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ショートアニメ【愛してるって言っておくね】感想 "If Anything Happens I Love You"

最近、仕事がばたばたしてたり、クラブハウス中毒だったりで、夜とか週末の動画鑑賞がまったくすすんでいなかったが、NetflixのMy Listの中にずっとたぶん数ヶ月寝ていた、このアメリカのショートアニメを観た。

全編12分間と短かかったからが観た一番の理由だったが、まったく予備知識なく、先入観なく観たら、とてもよかった。

なんて書きながら他人に向けてこんな感想のNoteを書いているのは自己矛盾しているが、どんな話が知らずに観ていくと、この短い12分の中で少しづつ悲劇の全容がみえてくる。その過程のストーリーテリングというか、だんだんとじわじわと筋がわかってくるのがよかった。

なので、あらすじは書きません。あえてちょっと触れると、家族の愛の話、喪失の話。

なぜか、昔読んだはずの小説のタイトルを思い出した。

たしか、「号泣する準備はできていた」。作者は江國香織。

作者に大変申し訳無いのだが、10年以上前に読んだのだが、どんなストーリーの小説だったかすっかり忘れてしまっている。なんだかもの悲しい話でとてもよい小説だったとの記憶はあるが。でも、このタイトルは強烈に記憶にあって、ことあるごとに思い出したりする。ものすごく深い感性からでてきた日本語だなあと。この題名だけで、文学賞ものだなあと。

喪失に直面して号泣する、それは、とても大切な人を失った痛みから。その準備とは。

号泣は、映画みたいにドラマチックな展開の末のクライマックスとしての別れでというよりも、やはり普通の人生では、ごく平凡な日々の積み上げのあとに、最後にやってくる別れ。

けっして、戦場で出会って燃えるような恋をして愛する人が殺されてしまう、というようなドラマチックである必要はない。

普通の夫婦だったら、平凡に出会って、平凡な家庭を築いて30年も40年も経て、年をとり、そして別れがやってくる。親子も何十年も経て、最後の別れ。そんな時、その別れに号泣する準備、日々の愛情の蓄積ができている、そんなことを言ってるんじゃないかなと思った。

そうだとすると、子育てでも、ちょっとしたことの積み上げ、ちょっとした思い出が積もって、それでいつか長い年月の後に、あるいはアニメのように突然の悲劇が起こって喪失に直面したら、それは号泣する準備ができているということになるんだろう。アニメの原題の、If anything happens, I love you も、ちょっとそれに通ずるところがあると思った。万が一なんかあったときのため、愛しているって言っておくねと。

うちも、いまや高校卒業した息子が小さい頃に夜泣きしてうるさかったので真夏の深夜にかみさんと深夜に息子をだっこして散歩したりとか、娘が棚をよじ登ってバカラの花瓶が頭を直撃して救急へ連れてったりとか、初めて友達の家にお泊まりへ送っていったりとか、子育てではそんなちょっとしたことを懐かしく思い出すが、そんなちょっとしたことの積み上げが、いつかくる離別での号泣の準備なのかもしれない。

アニメは、そんな思い出を、ひとつひとつ丁寧に、不思議な影を登場させながら、荒いペン画みたいな画像で、しっとりと描いている。これ、いいですよ。


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