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昭和・平成・令和

やれやれ、今日でやっとイベントてんこ盛りの第1四半期が終わったと言うか、日本のビジネス的には2021年度がやっと終わった。

今日はシンガポール人知人から、夕方、彼が社長の会社の倉庫で軽く「ドリンクス」をやるので寄らないかと誘われていたが、年度末の残務があり、行けずじまい。

でも、この「ドリンクス」というの、曲者。

仕事がらみで、じゃあ、来週ドリンクスでも、というのがよくある。仕事の知り合いだったりが多いが、けっこうちょっとした顔見知り、初対面の次くらいでも、じゃあ、ランチというよりも、じゃあドリンクスとなる。ディナーにはなかなかならない。

海外(といっても欧米文化圏か)長くなったのでもう慣れたが、ドリンクスでは、食い物を腹にいれずにビールだのをけっこう飲む。1杯ならいいが、数杯いっちゃったりする。食べたとしても、バーだと乾き物のナッツとかくらい。

それを夕方6時ごろから8時頃まで、往々にしてハッピーアワーの時間にやって、気が乗ればその後どこかへ食べに行くが、だいたいはそれでお開きで家に帰って晩飯のパターン。

けっこう仕事の大事な情報がこのDrinksで語られたりするので無視できないが、空きっ腹はかんべんしてよというのが日本人ですよね。

米国時代は、腹がくぅくぅ鳴って辛いので、事前にちょっとしたスナック、へたしたらチーズバーガー1つくらいをこっそりさくっと食べてから挑んだりしていた。やはり、ビールは、枝豆くらいつまみながら、できれば焼き鳥とかほうばりながら、飲みたいもんです。

今日みたいな年度の最後とか、カレンダー的な節目に、ふと思うことに、時代の流れというか、視点を自分から違う世代に移したらどうなんだろうかなということがある。

今朝も、生まれて初体験の朝ドラほぼ全部見てしまうがあと1週間ほどとなったヒロインが3世代いる「カムカムエブリバディ」を見ていて、世代という意味では、3代目の主人公のひなたとリアルにほぼ同世代なので、ダブルラジカセとか茶の間のTVとかでてくる小物が懐かしい。あったあった、ああいう商店街、いたよな、ああいうおっさん、とか。

しかしながら、やはり感情移入ということだとその3代目のひなたよりも、深津絵里が演ずる2代目の終戦前の1940年代に生まれたるいに親近感を感じてしまう。たぶん役柄の年齢設定というよりも、女優としての彼女自身が、自分と同じ世代だからか。若い頃からファンです。繊細そうで、じつは芯が強くて、真面目そうだがコミカルなところもあり、人間として奥深い感じだなと、勝手に思い込みながら。

それはさておき、敢えて、PCにむかってつれづれなる思いを書こうと思ったネタとしては、自分が認識している「昭和・大正・明治」という3代にわたる時代の位置づけが、令和を行きていく世代にとっては「令和・平成・昭和」ということになって、昭和ってかなり大昔、おじいちゃん・おばあちゃんの世代なんだという認識なんだろうかなとふと思ったこと。それを、映画シックスセンスのラストシーンみたいに、急にどどどと最近悟ったこと。けっこう驚愕、ショックだった。

自分にとって、親が育った時代の「昭和初期」は、軍国主義日本の戦争の暗い時代。そしてその前の「大正」や「明治」は、日本がサムライの国から近代国家へと移行した歴史で学ぶ時代であって、明治なんて前世紀の19世紀で、それは大昔の感じがした。

でも、年数でみると、昭和40年くらいから過去をみれば、たった「40年前」に昭和がはじまって、その前に明治と大正があったことになる。そんなに前ではない。

それと同じで、令和3年から過去をみれば、「33年くらい前」に平成が始まっていて、昭和はそれより前の大昔なのだろうか。自分が昔感じていた明治・大正のような大昔の位置づけが昭和なのか。

ということは、あまり昭和の思い出とかばかり語っていると、若者世代には、あたかも我々が若い頃に明治時代の思い出話をする年寄りのようなことになってしまうのかなあ。まあ、寿命が10-20年伸びて、事情はちょっとは変わってはいるが。うちのティーンエイジャーの子どもたちも時々、「え、それいつの話?1990年代?それってすごい昔」とか遠慮なく言ってくる。まあ、若い人との会話ではできるだけ昭和ネタは控えて、せいぜい平成ネタにしようと思った次第ではある。

でも、最後に敢えて昭和の思い出。

昭和天皇の御崩御は、1989年だったというのは鮮明に覚えている。

ちょうどメキシコに留学していた時で、通っていたコレヒオという大学院大学には日本人は数人しかいなかったが、日本語学部があったので、毎年、日本から招請された先生がいた。その年は、京大のK先生という、たしか日本の古代史が専門の先生で、教え子はけっこう宮内庁にはいっていろんな儀式をとりもっているとか言っていたが、とてもきさくでいい人だった。

スペイン語には縁がなかったが面白そうだと単身で1年こられていて、何回かいっしょに飯をごいっしょした。40代のその分野ではかなり有名な先生なんだろうけれど偉ぶらなくて飄々として明るい人で、スペイン語はおろか英語も片言であったが(日本の古代史専門の先生ですからね)、メキシコ人学生に好かれていた。

食い物も挑戦大好きで、僕のポンコツのフォルクスワーゲンのビートルで、場末のタコス屋行ったり、コヨアカンという学生街のうずらの専門店いったり、メキシコでとれた松茸がえらく安い日本食屋でどびん蒸しをご一緒したりしたのはいい思い出。

うずらのゆでたまごをむきながら、「これ、コレステロール的にはアウトなんだけどうまいんだよなあ」と何個か頬張りながらつぶやいていたのをよく覚えている。その頃の僕は、20代で、自分の健康には無関心で成人病因子積み上げまっしぐらであったが、なぜかその言葉をよく覚えていて、その後の人生でゆでたまごを食べながらコレステロールを気にする時に思い出す。

それで、1989年の1月のある日、その先生と大学のカフェテリアでお会いすると、ちょっと相談があるという。

「天皇がご崩御されて、メキシコのTV局が自分にインタビューしたいといってきてるんだけど、どう思う?もちろん通訳付きでなんだけど」

たぶん、いろいろとセンシティブな問題もあるから、へんにメディアに引用されて面倒なことになるといけないなというような配慮からの質問だったのだろうか。

僕は当時からそういうのは無頓着、鈍感だったので、「TV出演ですか!すごいですね。記念になるし、ぜひ出られたらいいんじゃないですか。観ます、観ます」とか無責任なアドバイスをしたかと思う。



それで、先生がTVに出たのを観た記憶は残っていないので、どうなったかはわからない。結局、出なかったのかもしれない。

我が甲斐性の無さ、京都に行くことがあったら訪ねようかなと思っていたら十年、二十年とたってしまい、10年ほど前だったか先生の名前を検索したら、60前でガンで惜しまれて亡くなられたという記事がみつかった。

あれが昭和最後の年だったので、令和の今でいったら、30年以上前の大昔か。

昭和からみた明治みたいな、遠い昔の、前世紀の記憶になってしまったか。 ■



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