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T字路s 殴られて救われる

変な題だが、週末、Note上の音楽を聞く集まりに参加させてもらって、10曲くらい聴いたなかで、この曲にガツンとやられて、今日日曜は朝からそのミュージシャンの曲ばかり聴いていたという話。

やはり、ITの進化で日頃聞くのは自分でつくったプレイリストや、AIが進めてくれるような曲ばかり。昔と違って、移動中聴いてたラジオでたまたまやってて聴いてよかったとかそういうのが無くなってきた。それで、自分のコンフォートゾーンの中の曲ばかり聴いていた。洋楽中心、ジャズとかブルースとか。そのNoteのイベント(末尾参照)は、おすすめが10曲くらい解説付きで聴けて、とてもよかった。知らない曲ばかりだった。

それでガツンと来たのがこの曲。

短いイントロから、あ、昔よく聴いた憂歌団みたいだなとおもったら、ボーカルの女性のだみ声が、憂歌団のボーカル級のインパクトで始まった。凄いなこれ。

ブルースのツボにもくるし、昭和のフォークのツボにもくるし、森進一みたいなハスキーな声の強さもあるし、アコースティックなパンクロックみたいな味もあるし、新たな強い女性の形をみたような。数年前にブルース系の知り合いがいいよといっていてのでエイミー・ワインハウスを初めて聴いたみたいな強烈な印象。のっけからガツンを頭を殴られた感じ。

殴られたといえば、Noteで読んだのだが(最近は情報や見解のネタはけっこうNoteだな)、今年1月の芥川賞と直木賞受賞作品のどちらも、「殴られる」というのが冒頭で出てきたり話の重要な展開にでてくるという。そうだよな、やはりこのパンデミックは我々にとって突然殴られたようなもの。まっとうに人生生きてきて、ある日道をあるいていたら、突然、横からガツンと殴られた。どう考えても、前代未聞の、突然とんでもない通り魔みたいな暴力に巻き込まれてしまって呆然としている、というのが2020年だった。

炭鉱のカナリアのように世相を察知して声を発するすべての芸術家たちは、まずとりあえずはこの「殴られた感じ」をとりあえず表現すべきじゃないだろうか?そうした上で、絶望やら、怒りやら、家族愛やら、人類愛やら、救いやら、癒やしやらを、展開させていく。そんな作品を読みたいな。

さて、このバンド T字路s だが、小柄の女性がスピーカーが割れんばかりのだみ声で魂を歌い上げる。バックのギターやベースやピアノやドラムがえらくうまい。僕らの世代だと80年代の憂歌団のボーカル木村 充揮に重なる。これ、ぼくのカラオケの持ち歌、憂歌団「嫌んなった」

どちらも大好きなんだが、やはり違いは、T字路s のボーカル女性の声のほうがのっけから殴りかかってくる迫力あり。昔昭和の時代は、なんとも世間に文句があったりサラリーマンとしてブルースを感じながらも、酒のんでぼやいて生きていた。21世紀の今は、得体の知れない混沌とした社会の矛盾が、ガツンと襲ってきているということか。

憂歌団は、「嫌んなった」もうだめさ、だけどくさるのはやめとこう、陽の目をみるかもこの俺だってと励ましてくれてた。21世紀の「これさえあれば」は、なんだかわからないが人生いきていくのに大事な「これ」さえあればどうにかなるんだと勇気づけてくれる。ガツンと殴られても、これさえあれば、どうにかなるんだよと。くさるのをやめるから、これさえあれば生きていけるという強烈な励まし。 ■

やはり、自分が知らないいい音楽がまだまだあるもんだ、コンフォートゾーンを一歩出て、いろいろ教えてもらってというのもいいもんですね、という話。余談だが、「これさえあれば」のクリップの最後のボーカル女性が飲む白い酒はなんだろう?あの、ビッグ・ルボースキーが好きなホワイト・ロシアン(カルーアをウォッカで割って生クリーム混ぜてつくるカクテル)?



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