ギフテッド児が生きづらい社会で
「幼少期にちょっと頭が良いだけで協調性がない奴をギフテッドって言うのやめたら?そのうち勉強でも追いつかれて社会性がないただの大人になるんだから。」
こんなコメントを見るたび、ギフテッド児を間近で見ると普通の子とは全然違うんだよ、と言いたくなる。クラスメイトとも兄弟ともまるで違う特性。日常生活ではとにかく手がかかるし、一度感情に火がつくとしばらく収まらない。こだわりが強く、繊細で、不器用。それがしばしば周囲の人を不快にさせ、衝突を招いてしまう。
一方で、強いこだわりが勉強面では強みになる。強い好奇心や探究心、集中力には親も舌を巻く。幼少期から自然と読み書きができ、流れているテレビのニュースを理解する。本さえ与えておけば、化学や医学などの専門知識の世界に勝手にどっぷりとはまっていく。記憶力に優れ、親も忘れていたことを細かいところまで覚えている。
だからこそ公立学校での教育には全くそぐわない。いわゆる平均的な子どもを対象にした国語や算数のカリキュラムは、ギフテッド児にとって退屈で仕方がない。団体行動やチームワークが求められる体育や音楽に参加するには、それに足りるだけの協調性を欠く。
こうした日々の繰返しによって、学校からは無事に問題児の烙印を押され、通知表に記載された評価は目を覆わんばかりとなる。
学校や社会が期待しているのは、一般常識や社会規範という型にはまった子ども。ギフテッドは型からはみ出したり、ところによって欠けていたりする歪な子ども。無理に型に押し込んだらどうなるか?はみ出た部分は削り取られるけれど、欠けた部分は凹んだまま。長所を失い、協調性に欠ける平均以下の大人の出来上がりだ。
ギフテッド児の長所を伸ばし、欠点をフォローし、幸せな大人にするために、少なくとも親だけは彼らの可能性を信じ、大きな可能性を守ってあげたい。
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