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[考察] 浅岡 雄也(FIELD OF VIEW)氏とTwitter

浅岡雄也氏と言えばFIELD OF VIEWのボーカルとして世間一般に認知されている。

アーティスト、ソロ歌手としての氏の活動や軌跡については、長きに渡り応援を続けてきた方達により既に語られ発信されている事と思う。

私は近年「浅岡雄也」氏を強く認識したご新規と自負する。

国民的に流行(りゅうこう)したものへの認識は「なぜだか知っている」、流行った曲等であれば「なぜだか歌える」といった具合に、自然と頭の中へインプットされてはいないだろうか。
この「なぜだか知っている」人が多い程、世の中的に「流行った」ものとして認知され人々の記憶に残っている様に思う。

FIELD OF VIEWに対する私の認識は全くもってこの「なぜだか知っている」であった。
浅岡雄也氏に関しては「FIELD OF VIEWのボーカルの人」
失礼ながら名前を存じ上げて居なかった。

"声が綺麗でスーツを来たBeingの人達"と認識していた。

なぜだか知っているに過ぎなかった私が、ソロ歌手として活動を継続していた浅岡氏のライブ会場に足を運ぶに至った要因。

それは「浅岡 雄也氏のTwitter」との出会いに尽きる


浅岡氏が発する「Twitter」にどれだけの力(求心力)があるのか
ここに「考察」の真似事をする事とする。
「まねごと」なので(ほぼ)100%Wikipediaをデータとして用いる事をご容赦願うw

[ヒストリー ]
浅岡雄也氏は2023年(54歳)歌手生活35周年を迎える(ご本人呈示)

1988年(19歳)Missing Peaceが「歌手」「浅岡雄也」氏の誕生となるのであろう。

1991年(22歳)PANDORAにてPIONEER LDCよりデビュー

1992年(23歳)前厄(活動期間は1991~1992)

1993年(24歳)本厄(24歳…この1年間に何が起きていたのか大変興味深い)

[ビーイング期の始まり]

1994年(25歳)viewにてBOXコーポレーション所属
ビーイング ZAINレーベルよりシングル2枚を発売
(view名義はこの1年間のみであったようだ。ちなみに(後厄)である。)


[FOV期]

1995年(26歳)FIELD OF VIEWへ改名

1996年(27歳)Live Horizon Ver.1がこの年より開催される

1998年(29歳)日本コロンビアのビーイングレーベルへ移籍

2001年(32歳)「the」ぷち改名およびビーイング ZAINレーベルへ戻る

2002年(33歳)7月10日に22枚目のシングル「Melody」発売 

12月解散

この年表を見ながら驚いた事は、FOVの当初の活動期間は正味8年間程だ。
この凝縮された期間に氏の礎が形成されたのではないだろうか。

一人の人間として己に照らし合わせて考えてみる。
自分の属する世界において経験と実績を積んだ後、「それらを武器に新たな場所での活躍の為に闘う」そう決意したのではないだろうかと思う一般人の私。(業種を変えない転職の感覚に近いかもしれない。)
自分がジャ○ーズJr.やアイドルであったなら日本独特の「年齢」をセールスポイントとする文化に付随し、決断の年齢はもっと前倒しになったかもしれぬと要らぬ想像をする。

[ソロ誕生期]

2003年(34歳)ソロ活動開始
(レーベル:トライエム)
(ソロ歌手 浅岡雄也氏が誕生した年となる)
なので2023年はソロ歌手活動20周年記念という事なのですね。

2005年(36歳)
(レーベル:徳間ジャパンコミュニケーションズ)レーベル吸収に伴う移籍

所属があるというのは、後ろ楯は得られるがそれに見合った対価が求められるのが世の常である。
所属レーベルが変わるという大きな変化も迎えているが、レーベル事態が吸収合併されたのならば、それも巡り合わせなのかもしれない。)

2008年(39歳)ソロ活動開始からここまで定期的な楽曲リリースと活動がうかがえる。(謎の自分カウントw)

2009年(40歳)前厄
1月25日プレオフィシャルサイト開設

(ここから動きが激しくなります)

9月30日オフィシャルサイトを前事務所との契約終了をもって閉鎖

10月1日プレオフィシャルサイトがオフィシャルに昇格
(この怒濤の動きにWikipedia年表を見ているだけでも若干胸がざわつく。)

2010年(41歳)本厄 (全くもって個人事務所となられた模様)

2011年(42歳)後厄

2012年(43歳)FOV再結成(ビーイングレジェンド出演の為)

(前厄、本厄、後厄、、、生きていれば色々あると自分に重ねてみる。)


[ソロ創作創設期]

2013年(44歳)ダウト発売
この年より作詞・作曲・編曲 浅岡雄也とクレジットされている。
(作品全てが氏の管轄下に置かれたと受け取れる。)

2013年(44歳)から2015年(46歳)まで一定のリリース数が保たれている。(自分カウントっす)

2016年(47歳)リリースコンテンツ数が前年より減っている。
(本当ごめんなさい俺的帝○データバンクっす)

(変化の現れは決意を実行に移す準備期間と受け取れる。)


[馬場 一嘉氏との公的な歩み開始期]

2017年(48歳)イマイルセカイヲアイデカザロウをリリース
馬場一嘉氏がクレジットされる。
(前年のリリース数減少はこの年への移管および布石、準備であったと推測できる。)

2019年(50歳)までリリース数を保ち世に送り出している。

現在まで続く馬場氏との歩み(?)を見ても、2017年(48歳)は作品創りに於ける転換期であった事は著明だ。

[世界トレンド流行り病期]

2020年(51歳)世界的コロナ幕開

FIELD OF VIEW/25周年記念ベストアルバム発売
TV「音楽の日」出演
25th Anniversary Special 観客限定&配信LIVE

(私はこの時期のお家時間にてFOVとして出演された歌番組を見て浅岡氏を認識した口である。考え方によってはこの時期は日本中、いや世界中の人々が総オタク化したのではないだろうか?新たなファン層を獲得したアーティストさんも多かったのではないかと思っている。)

2021年(52歳)新宿LOFTでのBIRTHDAY LIVE
(コロナ禍真っ只中。延期及び腰をピキりながらも決行された感慨深いライブであった。私が初めて浅岡氏のライブに参加した私的特別記念LIVEと評しここに記す事とするw)

2022年(53歳)ソロ及びFIELD OF VIEWとしてLIVE等を開催
(コロナ禍ながらもLIVEを定期的に行い配信にも力を入れておられる。この配信やSNSの利用にいち早く着手出来るポテンシャルこそが、ご自身が培われてきた土壌の強みと言えよう。)

2022.09.28 20年振り 23枚目シングル「きっと」発売

20年振りのシングル発売って何だろうw
20年という月日は大きい。(人が成人する。)
難しい事柄を全て乗り越えなければ発売には至らない。
90年代ビーイング勢の再結成の波が追い風となった事もあるだろう。
けれど、小橋琢人(ドラマー)氏がビーイング所属であり続けて居てくれる事の意味合いは現実として大きい。浅岡氏がクオリティの進化へ挑戦し続けた全ての結果が「きっと」の発売へと実を結んだのであろう。

2023年(54歳)LOFTにてBIRTHDAY LIVE(珈琲うまかった)

うーむ。
2009年(40歳)での個人事務所移行までの期間は(年表)活字を見ているだけでもドラマチックだ。
40歳、41歳、、、大事である。

2013年(44歳)ダウト発売までにどれだけの苦労があったのだろうか。
作詞・作曲・編曲(販売?)全てに於いて自己管理下の元に発売されたのならばプレイングマネージャーとして商品、作品としての自己評価に試行錯誤した期間であったのではないだろうか。
また、アーティストでありながらも経営管理を強く意識出来なければ会社として成立しない。
氏の生まれ育った環境に於いてご実家が商売を営んでおられる事は、人間形成しいては経営者としての感覚にも影響を与えているものと考えられる。

「白でも黒でもない」
通称「グレーゾーン」
私は商才というのは「グレーゾーン」を如何に適正使用出来る感覚を持ち合わせているかだと思っている。法令を遵守する事は当たり前だ。この「グレーゾーン」を余白と考えられる者が現実社会では抜きん出る事が多い様に思う。Twitterに於ける「グレーゾーン」を独自のセンスで泳ぐ浅岡氏から何時しか目が離せなくなった。

このグレーゾーンは誠実さや実績の上にのみ成り立つと考える。
何の信用も実績も無い者が用いようとしても響かない。

「セルフプロデュース能力」
浅岡氏は告知等にTwitterをフル活用している。
まさに趣味と実益を兼ねていると言えよう。

経験と実績、氏の独自の感覚と手法は緻密だ。
ざっくりしていそうでありながら時に計算されている。
そこに突如として顔を出す「天然の輝き」も魅力となっている。

「発信し続ける」
アーティストてしての活動は人に認知されてこそ成り立つ。
きっかけがなければ知る事も届く事も無い。
Twitterで発信し続ける事には意味がある。
時に物議を醸したり、騒動が起きる事がありながらも氏は発信し続けている。発信する側も、受け取る側も自ら選択する自由がある。

この数十年、氏が安堵するのは都度一瞬の繰り返しであったのではないだろうか。逃げる事も休む事もなく発信し続ける理由とは。

「歌い続ける為」


その一点に尽きるのではないだろうか。

時に人は間違える
間違いは改めればいい
考えは変わっていい
自分が変わる事を受け入れ
他者が変わる事を受け入れ

変化しながらも己の道を貫かんとする想いが人の心に触れるのだろう。

浅岡氏のTwitterは唯一無二の面白さがある。

Twitterと言えば浅岡雄也
浅岡雄也と言えばツイ廃、エゴサ
世間に広く浸透して欲しい願っている。

発信し続ける事に意味がある。
ツイ廃もここまで来ると様式美がある。

浅岡雄也氏のTwitter活用が成功している事は身を持って体感している。

届いたその歌声こそが真実を伝えてくれる。


(追伸)
個人的見解ですが、浅岡氏のTwitterに於ける「いいね」は、それ以上でも以下でもないと受け止めて居ます。
「見たよ」「サンキュ」「勢い」
その瞬間の反射反応を伴う「いいね」でもあって、未来永劫「肯定」された訳でも「公認」でも「通行手形」でもないと思っている。

「今日のいいね」は「明日のごらぁ」
「み」って言って秒で変わるw

それが浅岡雄也氏の愛すべきところだ。

応援の形は自由だ。
けれど浅岡氏が創り、守り続けた世界である事を忘れてはならない。
氏が明言したものが公式であり。
(明言)するもしないも氏の自由。
(店に)通うも通わないも客の自由。

主観は己を表す。
知り得た世界のみで構築された自分を貫くも自由。
知り得ぬ多様な世界がある事を理解(受け入れなくても)するも自由。

私はコロコロ変わるw
己の核となるものを守る為の変化は楽しくもある。

今日も浅岡雄也氏がいる限りTwitterを観察するw

(訂正が必要な個所があるかと存じますが、、、謝罪の念をもって終演)

(追記:改訂)
浅岡さんからのご指摘コメントを追記し改訂とさせて頂きたくお詫び申し上げます(謝)
、、、
浅岡さんって本当に面白くて素敵な方ですよね(笑)私ごときの底の浅い記事にご指摘(追いコメント)頂き感謝です。
休日の朝7時、、、起きましたwww
細やかなお心づかいに感謝いたします♡