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「ものぐるほし」な文章の世界

みなさんの頭の中はどうなっているのだろう。

文章を書くとき、あなたの頭の中はどんな状態ですか?

私の頭の中は、いつも、散らばったパズルのようです。
言葉や文章がジグソーパズルのピースのように、バラバラに頭の中でふわふわと浮かんでいます。
浮かんでは消える言葉やセンテンスを、拾い集めて、くっつけて、切って、また拾ってくっつけて。
考えて考えて、やっとのことで、最初の一言が生まれる。
それは、四角いパズルの1辺をやっと見つけたような感じ。

有名な古典、鴨長明の「方丈記」の冒頭に、こんな一節があります。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし 」とは、川に浮かぶうたかた(泡)のように、消えたり現れたりしていて、常に変化していると言う意味です。
書いているうちに、頭の中に生まれる言葉を捕まえられないまま「かつ消え」てしまうと、はああーとがっかり。

そんなときは、書いてきた文章を最初から読み返します。すると、その先の文章がポンっと浮かんできたりするから不思議。
それは、例えば、ピアノで、すっかり暗譜して、目をつぶっていても弾けていたのに、突然、ポンと楽譜が飛んでしまったときに、ちょっと前から弾き直すと、弾けたみたいな感覚。指が、体が覚えている感覚。

波に乗る。そんな日もあります。
ほろ酔いの夜とか、すっごい好きなことについて書いている日とか、書いているうちに楽しくなってくる瞬間がきたときとか。
言葉と感情があふれて、止まらない。
書くのが楽しい! と心の底から思う瞬間。
でも、そんなに回数は多くないのが、辛いところ。
たいていは、冒頭のように、浮かんでは消える言葉を、虫取り網で捕まえる日々。捕まえられない歯がゆさと悔しさに地団駄を踏む。
パズルのピースがはまらなくて、ぐちゃぐちゃにして、投げ出してしまう日もあります。

そういえば、これも有名な古典だけれど、兼好法師の「徒然草」にこんな言葉がありますね。

つれづれなるままに、日暮らし、硯すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

ものぐるほしけれ」とは、「正気を失ったようだ」とか「おかしな気持ちになった」と訳されることが多い部分です。
面白いことを書きたいとか、上手く書きたいとか、もっと伝わるように書きたいとか、いい言葉を見つけたいとか、じゃあどうしたらいいんだとか、「文章を書く」ということにすっかり取り憑かれて、おかしな気持ちになっているこの状況は「ものぐるほしけれ」なのかもしれません。(古典の巨匠、兼好法師の「ものぐるほし」とは到底違うと思うけれど)

みなさんは、どんなふうに考えて、どんなふうに言葉を紡いでいるのだろう。とても興味があります。こっそり教えてください。

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