お年寄りを保護した話

先日、110番通報をした。

その日、少し時間があったので、ウォーキングに出かけた。
自宅を出て、住宅街から幹線道路に向かう人気のない道で、お年寄りに話しかけられた。

80代くらいだろうか。櫛が通ってなさそうな白髪頭の女性で、腰が少し曲がっている。小さな手提げバッグと道端の野の花を摘んだのか、小さな花を数本、指につまんで持っていた。散歩中だろうか。
それにしては、この近所で見かけたことのない人だ。
近所の歯医者に来た人かもしれない。

「あの、市バスの乗り場はどこかいな?」
尋ねられた。
この辺りに市営バスは通っていない。民間のバス会社のバスと勘違いしているのだろうか。
「このあたりは、市バスは通っていませんよ。ずっと向こうの広い道まで歩いていけば、乗れますけど」
「そうですか、どうも」

おばあさんと別れた。

でも、何かが引っかかる。
市バスに乗り場が分からない人が、バスに乗ってきたとは考えにくい。
だったら、ここまでどうやって来たのだろうか。
実は、この人は近くに住む人で、市バスでどこかへ行こうとしているのか。
それに、市バスに乗るにしても、市バスのバス停まで私の足でも歩いて30分以上はかかる。まして、お年寄りなら1時間近くかかるかもしれない。
本当に歩いていく気だろうか。
タクシーにでも乗ったほうがよくないか?
この人は、一体どこへ行こうとしているのだろうか。

気になって仕方がないので振り返ると、おばあさんは、先ほど立ち話をしたところで、まだうろうろしていた。
どっちへ行けばいいのか、迷っているような足取り。

やっぱり、様子がおかしい。

「おばさん、どこからいらしたんですか?」
Uターンして歩み寄りながら聞いてみる。
「〇〇町から」
おばあさんが言う町名は、ここから10キロ以上離れた所だった。
「おばさん、ここ△△町ですけど、〇〇町からどうやって来たんです?」
「ええ、歩いてきたんでよ。綺麗な花が道端に咲いっとったもんやから、摘みながらな。私、足腰が丈夫なんで、どこまでも歩けるんよ」
と、自慢げに語る。
いやいや、なんぼなんでも、そんなはずないやろう! と心の中でツッコむ。

「それより、この花見て。こうやって歩いとるときに、道端の花を摘んでもって帰るんよ。家に帰って、花瓶にさして飾ってな。ほなけん、家の中には、こんな花瓶がようけあってな……」
尋ねてもいないのに、おばあさんが手に持った野の花を見せて、滔々と語り始めた。

「おばさん、ここ△△町ですけど、ほんとに〇〇町から来たんですか?」
もう一度訪ねると、
「はあ、ここ△△町なんかいな。ええ、どうして△△町におるんかいな」

ああ、わかった。
この人、多分、死んだ祖母と同じだ。認知症。
母方の祖母が認知症だった。
一番初めに出た症状が「自分がどこにいるか分からない」
買い物に行くと出かけるが、店の前まで来て、何をしに来たのか分からなくなる。店の人に「私、何しにここまで来たのか」と尋ねていたらしい。(店の人も困っただろうな)
病院に行くといって出かけたものの、病院に行くこと自体を忘れてしまって、数時間、町内をぐるぐる回って帰ってきたこともあった。

そのうち、自宅までの帰り道も分からなくなって、出かけられなくなった。

振り子のように、分かるときと分からないときが何度も繰り返されて、だんだんと全てが分からなくなる。

今、私の目の前にいる人の言動は、初期の認知症のころの祖母と似ていた。
そしてその「分かっていない」表情も。

こまった。
こういうとき、どうすればいいのだろう。
このまま、ほおっておいて、事故や事件に巻き込まれたり、山に入って行方不明になったら、まずい。実際、高齢化が進むこの町のスーパーには、「探しています」と、犬や猫の写真の隣に、お年寄りの写真が貼られていることがよくある。
私が放置したせいで、そういうことになるのは絶対避けたい。

その時思い出した。
実家の父が以前、実家に迷い込んできた認知症らしいお年寄りを、近所の駐在所に連れて行ったことがあったことを。
その時、駐在所の警察官の人が、その人を引き受けて、身元を調べて家族に迎えに来てくれるよう連絡してくれたそうだ。

そうか、警察だ。

「おばあさんのうちのあたりまで、ここから歩いて帰るんは、若い私でもできんと思いますよ。雨も降りそうやし、早いところお迎えに来てもらいましょうねぇ」
家族に電話するようなふりをして、110番通報した。

最近のスマホはGPSが付いているからだろうか。
居場所の住所を言わなくても、警察のほうから、「パン屋さんの近くにいますか?」と、目の前に見えているパン屋の名前を告げられた。

「すぐに警察官を向かわせますので、そこで待っていてください」

待っている間もずっと「歩いて帰れる」と言い張るのを、雑談でごまかす。
その雑談も、現在の話が急に戦争中の話に飛んだり、支離滅裂。やっぱり。

10分ほどで、パトカーがやってきた。

110番通報した際に、おばあさんから聞き出した住所は、どうやら別の人の住所らしい。
「なにか、名前と住所が分かるものはない?」
警察官がおばあさんのカバンの中身を調べる。財布はレシートや紙類でパンパンだったけど、ほとんどがお店のポイントカードばかりで、保険証や身分証のようなものは見当たらない様子。

私も簡単に名前と住所、職業を聞かれた。
しばらく、おばあさんと警察とのやり取りを見ていたけれど、警察官が来た今、私ができることは終わっている。これ以上ここでいるのは、ただの野次馬だなと思い、後は警察にお任せして立ち去った。

110番の受付の人も来てくれた警察官も慣れたふうな対応だったので、多分、ここには高齢者が多いから、よくあることなのかもしれない。

調べてみたら、厚生労働省のHPに「行方のわからない認知症高齢者等をお探しの方へ」というサイトを見つけた。

徳島県内でもここ数か月で何人か行方不明になられているみたいだ。
ご家族の心中をお察しすると心が痛む。

私の祖父母はだいぶ前に他界しており、両親も、幸い年齢の割にはかなり元気。まだ娘夫婦の世話を焼き、孫の送迎までしてくれている。
そんな両親も、いつ認知症になるのか分からない。
両親がならなくても、いつか自分がそうなるかもしれない。

ほおっておくのは簡単だ。
あのとき、私が声をかけなくても、ほかの誰かがそうしたかもしれないし、何事もなく無事に家に帰りついたかもしれない。
本当は、いらぬおせっかいだったかもしれない。

現代はとても忙しい。1分でも1秒でも自分に使いたい。私もそうだ。
でも、なにかおかしいなと思ったら、ほんの少し時間を取って声を掛けてみる。警察につなぐ。それだけで、誰かの命を救える悲しい事態を一つ減らすことができるかもしれない。
こういうことは、ちょっとおせっかいなくらいでちょうどいいんじゃないだろうか。

こんなこともあると、元気な人にちょっと知っておいてもらいたくて、老婆心ながら自分の経験を書きました。


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