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カレーライス小史

2018年に数冊の本をネタにまとめて書いた、日本におけるカレーの歴史。僕は、ときどき、ビジネス・経済ネタとして、いろんな業界のこと、とくに自分が好きな食べ物業界とかのことをコンサル顧客むけにまとめたりしている。その一般未公開のものから、ちょいと古くはなったが、おもしろいやつをご紹介。カレーの歴史、フルに読みたい方は、これの主たるネタ元の本、井上岳久「カレーの経営学」がえらくおもしろいのでお勧め(末尾にリファレンス)。

高度成長とともに成長した国民食にも高齢化が

2018年の2月の毎日新聞で、「レトルトカレー販売額が、初めてカレールーを上回った」との記事を読んだ。

説明としておもしろかったのは、鍋で4人前以上つくる国民食のカレーが、少子高齢化で1人づつ食べるレトルトカレーへと、需要の内容が変化してきたという指摘。

また、2011年の東日本大震災時にも非常食として買われ、それをきっかけにレトルトカレーの進化を知った消費者も少なくないとのことで、「エスビー食品の担当者は「久しぶりにレトルトを食べた人が昔に比べおいしくなっていることに気づき、日常食として購入するようになった」と指摘する」(毎日新聞記事)。

どちらも、なるほどねえという指摘。ルーからレトルトか。ちょっと悲しいが、レトルトを侮ることなかれ、たしかに最近のに結構美味いやつある。

カレールー市場: ハウスとエスビー

カレールーの市場は、ハウスとエスビーという大手2社に江崎グリコを加えた3社で市場シェアの9割を占め、残りの1割に数百社のメーカーがひしめいているというかなりな寡占市場。

もちろん自動車や携帯やビールなど3強が寡占的なシェアをもっている他の業種もあるが、井上岳久著「カレーの経営学」によれば、昭和30年頃まではどのメーカーも大差なかったが、高度成長期以降にハウスが戦略的にシェアを拡大させ、そのリードをずっと保っていという。

2番手のエスビーも業務用のカレー粉で圧倒的な優位を保っており、経営戦略そして競争の結果として、棲み分けのような状況もあり、非常におもしろい市場構造となっている。

カレーは当初は辛い大人の食べるものであったのが、高度成長期の給食として多くの学校でカレーが採用されたことにより、家庭にも広がっていったという。たしかに、給食で食べたカレーの記憶はずっと残っている。おいしかった。

いうまでもなく、インドが発祥のカレーであるが、英国を経て日本に江戸末期から明治初期に伝わったカレーは、日本の食卓に合うようにどんどん変容していって広まり、主食のご飯によくあう、子供も楽しめる国民食の地位をえるまでに至ったといえる。

カレーが嫌いだという日本人はあまり聞いたことがない。後述のハウス食品の沿革にもでてくるが、ハウスは1990年代に高度成長を始めた中国にいち早く進出しており、今度は中国で日式カレーを「人民食」化すべく取り組んでいるとのことで、いやはや、そのハウスの野望に脱帽である。

日本におけるカレールーの黎明期

カレービジネスはまずはカレー粉の販売からはじまっているが、日本のカレーを特徴づけるカレールウの販売は戦後であった。1950年にお菓子メーカーの北共化学(現ベル食品)が発売したベル・カレールウがルウとして初めてのもので、お菓子メーカーだからか板チョコのような形状になったという。それがその後のカレールーの原型となったか。

その4年後にエスビー食品がエスビーカレーを、1960年になってハウス食品が印度カレー、グリコがワンタッチカレーの発売を始めている。当時は未だカレールー黎明期で群雄割拠の状態。その後いくつかの試練を戦略的な経営の舵取りで乗り越えてカレールー業界で確固たる地位を保っていくのがハウス食品。 

ハウス食品の台頭

ハウス食品は創業者が浦上商店を1913年に大阪で立ち上げたことに始まる。当初は和漢薬品や工業薬品を扱う薬種問屋で、1921年からカレー粉の扱いを始めている。

そもそもカレー粉は幕末期に英国からもたらされ、19世紀は英国のC&Bカレーパウダーの独擅場であった。20世紀にはいり、他の外国製品や国産カレー粉が出始めた。

ハウスの創業者の浦上靖介は、カレーの将来性に目をつけていたところ、1926年にホームカレーという会社の経営を多額の借金をして引き受けることになり、数年後にその商標の問題が持ち上がると、妻がホームがだめなら「ハウス」で行こうと提案して1928年にハウスカレーが誕生する。

ハウスが大きく成長したのが戦後で、1950年代に、社長の英断で大阪から全国へと営業拠点を設置して攻勢にでたところ、あっという間に全国規模のトップメーカーになった。その後昭和30年代に高度成長期のカレー食の広まりとともに、大きく成長をとげる。

創業者の浦上靖介は高度成長期の真っただ中の1966年に死去しているが、亡くなる前年に「ハウスの意(こころ)」として創業精神を明文化しているが、以下、二つほど引用しておく。

「経営者と社員の関係は、互いに協力して、社会の富を生産する仲間であります」
「我々は日々もっと真剣に利潤を追求しましょう」

さすが大阪商人、利潤を追求しましょうとはストレートでいいなあ。

バーモント・カレーの誕生

ハウスといえば「リンゴとはちみつとろーりとけてる」バーモント・カレーだが、誕生逸話がおもしろい。とてもお世話になった味。自分の体の何%かはバーモント・カレーでできているのではないかな。

市場調査で、それまで辛いカレーは大人の食べ物で子供にはハヤシライスということであったが、主婦はカレーにすりリンゴやはちみつを入れて、子供が食べやすいように工夫していることがわかった。

当時、米国バーモント州の健康法としてリンゴ酢とはちみつを食するというのが流行っていたため、そこから名前をとって、バーモント・カレーとして発売。この新製品は、ハウスの創業者の息子で当時副社長の後の二代目社長の浦上郁夫が陣頭指揮をとって開発・導入したという。二代目!、いい仕事しましたね。

一件コモディティな商品にみえたカレールーが、その後様々なバリエーションをもって進化を遂げていった最初の大きな試みがこのバーモント・カレーだった。

商品がどうやって使われているかというリサーチにもとづく商品開発の非常にわかりやすいケースであり、また大成功してロング・セラーとなる商品となった。

この1963年発売のバーモントカレーで、ハウス食品はカレールー業界1位の座をゆるぎないものとしていく。バーモント・カレーは最盛期で市場の4割を占め、現在でも3割くらいのシェアを保つ、お化け商品としての地位を確立してきている。故西城秀樹のCMが懐かしい。「秀樹、かーんれき」じゃなくて、「秀樹、かーんげき」のハウス・バーモントカレー。

成功の背景には商品性だけでなく、バーモント・カレーが導入した「辛さの度数表示」や、新たに普及してきたTVを先進的に使って打った宣伝戦略、全国のスーパーなどへの営業体制など、経営戦略の巧みさがあったという。

特に「辛さの度数表示」は、その後の製品開発で、子供の成長や大人向け商品として、バーモントよりだんだん辛いジャワカレー、ザ・カリーやプライムカレーへと自社製品を展開していく仕掛けにもなっていたという。賢い。企業のマーケティングでのポジショニングは、こういう例を見習わなくちゃ。

エスビーの戦略 業務用カレー粉「赤缶」

競合他社の歴史も触れておこう。カレールーでは2番手のエスビーだが、「特製エスビーカレー」というカレー粉は、1950年発売から70年近い歴史のロングセラー。

「赤缶」の通称で、料理人から絶大な信頼を得ている定番商品だという。創業者の山崎峯次郎がつくった商品で、改良は加えられるも基本的に元々のカレー粉からは大幅い変更されることなく、缶のデザインも変わっていないという。さらに近年の家庭でのエスニック調理の流行でも定番のカレー粉として売上が伸びているという。

たしかにこれ、小さいのが、うちにもあるな。どこか食堂でこれの巨大なのをみたこともある。

グリコの熟カレーとハウスの反撃

カレールー興亡期を語る中で忘れてはいけないのは、1990年代にはいっての
業界3番手のグリコによる「熟カレー」のヒット。

市場調査で一晩置いたカレーがおいしいという声に応え、焙煎し熟成感のある香りのカレー粉に熟成ブイヨン、野菜や果物の熟成仕上げなどによる、熟成感のあるカレールーの投入により、グリコは3.5%まで落ち込んでいたシェアを一挙に15%まで伸ばした。

これによりハウスはシェアを10%下げたが、そこはハウス、市場調査により消費者が熟カレーと同じような「こく」を求めていることを知っていたことから、グリコとは違ったアプローチでの新商品の市場投入で抗した。炒め玉ねぎを用いた「こく」と香味野菜の「まろやかさ」を合わせた「こくまろ」。この「こく」分野での、熟カレーVSこくまろの戦いは結局、こくまろに軍配があがりこくまろカレーは10%のシェアを獲得するにあたり、熟カレー登場で失っていたシェアを奪回している。

マーケット調査でヒントを得て、新製品を開発して、うまくポジショニングして宣伝して売る。マーケティング戦略の教科書のような実例。なんとも凄い業界である。3番手の背水の陣の熟カレーを、帝国はこくまろで迎え撃った。あっぱれ。

レトルトカレーの登場

異業種、新しいタイプでの、新たな参入社との競争も起こる。

1968年に大塚化学薬品(現大塚食品)が世界初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売。1950年代に米軍が缶詰めに代替する技術として開発したレトルトパウチ技術だが、気密性のある容器に詰めた食品を加圧加熱殺菌する技術で、缶詰にくらべて軽くかさばらず、使用後の容器の処理も用意。大塚はアメリカの雑誌でその技術について読み、お湯で温めるだけで食べられるカレーの開発を思いつく。

だが、技術は米軍の軍事機密だったため、自ら試行錯誤で開発、そしてボンカレー発売に漕ぎつけるが、当初は運搬時の衝撃でパウチに穴があくなどの不良が続出したため3か月で発売中止。その後、缶詰めメーカーから技術者をヘッドハントして試行錯誤を続け、ポリエステル・アルミ箔・プリプロピレンの三層構造パウチに開発に成功、1969年に新レトルトカレーを再投入。流通過程での破損もなくなり、賞味期限も2年にのびた。パウチに点滴注射の内容物に圧力をかけて滅菌する医薬品の技術が使われており、大塚ならではの製品開発であったという。

ハウスは、1971年に「ククレカレー」を導入してこれに迎え撃つ。その後1990年代に、中村屋が高級レトルトカレー(通常100円台なところ300-400円の価格帯)を投入して大ヒット。おりしもカレー名店グルメブームもあり、エスビーやグリコは名店とのコラボのレトルトを投入していくが、ハウスはその動きについては静観し、低価格帯のレトルトを引き続き主力をする戦略をとった。あくまでもナショナル・ブランドとして定番的なものの提供に軸足をおいた戦略的判断だったという。

なお、家族みんなのために鍋でつくるカレールーのカレーと違い、レトルトは1人用であるので、ルーよりもより個性のある商品が提供されているという。おなじカレーという商品でも、マーケティング戦略が異なるという良い例だと思う。 レトルトのカレー、とてもとてもお世話になりました。キャンプで温めて食べるだけでも美味かった。

様々なカレーブーム

最後に、本に出ていた過去のカレーの「ブーム」について抜粋しておく    (「カレーの経営学」p.99-102)。

2年おき、あるいは毎年ブームがあったらしい。おそらく日本のビール興亡史でも同じようにブームが到来(作り出され)し去っては次のブームがくるということがあるのだろう。マーケティング用語で飲料、食品、化粧品など短期間で消費される日用消費財のこと Fast Moving Consumer Goods (FMCG)といったりするが、まさに定番の商品が消費されながら様々な新しい嗜好品が市場に投入されている、moving fast な世界だなと実感。

2001-2002  
カレー専門店ブーム 雑誌やTVでカレー店特集が組まれ大手メーカーが店の名前を冠したレトルトを発売

2003   
カレーうどんブーム 

2004-2005 
スープカレー・ブーム

2005    
フレンチカレー・ブーム 洗練されたソースの技法を生かしたフレンチ風カレー。男子中心だった外食市場に女性客増加

2006
白カレー&黒カレー・ブーム ターメリックを使用しない「白」、カラメルやイカ墨の「黒」が見た目で注目を浴びる

2007
カレー鍋ブーム

2008
個性派キーマカレー・ブーム

2009
ベジ・キーマカレー・ブーム

2010
再びカレーうどん・ブーム

2011 
バターチキンカレー・ブーム

    (「カレーの経営学」p.99-102)

2012年以降のカレーブームはどんなだったんだろう。気になる。誰かまとめてないかなあ。■

(参考)
井上岳久「カレーの経営学」(2012.5 東洋経済)
長内厚「ビジネスケース: ハウス食品ーカレールウ製品の開発」 (2009.11) 神戸大学経営研究所 

(タイトル画は、みんなのフォトギャラリーからカレーライスで検索して一番おいしそうだった絵を拝借)

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