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【独りよがりレビュー】澤田瞳子「火定」

【火定(かじょう)】
仏道修行者が、火中に身を投じて死ぬこと。
                      (goo国語辞典より)

1300年経っても、人の本質は変わらない。
いや、変わらないからこそ、私たちは歴史から学ぶことができるんだ。

澤田瞳子さんの「火定」を読んだ。

この小説が書かれたのは2017年。3年後の現在を予言するかのようなこの物語を、フィクションとして読むことはできなかった。

舞台は奈良時代。わずかな数の遣唐使が奈良の平城京に持ち帰った天然痘がパンデミックが起こす。宮中を収める貴族から一介の町人まで、伝染病は貴賤の差なく、次々と襲っていく。
それはまるで、黒い風が都中を吹き荒れるよう。
昨日元気だった人間が、次の日には見るも無残な姿に変わり果て、もがき苦しみ死んでいく。
人々は感染を恐れ、都の大路から人が消えた。ある者は都から逃げ出し、ある者は人とのかかわりを断って家に閉じこもる。怪しげな神仏にすがる者、疫病の発端を探して糾弾しようとする者が、罪のない人を襲った。
無実の罪で投獄され世を恨んだ者は、この災厄を己の復讐と喜んだ。
パンデミックでまともな思考ができなくなった都人の狂乱ぶりと死にゆく者の有り様があまりに壮絶で凄まじく、読みながら身震いする。

その一方で、病人を一人でも救おうと、わが命を顧みず、不眠不休で医療を施す医師や薬師たち。
特効薬が見つからない中では、どんなに手を尽くしても、次から次へと人が死んでいく。己の無力さに打ちひしがれながらも、あきらめない医師たちに光は差すのか。

人の心の光と闇が、深い沼の奥から白や黒の泡のようにボコリ、ボコリと浮かび上がってくる。

「死を前にしてどのようにふるまうかで、その人の本質が分かる」という言葉を思い出した。

それが、この伝染病におびえる現代とあまりに重なって怖くなる。

今もどこかで、命がけでこの病気を食い止めようとする人々がいる。その一方で、感染者への嫌がらせ、差別や偏見が後を絶たない。
ワクチンや薬の開発が進んでいるが、完全な終息までの道のりはまだ遠くて、私たちは真っ暗な闇の中で、明日自分が罹患するかもしれない恐怖と闘っている。

私の心の中には、この物語に出てくる人間のどこかに必ず共感する。逃げ出したい気持ち、隠れてたい気持ち、持ち込んだ人間を糾弾したい気持ち。そして、少しでも手を差し伸べたい気持ち。

渦中にいる時、人は自分の立ち位置が分からない。この小説はそんな私たちの美しく醜い姿を炙り出して、見せつけてくれる。

ここから、私はどうするのか。
人は誰しも心に光と闇を抱えている。それはもうどうしようもないことだ。
私ができるのは、光と闇のどちらを表に現すのかということ。

ネタバレになるのでこれ以上書けないけれど、この小説にはちゃんと希望がある。
だから安心して、今、読んでほしい。

火定(かじょう) (PHP文芸文庫)




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