を維持するため「8条法」がありました。8条法の中で、今日まで伝えられているのは3つです。その3つは、中国「漢書(かんじょ)」という歴史書に残っている。
我々は、この法を通して古朝鮮の人々が生命を尊重していたこと、労働力を重要視したことを推測することができます。人を傷つけた時には、穀物で賠償するのは農業を起こせない地域への対価であると見られる。また「奴婢」という単語を通して階級と身分の差があったという事実も知ることができます。また赦しを得るために50万銭を納めなければならないといいう法から古朝鮮には貨幣が使用されていたと推測される。
犯禁8条
(古朝鮮には)百姓に禁ずる法8条があった。それは通常人を殺した者は即時殺す。人を傷つけた者は穀物で賠償する。盗みを働いた者は奴婢に落とされるが、許しを請う者は50万銭納めなければならない。しかし許しを得て普通の百姓になっても、罪を消さないために婚姻をしようとしても仲介を求めることができない。これにより百姓は盗みを働かないので大門を閉めることはなかったー「漢書」ー

鉄器の使用

紀元前5世紀頃、中国から伝播された鉄器は、青銅器と一緒に使用されていたが、紀元前1世紀から広く使われるようになった。
青銅は求めることが難しく主に支配者たちが使用する武器や祭祀用の道具を作るのに利用された。鉄は簡単に求めることができ、平民たちが使用する農機具を作るなど幅広く利用された。
鉄で作られた農機具は固い土地を深く掘ることができ開墾も簡単にでき、多くの量の穀物を生産できました。したがって、農業生産量が大きく広がり、人口も増加しました。また、鉄で作られた武器は折れることが少なく、戦争を有利にした。

諸国の登場

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鉄を上手く利用した部族は戦争を通して周辺部族を征服しながら、新しい国を作ろうとしました。特に古朝鮮が滅亡し、その流民たちが各地域に流れ出て彼らによって鉄器が広く伝播されました。
その結果満州と朝鮮半島には鉄器文化を基礎とする様々な国が現れ始めました。
満州には扶余と高句麗が立ち、朝鮮半島の北部、日本海沿岸地域には沃沮(オクチョ)と東濊(トンイェ)が支配し、朝鮮半島南部地方には多くの小さな国々が起き、馬韓・辰韓・弁韓という国が支配した。これを三韓と言います。


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