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小麦・イネ・遊牧・人口密度

割引あり

前回の記事「動画で見る主要語族拡散の歴史」の続きです。

今回の記事では、インドヨーロッパ語族が新大陸に進出する一方でインドや中国は植民地となり、かつてヨーロッパに攻め込んだモンゴル・トルコ・イスラムはトルコのヨーロッパ領を除きすべて退却していった背景を考えたいと思います。

私が高校生のときの世界史で学習してなるほどと思ったのは、モンゴル人の支配層による中国の元の話です。遊牧民であり、人口も少ないモンゴル人は、機動力によって征服したものの、農耕民であり人口も多い漢民族を支配し続けることは難しかったというような内容だったと思います。

モンゴル、トルコ、イスラームはいずれも、同様な理由により、版図を農耕民中心の地域まで広げて維持し続けることが難しかったのではないかと思います。

では、中国とインドにできた帝国が、近代化の道において植民地化を免れなかったのはなぜでしょうか。私の頭に浮かんだのは、稲作地地域と小麦作地域の違いではないかという仮説です。

次の図は、インドと中国の食料作物の産地を示しています。

中国とインドの地域別主要作物マップ https://honkawa2.sakura.ne.jp/0431.html

これに各国の人口密度の図を重ねてみます。

インドの鉄道網と都市、人口密度 Planemad - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16415218による

インドの人口密度の図には隣国まで含まれているためわかりにくいですが、インドにおいて特に人口密度の高い場所は、概ね稲作地帯であることがわかります。

次に中国の人口密度を示します。

中国の人口密度 https://web.iss.u-tokyo.ac.jp/~marukawa/chinapopdensity.htm

中国では小麦やトウモロコシの産地である渤海湾の西や南の地域も人口密度が高くなっています。ただし、これは北京市と天津市の存在が大きいかもしれません。

次に世界の人口密度を見てみます。

世界の人口密度 https://honkawa2.sakura.ne.jp/9050.html

この図を見ると、インド・中国・日本・フィリピンなどの稲作地域は人口密度が高く、その他の地域は農業地域であったとしても人口密度がそれほど高くないということが言えそうです。

中国とインドの穀物生産についてもう少し詳しくみてみます。

中国(2020年の主要穀物の作付面積、生産量、面積当たり生産量 出展:農林水産省

  • 小麦 2338万ha 1億3425万トン 5.74万トン/1万ha

  • トウモロコシ 4126万ha 2億6067万トン 6.32万トン/1万ha

  • コメ 3008万ha 2億1186万トン 7.04万トン/1万ha

インド(2021年の生産状況 出展:農林水産省

  • コメ 1億9543万トン

  • 小麦 1億0959万トン

いずれの国もコメの生産量は小麦の生産量の1.5倍以上になっています。国力の源を穀物生産量と国民の数であるとすれば、単位面積当たりの収穫量が多く、より人口密度を高めることのできるコメは、国の農業の基礎として優れているといえそうです。また、コメは小麦よりも健康面で優れているという話もあります。

では、小麦の民であるヨーロッパのインドヨーロッパ語族が版図を広げて、コメの民である中国やインドを植民地にしたのはなぜでしょうか。

それについて先ほどの人口密度地図を見ながら考えてみます。

稲作のためには、水田や水路というインフラの整備が必要であるうえに、温暖で利水の得られる土地が必要です。けれど、そのような場所はかなり限られています。米を中心にする文化は、限られた地域にしか広がりません。

これに対して、小麦を中心にする文化は、実は小麦よりも肉や乳製品などの主菜を中心にする文化です。日本人は主食といえば米だと考えますが、小麦文化では主食という意識は低いようです。なので小麦を採れない地域でも、牧畜を中心として生活文化を維持していくことができます。

ヨーロッパの文明が広がっていったのは、拡大や移住が比較的容易だったからであろうと思われます。

縄文時代の終わりに日本列島にやってきた弥生人たちは稲作の民族であり、中国での戦乱に押されて新天地を求めて移住してきたものと思われます。彼らの言葉が日本語の元になりました。幸いなことに日本は稲作のできる土地であり、しかも、東日本に比べて西日本は暗い常緑照葉樹の森が広がっていたせいで縄文人は少なく、弥生人たちは勢力を広げやすかったようです。こうして穀物をもりもり食べ、漬物やみそ汁や煮物をおかずにする日本の食文化が生まれました。広い平地の広がる中国と違い険しい山の多い日本ですが、選ばれた条件でしか栽培できず、収穫量の多いコメという穀物を育てるために棚田を作り、ため池や用水を作って、人口密度の高い国になりました。

日本語が属するという説のあるトランスユーラシア諸語は、9000年程前に西遼河から生まれました。トランスユーラシア諸語には、農耕に関する語彙に共通性が見られ、9000年前には定住生活を行い、キビを栽培し、布を織っていたことが推測されます。その後、遊牧へと舵をきったのがモンゴルやトルコです。一方、農耕を続け、イネと出会い、強国を作り上げた日本は、トランスユーラシア諸語の正統な成功事例といってもよい存在だったのでしょう。

しかし、日本は減反政策に走り、農地を工場やグローバル企業の店舗などに転用し、学校で牛乳と小麦に慣れさせ、肉食ばかりをあおるようになって、すっかり小麦文化に飲み込まれていこうとしています。

狩猟採集社会と農耕社会に大きな違いがあるように、コメの文化と小麦と肉の文化にも大きな違いがあり、汎用性や移動性という面で優れていた小麦文化が世界を覆っていったのではないかと思います。

私は、人間の本来の生き方は狩猟採集であると考えますが、日本という国で農耕を基礎にした文明社会に生きるのであれば、やはり稲作を中心とした文化を維持していくべきなのだろうと思います。

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