読書感想文1冊目:「わたしは『セロ弾きのゴーシュ』中村哲が本当に伝えたかったこと」
アフガニスタンのことで知っていることと言えば、2001年のアメリカ同時多発テロの首謀者、ウサマ・ビンラディンをかくまったとして、アメリカをはじめとする多国籍軍によって激しい空爆や戦闘が行われた国ということくらいだ。
世界地図のどこにあるのかも知らないし、どんな人がどんな暮らしをしているのかも、全然知らずに今日まで生きていた。
そこには、一人の日本人医師がいた。中村哲さん。1984年にアフガニスタンの隣国パキスタンのペシャワールに医師として赴任して以来、数十年にわたり、パキスタンとアフガニスタンの両国にまたがって、診療所を開設したり、井戸を掘ったり、水路を引いたり、両国の市井の人々に寄り添い、彼らの暮らしを少しでもよくするため尽力した人だ。彼がアフガンの人とともに作った水路は、干上がった土地を緑に変え、農業を再興し、何十万人ものアフガンの人の命を救った。しかし、2019年12月、何者かに銃で撃たれ亡くなった。享年73歳。
彼が、生前、NHKの「ラジオ深夜便」で語った言葉を、読んだ。
読み終えた今も、アフガニスタンのことは、よく分からない。
ただ分かるのは、「普通の人が暮らしている」ということだ。そして、政治や宗教、世界情勢、戦争、自然災害といった外圧によって、家や仕事、生活を奪われ、長らく暮らした国から逃げざるを得ない状況にあるということだ。
温暖化による干ばつやアメリカ軍による空爆で土地を失った人も、生きていかねばならないから田舎を捨て、都市部へ流れる。しかし都市部に仕事はなく、ついには傭兵になる。本当は誰も兵士になどなりたくない。でも、そうならざるを得ない状況に追い込まれている。
アフガニスタンのことは知らないが、よく似た状況を知っている。
私が住むこの国だ。
もちろん、幸い日本では命をなくすような戦争はない。
だけど、国の政策により一方的に非正規雇用で働くことを余儀なくされ、賃金は一向に上がらない。親が残したわずかな田畑では、昔のように農業で生計を立てることもできず、少しでも安定した仕事を求めて、若者はどんどん生まれ故郷を捨て、都市部へ流れる。しかし、人口が膨れ上がった都市部でも安定した仕事は奪い合い。
どんなに必死で働いても、国は勝手に税金を上げられ、社会保険を上げられ、ものの値段は上がり、手元にはわずかなお金しか残らない。隣には誰が住んでいるのか分からないアパートで、心を許せる友もおらず、誰の助けも得られないまま、孤独に生きている人がたくさんいる。かといって、田舎に帰っても仕事はない。
結婚や出産は、いつの間にか贅沢品のようになっている。
古い頭の人々がいまだに国を動かし、新しい技術も生まれない。
頑張らないのは自己責任で、頑張って報われないのも当たり前だと言われる。
日本とアフガニスタン、貧しさの構造がとてもよく似ていると思うのは私だけだろうか。
中村さんは、言う。
これを読むと、日本国内で時々起きる悲惨な事件が思い起こされるのは、私だけだろうか。
私は今、子どもたちに、この街で暮らしたらいいよ、日本で暮らしたら幸せだよって胸を張って言ずにいる。
中村さんは、そんな苦しい人々を見つめながら、どう気持ちに折り合いをつけていたのだろうか。
彼は、自分を宮沢賢治の物語「セロ弾きのゴーシュ」のゴーシュになぞらえる。
中村さんは、決して、「アフガニスタンをよくしてやろう」とか「世界を変えよう」などとは思っていなかった。ただ、目の前の苦しんでいる人の願いに、ひたすら応え続けていただけだった。
中村さんの言葉が、ずしんと心に響く。
私に日本を変える力はない。この街を急によくする知恵もない。今、将来を生きる子どもたちに胸を張れることは何一つない。
だけど、例えば、家族や周りの人を励ましたり、応援したり、ちょっと面倒や役目を引き受けたり、身近なお店に貢献したり、環境に配慮したり、良い政策をする人に1票を投じたりすることはできる。
だけど多分、世の中は思うようにはよくならない。
でも今日より明日、明日よりあさって、少しでもこの街がこの国が良くなるように、誰かの光になるように、自分を使い切って死ねれば、それでいいのだと、文字から聞こえる中村さん声が教えてくれた。
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