僕的北帰行 函館へ


 函館に旅しようと思ったのには、とりわけ特別な目的があったわけではない。
 今年もまた暑く長かった夏がふいに別れを告げ、短い秋の訪れを予感した時、旅心の羅針盤が北を指したのだった。
 北海道のどこに行こうかと家内と話していた時、急に四半世紀昔に取材旅行をしたことがあった、函館の町が頭に浮かび、そのことを話すと、「函館は知らない町だから行ってみたい」と彼女も言う。
 
 すると彼女は函館の宿を調べ始め、「湯の川温泉というところがよさそうね」と、早くも旅の予定を組み立て始めた
 湯の川温泉は、函館空港と市街中心の真ん中にあって、海に面した温泉旅館があり、以前の旅でもそこに泊まったことを思い出し、ゆっくり温泉につかるのも旅の醍醐味だと、宿選びを任せることにしたのだった。
 以前ならこうした旅程のほとんどを、僕が組み立てたものだったが、彼女の旅への思いもあるだろうからと、最近では調べ物を任せるようにしているのだ。
 どこに泊まり、何を食べるかは旅の大切な要素であり、日ごろの家事から解放される彼女にとっては、大きな楽しみだろうから。
 ただし一軒だけどうしても再訪したい寿司店があるので、そこでの食事を旅程に組み込んでもらった。

 こうして函館の旅が始まった。あいにくの台風接近で、西日本への飛行機の多くが欠航となったが、北向きの便には影響がなく、予定通リに出発することができた。
 函館への空路はたった一時間と十五分。新幹線で横浜から京都に行くより短い時間で、別世界へとあっという間の到着だ。
空港からは函館市街行の急行バスに乗って、湯の川温泉街に行けるから便利だ。しかも泊まろうとしている平成館という宿の目の前に停留所があり、バスが止まってくれたからありがたい。

さっそく朝の散歩

 午前中の到着だからすぐにはチエックインできないので、フロントに荷物を預けて中心街へと出かけることにする。
 函館という町は横長の町で、それを横断する市街電車が交通の動脈となっている。そして一日車券というありがたいシステムがあるから、さっそくそれを手に入れることにした。この一日乗車券というのは、多くの都市の交通機関が採用しているから、使わない手はないのだ。京都に出かけるときはこれを何時も使っていて、経済的で本当に助かる。
 市街電車が走る大通りは海沿いの道から一本内陸寄りなので、そこまで歩いて向かう。
 何軒かの老舗旅館がならぶ、湯川という小川に沿う道の川辺には、紅葉を始めたつたなどが彩を添えていて、秋がやって来たことを知らせてくれている。

 湯の川温泉停留所の向かいには足湯があり、何人かの人がそこに足を浸しているのが見えた。自分が暮らす町に、このような足湯があると楽しいだろうね。
 市街電車はひっきりなしにやってくるようだ。
 それに乗って電車道を揺られていると、京都で暮らしていた青春時代を思い出した。僕の家があった泉涌寺から四条河原町までの運賃は、昭和40年ころまでは確か往復で25円だった。
 函館の一日乗車券は600円、これを市電、バス共通券にすると1000円で、あちこち巡り歩く人にはかなりリーズナブルな価格である。

 函館の魅力はいろいろある。まずは港に近い元町界隈のエキゾティックな街並みや、そこにある教会群と、洋館、偽洋館と呼ばれる日本の大工さんが建てた木造洋館の数々。
 今僕が暮らす横浜にもこうした洋館や、偽洋館がたくさんあったはずだが、関東大震災や太平洋戦争の空襲によってその多くが消失してしまったのが残念だ。
 またこの北の港町は幕末の外国船の来航と、その後の開港の影響からか、海外の情報がいち早く伝わっていたせいか、近代化が早かったに違いない。
そんな雰囲気のせいか、この町からは久生十蘭、谷譲二といった海外を舞台とする物語をたくさん書いた小説家を輩出した。
 『新青年』などの文芸誌で大活躍したモダーン小説の書き手だけではなく、今東光のような作家を生み、育てた町でもあった。
 またこの町に滞在した人の中には石川啄木のような、日本の文芸誌を飾る人がいたことも、この町の魅力だといえるだろう。
 彼ら文芸の人たちを顕彰する博物館もあるから、時間が許せば訪ねてみるのも一興だろう。

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 さて、函館といえば海の幸の世界である。この季節どんな魚介が市場に並ぶのか、さっそく函館駅近くの函館朝市に足を延ばして偵察にいかなくてはね。
 実は四半世紀前に函館を歩いた時には、この朝市の事は知らなかった。ここは戦後まもなく近郊の農家が時価産の野菜を商う蔬菜市場として始まったらしいが、やがて魚介を商う店が集まり、地の利が良いこともあり、大きな市場として発展してきたのだそうだ。
 何本かの通リ沿いの店や、大きな建物に入った店がぎっしりと並び、毛ガニや花咲ガニ、生の鮭、朝どれの様々な魚や貝類、そして加工品のウニやイクラを、これでもかと並べている。
そこそこ人が買い物をしているが、思ったより人出はないのは、まずはコロナ騒ぎの影響で、海外からの観光客が激減しているからに違いない。その日の午後もやはり町中が静かで活気がなかったが、それも今回のコロナ騒ぎのせいに違いがなかっただろう。

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