見出し画像

【小説】天体観測の夜に



握っていたペン先が、横、ななめと進んで真っ直ぐ下におりて1周円を描く。一息おいて、点をうつ。
黒いラインがノートの上に文字を作った。
“な”と書かれた文字を去り、また次の文字へ。
横線をすうっと引いたところで、
「すみませーん」
と窓の外から声が聞こえた。
「す、み、ま、せぇーん」
もう一度、さっきより大きな声で誰かが呼んでいる。
大家さん、出かけているのかもしれない。
ルッカは椅子から降りてそっと窓の下をのぞき込んだ。
少し背伸びをしながらキョロキョロと周りをうかがっている人がいる。
行ったりきたりうろうろしてみながら、やがて去っていってしまった。
大家さん家の玄関前に、その辺の石を重しにして飛ばないようにしたチラシの束を置いて。

“4年ぶり!△△小学校校庭に集合!”
星空の下でメガホンを持ったネコのイラストが目立つチラシはまだまだたっぷりある。
肩にかけていたトートバッグに分厚いチラシの束を押し込みながら、サイトウは白いアパートの門をくぐって通りに出た。
「あれぐらいあれば足りるかな?」
置いてきたチラシの枚数を考えながら額の汗を拭った。暑い、この暑さは反則だ。
チラシは、来週末に開かれる地元小学校での星空観察会のお知らせだった。
毎年恒例で大学の研究室主催で開催していたのだが、コロナもあって中止が続いていた。
今年は久しぶりの復活になる…ということで、チラシを配って歩くことにして、まずは4年前まで毎年来てくれていた教授の顔見知りの所に来たのだ。

「たくさん集まってくれるといいね。」
コピー機で刷ったチラシを手渡しながら、ミナミは楽しみだなぁと言った。
ミナミは同じゼミの女子でチラシ作成担当をしてくれていた。
そもそもうちのゼミは地学専攻でもないのになぜ星空観察会なんだとか、4年やってなかったしもう無期限休会でも良かったんじゃないかとか、準備が面倒だとか思ってたサイトウは「あー」とよくわからない間合いで母音を伸ばして返事をするしかできなかった。
だからミナミが「私も一緒に配ろうか?」と言ってくれていたのに、思わず大丈夫って断ってしまった。
同じゼミってことしか知らない女子と2人きりとかハードルが高すぎる。
「これでどれだけ集まるんだろ?」
なんでもSNSのこのご時世に、チラシ配りとか不法侵入で捕まったりしないかな。
サイトウは、さっきの白いアパートの方を振り返りながらため息をついた。

「あそこに見える明るい星が白鳥座のデネブですね。」
教授の説明に合わせて、レーザーポインタの赤い光が天頂のあたりでくるりと1周した。
空に明るく輝く一等星は望遠鏡がなくてもよく見える。
星空観察会に集まった人たちは空を見上げたり、星座盤を見たりしながら話に耳を傾けてくれている。
家族連れや簡易椅子に座っているご老人、会社帰りっぽいひともいる。
20人くらいの人の集まりの脇で、ゼミのメンバーも空を眺めていた。
ゼミの女子たちはせっかくのイベントを盛り上げようと言って揃えて浴衣を着てきていた。

「ねぇねぇ、星座盤って余ってる?」
貸し出し用の星座盤を1枚借りたいと声をかけられたらしく、白地に水色の花が描かれた浴衣を着たミナミがオフィススタイルの女性と一緒にサイトウのところへやって来た。
女性に星座盤を渡すと
「私、卒業生なんだ。星空観察会をまた開いてくれてありがとう。」
と笑顔を向けられた。
あとで教授に聞いたところ、彼女は休止になる前の最後の星空観察会を主催したメンバーの1人だったそうだ。
久しぶりに空を見て、大学生だったころを思い出してると嬉しそうに言うと、みんなの方へ歩いて行ってしまった。

視線で見送ったあと、ミナミは「卒業生だって!」とサイトウに言った。
サイトウは、「あー」とよくわからない間合いで母音を伸ばしたあと「そうなんだね」と返事をしながら星座盤をまとめるフリをした。
「スーツ、オトナだよねぇ。」
結えた髪についている髪留めと同じように目をキラキラさせて、ミナミはため息をつくように言った。
お団子の茶色い後毛がふわふわと風に揺れている。

「サイトウくん、星見ないの?」
ミナミが不意にこちらを振り向いて、サイトウはパッと目を逸らした。
「手伝い、あるから、また今度見る。」
「また今度ぉ?1人で来るの?」
ふふふと笑うと「確かに一番働き者だししょうがないかぁ。」と他のゼミメンバーが固まっている場所へ視線をむけた。
なんと言って良いのかわからない。そうだね?ありがとう?いや、1人が好きで、とか?
サイトウがぐるぐる考えているうち、ミナミが少し距離を縮めて「じゃあさ、」と1歩そばに寄って囁いた。
「今度一緒にプラネタリウム、行こ。」
丸い瞳が瞬くのがスローモーションのように感じる。誰が、誰と、どこにいくって?

「またLINEするねー。」
返事をする間もなく、ひらりと手を振ってミナミはサイトウに背を向けていってしまった。
突然すぎて頭が回らない。
髪留めに猫がついてたんだなぁなんて今じゃなくて良いことを考えていたら、耳の端が真っ赤になっているのを見つけてしまった。
顔が熱い。星座盤で隠して、備品の入っていた段ボールの端にしゃがみ込む。
あれは、反則だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?