椎名林檎『駅前』


この曲、僕の携帯電話の奥底に埋もれていて、異常な今年のおかげというか、他にすることなくマスクをして長時間散歩したときに、ランダムにでてきて、なにこれ?と初めてではないはずだが新鮮味をもって聴いたもの。

はっきり言って、出だしは変な曲。マイナーで、ドドドドドと5音連符に1拍休みの妙ちきりんなアルペジオをバックに、息詰まるような日常を唄ってる感じ。面妖、なにこれ?変な曲。

それが、Bメロになると、急にアルペジオが4連符になって、人の心臓の鼓動みたいにぐぐっと展開してくる。しまいには、バスドラみたいのが、ドドっと、ヘッドフォンで聴いていると本当に聴診器で聴いた鼓動みたいにくる。

いいな。

他人の心臓の鼓動の音なんて、医者でもないかぎり、肉体関係をかわしているときか、赤ん坊が生まれてだっこして世話しているときくらいしか感じることがないが。ドド、とくるドラムのフィルインみたいのがいい。

歌詞もいい。あまり聴き取れないんだが、切ないBメロで「わたしなら、ここです」というのが聴こえる。10代の思春期の子たちの叫びみたいな。

と、おもうとまた変な不整脈みたいなAメロに。よく聞くと、この変な5連符にのアルペジオもバリエーションがあるのがわかるし、転調もする。それでまた魂の叫びみたいなBメロに。

今度はなんどもなんども、すべての楽器が総動員で参加して叫んでいって、最期は都会の雑踏のような音に消えていく感じ。すごいな、これ。

じつはデビュー当時から、おじさんは椎名林檎の隠れファン。こっそりCDを買っていた。邦楽では椎名林檎だけ。おじさんは、90年代末すでに中年の域に差し掛かっていたので、当時はなんだかファンを名乗るのは恥ずかしかった。一応、音楽はジャズ一筋を公言していたし。CD買うのはあとはジャズかブラジル音楽だけだった。

それで、仕事の接待でカラオケとかあっても、せいぜい80年代の歌謡曲か洋曲を唄ってたんですが、ある時、魔が差して、歌好きのお客さんとさしでカラオケで軽く飲みましょうだったので、何曲か唄ったなかに椎名林檎の「夢のあと」をこっそり入れて、唄ってしまった。まあ、「弦をつまびけば盛者がまやかし~」とか平家物語みたいな歌詞だし、いいかなと。

へんな曲だなと思われたかもしれないが、べつに酔っ払っていたのでとくになにもリアクションはなかったが、席にもどると隣りに座ったお店のお姉さんが、小声でささっとささやくように「椎名林檎、私も好きなんです」と言う。

おじさんは、仕事の接待で銀座のお姉さんがいるカラオケにいったりもしていたんですが、お姉さんはTPOがよく解っていて、あたかも、人に知られてはいけない秘密を漏らしてしまうかのように早口で話すと、すぐに話題を変えた。今度、ゆかたデーがあって、みんなお店の女性は浴衣なんですよ、とか。無難な?話に。新潟出身で、昼はプログラマーをやっていると言っていた。

たぶん、椎名林檎の唄は、アングラっぽくて、人知れぬところで密かに共有されるみたいなところがあって、まっこうからファンを公言しづらいところがまだあったのか。彼女は接客のプロで、よけいな事は言わず、あくまでもおやじ年代の話題に合わせようとしていた中で、ぽろっと自分の本音をだしてしまったのか。こちらもそれっきり話題には出さなかった。やっぱり、安全地帯とかさだまさしとかいいですねえ、とお客にあわせて。

やはり、椎名林檎の唄は、若い世代、繊細で、思春期とかで行き場のない切ない気持ちを抱えた世代に、語りかけている唄だと思う。とても直接的な青春時代の唄?みたいな。この「駅前」も、そんな唄だと思う。

おじさんたちとしては、なんとかしぶとく長年生きてきた中で、遠く忘れてしまった十代の想い出のかけらみたいなものを一瞬思い出させてくれる曲という感じではあるが。

むしろ、自分自身の感傷というよりも、僕はティーンエイジャーの息子も娘もいるので、父性本能というか、おいおい、若者よ、椎名林檎が唄うみたいに、つらいだろうが、くじけんなよ、生きてるときっといいこともあるから、と説教というか応援したくなる気持ちになる曲という感じか。

あ、こっそり好きだったのを書いてしまった。まあ、もはや彼女も堂々たるメジャーになったからおかしいことはないか。

(タイトル写真は、Noteのクリエーターのライブラリーで「歩道橋」で検索してでてきたものを拝借。逆光のシルエットで、すばらしい写真)


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