続 函館への旅
函館に行こうと思った当初には、可能であれば白老にあるという”ウポポイ”を訪ねてみたいと考えていた。
この施設は北海道に伝わるアイヌ文化を紹介するものとして、人気があると聞いていたからだ。
それは日本という国に根付いた文化の多様さを、リアルに体験できるところであるだろう。僕は昔、北海道大学の資料館を見学に行った時に見た、アイヌの人たちが履いていたという、鮭革の靴のような履物を見て、ところ変われば品代わるで、人間の工夫の面白さに感心したものだった。
きっと“ウポポイ”に行けば、そういった品々をたくさん見ることができるだろうという期待をもった。
函館の朝市に出かけたついでに、函館駅にある観光案内所に行き、函館から白老への行き方を聞いてみたが、どうもかなり時間がかかりそうだということがわかった。
札幌や千歳空港からは”ウポポイ”へのツアーバスがあるようだが、残念なことに、まだ函館からのツアーバスは無いようだった。
ならば市内にある「北方民族資料館」という、小さな博物館に行ってみようと思った。
この資料館に入ると、最初の大きなホールに、アイヌの人々の一年の暮らしを描いた12枚の屛風絵画があり、その前に蕗の葉の下に集うコロボックルたちのオブジェがあった。
コロボックルの物語は昔からアイヌの人々が伝承してきたもので、蕗の葉に隠れるほど小さなコロボックルは、恥ずかしがりやな性格で、また集団で暮らす民族だったと言われる。
一説によると彼らは日本の石器時代の先住民で、はるか昔にアイヌの人々と共存していたのではないかともいわれている。
僕の身体的特徴は、なんだかコロボックル的で、彼らには親しみがあるので、オブジェのコロボックルたちの仲間入りをしようと、家内に写真を撮ってもらった。
展示品の中にやはり鮭革の履物を見つけた時は嬉しかった、ほかにも鹿革のブーツなどもあったが、器用に鮭革を折り畳んで造られたチェプケリと呼ばれる履物に、僕はアイヌの人々の工夫を感じるのだ。
それは台湾の先住民の人たちが、コルクのような木の樹皮を剥いで作った、胴巻きを見た時の感激に通じるものだった。
台湾東部のアミ族の豊年祭で見かけたもので、アミ族のおじさんが祭り衣装で着ていたもので、剣道の胴にそっくりなのだったのだ。
アイヌの人々の着ていたアットゥシは、樹木の樹皮を糸にして織り上げた布に、独特の渦巻き模様や直線模様などをアップリケしたもので、どこかアメリカ西海岸の先住民たちの衣服の文様に通じるものがあって興味深い。
僕はノマドと呼ばれた人々の歴史にも興味があり、ワシントンのスミソニアン博物館でも、アメリカ先住民の文物のコレクションを見て、はるかな昔ユーラシア大陸から、島伝いに人間が移動していった、壮大な民族移動の物語を、それら相似形の文様が物語っているように思えてならないのだ。
「函館北方民族資料館」には、たくさんのアットゥシなどの衣装が並んでいて見応えがあった。また美しい刺繍やアップリケなどの装飾をされたサラニアと呼ばれる小さなショルダーバッグや、彼らの暮らしには欠かせなかっただろう柄や鞘に彫刻を施した小刀などの道具も素敵なものが多かった。
日本は小さな国だと思われている人も多いだろうが、どっこいこの南北に伸びた列島には多様な民族の暮らしの文化が刻まれていて興味深くてならない。明治時代に近代化が始まって以来、その多様な文化が画一的に整理されてきたのだが、それでも日本の各地にははるかな昔をしのばせてくれるものがたくさん眠っているに違いないと、この資料館を見ながら考えたのだった。
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