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韓流ドラマから見る朝鮮半島英雄列伝


序文

韓流は、韓国のブランドイメージの上昇とハングル学習や韓国料理への関心向上を巻き込んで日本でも定着してきました。
一過性のものだと言われ続けたが、日韓関係が冷め切った今日 でも根強い人気があります。

日本での韓流の始まりは、2003年4月から始まったNHKBS2「冬のソナタ」からだとされています。
だが、韓流のネーミングは、1997年に中国中央電視台でテレビドラマ「愛がなんだって」放送され(この当時中国では、自由主義国のドラマの放送は控えられていて、韓国ドラマを皮切りに解禁された)成功を収めるほか、2000年に台湾で音楽デュオ、クローンの「初恋」が大ヒットして中華圏で名付けられたのが、最初でした。

その後韓流は、衰退と再興を繰り返し、2020年からは第4次韓流ブームと呼ばれている。第4次ブームの契機となったのは、アカデミー賞受賞作品の映画「パラサイト半地下の家族」だ。パラサイト半地下の家族は日本での興行収入45億円でこれまでの韓国映画の記録を塗り替えました。また、この時期コロナ禍で巣ごもり需要が増えたためかネットフリックスで配信されたドラマ「愛の不時着」「梨泰院クラス」が大ヒットし、2021年も新たに「DP追跡捜査官」「イカゲーム」が注目されています。特にイカゲームは全世界で人気を集めていて、日本はデス・ゲーム分野でのお株を奪われたと言っても過言ではありません。

韓国では1997年アジア通貨危機により韓国も通貨危機に陥り、国際通貨基金(IMF)からの資金支援の覚書を締結しました(この時、韓国人たちは金融機関を通さない無尽講のタンス預金を吐き出し、IMFから脱却に一役買った)。
このIMF危機により、韓国は経済再建戦略として文化産業振興を掲げました。
1998年に大統領就任した金大中大統領(韓国唯一のノーベル賞受賞者)の「文化大統領宣言」に基づき、1999年に「文化産業振興基本法」が制定され、2001年にコンテンツ産業を専門的に支援する政府機関である「韓国文化コンテンツ振興院」が設立されました。この韓国文化振興院の主な役割は、文化産業の人材育成と輸出振興の助成で、各大学にも映像学科や実用音楽科が設立された他、K-POPや俳優養成のため多数の専門学校が生まれ、現在でも韓流の下支えになっています。
こうした、韓国の国策と時代の流れに乗って韓流は瞬く間に世界へと広まっていきました。

冬ソナ

2002年に冬のソナタが、韓国公共放送KBSで放映が始まると先ず日本に売り込みがありました。しかし、当時のNHKの担当者は「所詮韓国ドラマなど陳腐なものだろう」と言う考えから見向きもしませんでした。韓国KBSは矛先を当時海外番組を解禁したばかりの中国に向けました。これが大成功を収め、海外に住む華僑の間でも冬ソナブームが巻き起こりました。当時中国からの移民が多かったカナダでの人気は特に高いものがあったのです。カナダでのブームをNHKの外郭団体MICOに出行していた女性記者(故田中邦衛さんのお嬢さん)が察知し、ようやく買い付けに走った、当然KBSが当初に売り込んできた金額より高かったのは言うまでもありません。

さて、第4次韓流ブームの現在、韓流ドラマを観るにも、その時代背景がわからなければ楽しみも半減してしまうのではないでしょうか、現代ドラマは理解できても歴史大河ドラマは理解に苦しむのは当然です。そこで朝鮮半島の歴史を韓国歴史ドラマと合わせて紹介していければと思います。


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