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社会性消失バグ/ともだちのつくりかた

 人間が怖い。コミュニケーション全般が怖い。

 Twitterなどを眺めていると、「3人以上での会話が難しい」という話をよく見る。
 「わかる!!!!!!」と、言えるもんなら言いたい。が、残念なことに、完全には共感できずにいる。なぜなら、私には3人以上で集まって会話する機会がもう数年ないからである。だって人に会わないもん。
 それでも。なんとなーく、想像できるというか。会話って結局は1対1のラリーなわけじゃん?会話の場に私含め3人がいたとしたら、当然私以外の2人によるラリーも発生する。そして、その瞬間に疎外感で消えたくなっていく心の動きがありありと思い浮かぶ。その上、はじまってしまった他2名の打ち合いに自分から入っていくことは、多分できない。そんな器用さはない。私が置いていかれるか、さもなくば別の一人を犠牲にするよりない。

 おかしい。こんなはずではなかった。過去の私ならば確かに幾許か社会性を備えていたはず。トモダチもいた。休み時間に教室の隅に集まって架空の美少女の話をしたし、トランプゲームで手を動かしつつ夜を徹して架空の美少女の話もした。あの時は複数人での会話がどうこう、なんて一切考えていなかった。

 振り返ってみるか。

 トモダチのつくりかたを。

 社会性を喪っていく過程を。

小学生

 確かに友達がいた。そこそこの人数がいた。
 各人とどうやって仲良くなったか、あまり覚えていない。多分、それくらい自然にできていた。友達の友達を概ね友達だと思えていた。
 ある時、授業にて「紙に友達の名前を書けるだけ書け」という時間があった。その時その場ではたくさん名前を書けることが「善いこと」だったので、多分彼らは私のことなんか微塵も好きではなかったが、ほとんど関わったことがないはずのクラスメイト多数が私の名前を書いていた。このことが「不快だった記憶」としていまだに残っている。私は放課後によく集まって遊ぶ仲間だけを友達だと認識していたので、その通りに書いた。
 ある年、特に5名くらいの友人との泊りの行事が催された。以降、毎年夏休みの恒例行事となって、私が大学1年の年まで続いた。最後の方は各々違うことをしていたため、1年ぶりに会うやつもいるような状態で、流行り病により中止してからはわざわざ集まることもなくなった。今はみんな地元を離れて働くなり、どこでなにをしているのかよく分からなかったりする。
 私にとっては今も「友達」として真っ先に思い浮かぶのは小学生からの仲間(泊りには参加していなかったやつも含む)だが、彼らはどうだか知らない。

中学生

 まだ、大丈夫。
 小学校からの友達がほぼ一緒に上がって来たので、急に孤立するようなことはなかった。別の小学校から来た人とも、もとの友達経由で結構広範囲と仲良くなれた。ただ、私以外みんな部活に入ったため、放課後毎日のように集まることはなくなった。私は授業が終わればすぐ家に帰って本を読むなりニコニコ動画を見るなりしていた。「先輩」という概念がどうしても受け付けなかった。フィクションの中のようなステキな関係性ではない、と私は思う。
 1人でいるのがもともと嫌いではないので、放課後はみんなの部活がない日にたまに集まるくらいが、かえって丁度よかった。
 休み時間は自然と隅の方に集まったし、昼休みには結構な人数で校庭で鬼ごっことかしてた。(中学生にもなってよくあんなに毎日走り回ってたよな)

高校生

 終わりのはじまり。
 友達が誰一人同じところを受験していないことを承知の上で、一番家から近い学校に入った。余裕で孤立した。
 なんからのコミュニティに居場所をつくるため部活に入ろうと思い、割と本気で体験入部とかもしてみたが、結局無理だった。
 クラスにやさしい人たちがいたので、やんわりと会話するくらいはあったが、二者面談で初手に友達がいるかどうか聞かれる程度ではあった。他がみんな「同じ中学」で最初から関係性を持っているのがキツかった。
 2年に上がると、同じクラスにいつも1人でいる男を発見した。私は高校に入ると同時にスマホを入手していて、彼は休み時間に私もやっていたソシャゲをやっているようだった。3回くらい話かけるとどうも友達になったようで、以降は卒業まで2人で行動することになる。なにしろ友達が1人しかいない状態なので、彼とはとても仲良くなった。卒業後は連絡を取り合っていないが…。たまにソシャゲのフレンドリストで見かけるので、辛うじて生きているらしいことはわかる。(今見たら最終ログインが22時間前になってる。珍しい)
 窮地に陥った私が編み出した「友達をつくる方法」。自分が孤立している場合、周りから1人でいる人間を見つけ出して当たり障りなく話かける。1人から2人になることができる。なーんだ、簡単じゃん。

大学生

 昨日(この文章を書いている前の日)、好きな動画投稿者が配信していて、新しく大学生になるリスナーに対して「同年代の人がいっぱいいる環境は大学が最後なので、コミュニケーションを学んでおこう」とアドバイスを送っているのを聞き、変な笑いが出た。
 そう。私の大学生活は高校と全く同じことをして終わった。
 なんらかのサークルに入るぞ~と思っていたが、気付いたらタイミングを逃していた。
 友達は、入学早々の多種多様な説明を受けるためにあっちこっち行かされるフェイズで、大教室の前で時間が来るのを待っていた時になんか一人でいるやつがいたので話かけたらできた。

 「私も日本文学科なのですが。次の場所はここで合ってましたよね?」
 「ええ」

 あとからもう何人かとたまに会話するくらいにはなったが、結局卒業まで行動を共にし、大学時代の友人と呼べそうなのは最初に話しかけた彼のみだった。
 とはいっても、大学は受ける授業を個人で決めるので毎日会っていたわけではないが。学部学科が同じなので授業が被るのも珍しくなく、わざわざ履修を合わせずとも週2回程度は顔を合わせることになり、会った日は一緒に昼食をとった。私の場合は大学に行って誰とも会わずに授業だけ受けて帰るのが全く苦痛ではなかったので、連絡を入れれば返ってくる相手が学内に1人いるだけで十分だった。
 途中から講義の大部分がリモートになったので交流も薄めになったが、卒業式の日は早めの時間に集まって久しぶりに長いこと話した。学外で長時間遊んだのは、一回日帰りで出かけたのみだな。
 最近、たま~~に思うのだが、大学で最初に話しかけたのが彼ではなく女子学生であったなら、私の今後の人生はなにか変わっていたのではないか、と……。まぁ、当時の私は異性と友達になれるなどとは微塵も考えてなかったため、あり得ないことなのですが。あの時の選択で以降4年間の人間関係が確定したとすると、大教室の前で誰に話しかけたかで大分世界線が変わってくる、とは思う。あぁ、カスの『四畳半神話大系』がはじまってしまう。

それから

 大学卒業にともない、所属するコミュニティが変わる。新入職員がたくさんいる職場に就職すれば、またソロ仲間を発見できるだろうなどと考えていたが、普通に就活に失敗した。ぜーーーんぶの面接で落ちた。社会的な生息地が“無”、あえて言えばTwitterになる(おしまい)。
 そういえば。はじめたてのころ、あまりフォロワーのいない好きなコンテンツの複数が私と被っているオタクのアカウントをフォローしたら普通にビビられて(?)ブロックされたことがあるので、「1人でいる人は友達になれそう」理論は対面じゃないと上手くいかないかもしらん。
 日々“いいね”をつけあい、まれにリプを送りあうFFも、いつの間にかできたが。今の私の"生”を観測してくれる貴重な存在である。あと2~3人増えないかな…フォロワーってどうすると増えるんですかね?
 ここで冒頭の話に戻るんですけど、自分の過去を振り返ってみると、高校からずっと友達が常に1人ずつしかいない。よって、基本1対1のコミュニケーションしかしていない。中学まで普通にできていたはずの、複数人での会話がイメージできなくなったのはこれが原因か……。
 コミュニケーション全般もかなり苦手になってしまった。Twitterを好き勝手使ったりnoteに駄文を垂れ流すのは誰にでも見られるものとはいえ独り言なので、平気でできる。が、人に対して言葉を投げかけるのはめちゃくちゃ大変だ。リプとかも気軽に送れね~~意見を求めてる前提があるやつとかにしか書けないね。
 私、youtubeとかの配信でたくさんコメントが打てる人達のこともみんな陽キャだと思ってますからね!

 助けてくれ~~~~~~~~!!!

 いつか旧友の誰かに見つかったらコンタクトがあるかもしれないと思い、私を知るものが見れば私だと分かるであろう名前でインターネットをやっているが、今まで懐かしい人から連絡がきたことはない。

インターネットのすみっこで ずっとだれかをまっている

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