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すずめの戸締り

あの日、2011年3月11日、大津波が町のほとんどの建物を飲み込んだ後には、まだ町ができる前に見えていただろう地形がはっきりと見え、人の営みの消えた世界はなんてきれいなのだろうと、不謹慎にも、その大地震の跡に僕は思ってしまった。


さて、映画の話である。

この地に住む人々が、西でも東でも、連綿として地震と向き合ってきたであろう歴史をこの映画では、常世と現世をつなぐ後ろ戸を抜けて巨大ミミズが現世に現れることによって巨大地震が起き、それを要石で抑え、後ろ戸を閉めて鍵をかける閉じ師という存在が古来より活躍していたという世界観が作られている。

戸を閉めて鍵をかける際にはそこで暮らしていた人々の思い出を感じ取り、祝詞もしくは呪文を唱える。

ずるいなと思うのは、人々の思い出を感じ取るという要素を入れたことで、他の設定とは無関係に涙を誘う仕組みになっていることである。


さて、本作の設定とは矛盾するのだが日本列島では人の思いや閉じ師の活躍をあざ笑うように巨大地震は定期的に起き、大きな被害を出す。

私は、それでも人は閉じ師を通じて祈り、そうすることで心を癒して暮らしてきたのだと思う。


草場の影に精霊が住み、森にも川にも物の怪がいて、地中にはミミズが隠れるこの土地では、祈りによって人の暮らしも成り立っていたのではないだろうか。

今世界を騒がせている病に対しても祈ることによって対処していたならばこんな形にはなってこなかったのではないかと私は思う。

人が祈りよりも人の為すこと(技術)を信じるようになってしまったことで川も海も汚れてしまったのではないだろうか。

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