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動画の全盛期に、文章を選び続ける理由と哲学

「動画コンテンツっていいなあ、稼げそうだ」
そう思っていたのに、カメラよりもペンを持つのはなぜだろう

2018年ごろGoogleの仕様変更があり、個人ブログアフィリエイトが厳しくなった。
稼げるYouTubeに転身する有名ブロガーが多かった。
月100万円以上ブログで稼いでいて、僕も参考にしていた
両学長、イケダハヤトさん、マナブさん、ヒトデさん。

彼らはブログの知見を発信してチャンネル登録者を伸ばし、収益化を成功させている。
僕もYouTuberブームの熱にあてられていた。

でも動画は始めなかった。文章だけでやっていこうと決めた。

動画コンテンツが星のように生みだされている。
ショート動画のおすすめ機能には中毒性があって、長時間ハマってしまう。
特にZ世代は、ネット記事を読むより動画を見る人が圧倒的に多いとか。

情報量にしても、文章より動画のほうが多い。
旅行先のレストランを説明するとして、文章だと300字かかっても、動画なら10秒ほどで詳細に伝わる。

財産的にも動画ファイルのほうが価値が高い気がする。
YouTubeは画質1080p・30分の動画ファイルで約1GBだけど、
20万文字書いたテキストファイルの重さを計ってみたら1MBもない。

それでも記事を選ぶのは「文章は自分の分身だから」

書き出した文字列が持つものは、ただの文字の塊ではない。
思考が、感情が、価値観が宿っている。
芸術的な側面があると言いかえてもいい。

動画にはそれがないと思う。
映画には「芸術的な映像」はあるけど「芸術的な動画」はあまり聞かない。

自身の哲学や人生観を観賞できるのが文章なんじゃないかな。
エンタメ性よりも芸術性に趣がある人たちが、愛でる世界なのかもしれない。


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