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可能性はゼロじゃない #分岐点話

「頑張らんで、頑張ってる人を悪く言うやつ、わしは大嫌いじゃ」

何でも「それでいい」と受け入れてくれた父に、自分を本気で否定されたのは初めてだった。

バブル崩壊の影響がじわじわと押し寄せていた1990年代後半、世の中は不景気となり、わずか数年前は「売り手市場」と言われていた日本経済は、いつの間にか「就職氷河期」となっていた。

「就職が難しいらしい」という噂は、私たち学生の中にも浸透しつつあったけれど、社会の荒波を知らない脳内お花畑の女子大生には、まったく別世界の話だった。

その噂は本物で、就職活動をすると面白いほど就職先がなかった。都会に出ていく気概もなく、ただ地方のどこかの会社に落ち着ければいいなんて、甘い考えの大学生を快く受け入れてくれるところなど一つもなかった。

そのくせ何の取柄もないのに、プライドだけは一人前で、あそこは工場勤務があるからだの、転勤があるからだの難癖をつけてえり好みする。
その結果、ついに就職できないまま、大学を卒業した。

週1のスーパーでのバイト以外することもなく、家の中でくすぶっていた。外は満開の桜が咲いていて、私の頭の中も春の霞のようにふわふわと浮ついていた。先の人生を真剣に考えることもせず、中途半端に肥大した自意識だけが膨らんでいて、世の中をまじめに生きる人々をバカにして。
だから、あんな言葉を吐いたに違いない。

近所の幼なじみが、私の第1希望だった就職先に採用されたと聞いたのは、卒業後しばらくして開かれた高校の同窓会だった。
実を言えば、私も大学4年の時にその採用試験を受けたが、まったく歯が立たなかった。
その同窓会の終わり、店の外で同級生たちがいくつかのグループとなって固まって話していた。
「採用試験、競争率20倍だったんだって? すごいよなあ」
「司法試験に合格すると思えば、あの採用試験なんて簡単よ」
こともなげに答える彼女の声。
それを遠巻きに彼女と同級生のやりとりを見つめていた。
子供のころから一緒に切磋琢磨してきた同級生の彼女に先を越された。劣等感、敗北感と嫉妬。私が同じ試験を受験したことは、彼女には言えなかった。

翌朝、朝食の席で何気なく家族に同窓会の話をした。
幼なじみの就職の話のことを話すと、母が「へえ、すごいわねえ。頑張ったのね」と彼女をほめたことが、私のスイッチを入れたんだろう。
つい、口から彼女の悪口が飛び出した。

それまで黙って聞いていた父が突然、言った。

「わしは、自分は頑張らんで、頑張った人のことを悪く言うヤツは一番嫌いじゃ。それ、お前のことじゃ」
その顔は、今まで一度も見たこともないほど、嫌悪感をあらわにしていた。

私はやっと気づいた。
競争率数十倍の試験に合格するために、彼女は相当の努力をしたはずだ。同窓会では、こともなげに語っていたけれど、大学4年間を真剣に勉学に費やしてきたに違いない。いや、レベルの高い大学に通っていたのだから、彼女の努力は高校時代からずっと今日まで続いていたのだ。
高校時代は勉強そっちのけで、色恋にうつつを抜かし、大学に入っては留年すれすれ、バイトと遊ぶことしか考えない、嫌なことから逃げてばかりの脳内お花畑生活を送っていた自分と比べることさえ、おこがましい。
私は今まで、何を頑張ってきた? 何にもだ! 何も!
私には何一つ人に語れることがなかった。

何一つ頑張りもしないで、人の努力を笑う最低の人間、それが今の私だった。

「あと少しだったじゃない。せっかく家にいるんだから、もうひと踏ん張り頑張ってみなさいよ」

父の言葉に打ちのめされている私を見かねて、母がなぐさめてくれた。
そうだ。
第1希望の就職先ではなかったが、別の採用試験では1次試験に合格したこともあったんだった。残念ながら2次試験で不合格だったけれど。
もしかすると可能性はゼロじゃないかもしれない。

やってみよう。
私も、人生で1度でもいい「頑張った」と言える努力をしてみよう。
それでだめなら、向いてなかったってことだ。縁がなかったってことだ。そのときは、きっと、すっぱり諦められるにちがいない。

週1のバイトをやめて、完全な無職になると決めた。背水の陣だ。
次の採用試験の日まであと3か月だった。
寝ているときとご飯を食べるとき以外は、全部勉強の時間に費やした。
平均で1日12時間から14時間。休みは週に1度、土曜日だけと決めた。
勉強のスケジュールを立てて、きっちり守った。
こんなに頑張っても報われないかもしれないと不安な日に出くわすたびに、「満点を取れば絶対合格するんだ。だから1問でも解け。1つでも覚えろ」と自分に言い聞かせ続けた。

3か月後。私は試験に合格した。

あれから20数年が過ぎて、今もその職場で働いている。
あの年の競争率は30倍だったらしい。奇跡がおきた。
「いまだに、私が合格したことは何かの間違いじゃないかって思うのよ」
そう、私が言うと、
「またまたぁ。そんなわけないじゃないですか!」
と同僚は笑うけど、半分本気だ。

でも、人生で一番頑張ったときはと聞かれたら、今でもあの3か月間だと答える。

あの3か月で、学んだことは二つある。

一つは父の言葉。
頑張りもしないで、頑張っている人を悪く言うことほど、人として最低なことはないということ。それはあまりにみじめで、悲しいことだということ。

もう一つは、
全くできないことなんてないということ。
もちろん、今、フルマラソンを2時間台で走ることも、アイドルになることもできないけれど、1か月後に5キロ走るようになることなら努力次第でできるだろうし、フルマラソンにでることもできるかもしれない。
アイドルにはなれなくても、昨日より少しきれいになることはできるかもしれない。
すべてにおいて、可能性はゼロではないということを学んだ。

大人になって、いろんなものを背負ってしまった今、あの時のように24時間をかけて何かに没頭することはできないけれど、自分の持てる時間を真剣に費やして努力すれば、できないことなんてないと信じている。

書けない、書けないと言いながらも、続けてしまうのは、きっとこのせい。
きっとできるようになると信じているから。
こんな往生際の悪さも悪くないんじゃない?

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たなかともこさんのこちらの企画に参加させていただきました。
noteを書くのをちょっと小休止していて、ともこさんの企画の趣旨に合っているかわからなくなってしまいましたが、復帰までの練習と、きっとお許しくださると信じて。


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